吉本 |
ふたつの考えを併せて
「親孝行」「年寄りを敬う」
というようなことを、
自分なりに考えておけば、
きっと簡単に
日本の年寄り問題は解決するわけです。 |
糸井 |
昔の言葉を借りてくるだけだと、
結局のところ、昔のモラルをそのまま
引っ張り出すだけになってしまいますね。
長幼の序とか、そんなふうに
決まった言葉で言うんじゃなくて、
昔の考えの根拠と
今の時代から見た風景を
自分なりにちゃんと混ぜて
「年寄りはすげえもんだ」ということを
見つけておくことが必要なんですね。
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吉本 |
そうです。
「すげえもんだ」ということに、
到達するような言い方が見つけられなければ、
それは今を知っていることにならんと思います。 |
糸井 |
吉本さんは、思想家という顔もあるし、
知識人だと思われてますけど、
きっと、詩人の直感みたいなものが、
そういうときに非常に役に立っている
感じがするんですが。 |
吉本 |
そうですね。それはおそらく
そうだと思います。 |
糸井 |
みんながそれを持つといいのかなぁ。
詩人の力って、いったいなんなんでしょう。
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吉本 |
昔の詩というか、
万葉集などの歌を見ると、
わかることがあります。
昔は未開で、ほかのことはあまり
考えないでよかった。
昔の人の書いた詩がいいのは、
集中力が格段に違うからなんです。 |
糸井 |
ああ、喩えることのリアリティが
濃いですね。 |
吉本 |
そうなんですよ。
昔の未開の社会に住む人が
なんだかボーッとつぶやいたり、
ボーッとうそぶいたような
単純な内容の詩に、
今の人はかないません。
それは、もうまるで地力の違う集中力で
それを書いているからです。
そして、芸術の役割というのは、
そういうものを保存するだけなんです。
ほかに役目はないんですよ。
何らの利益も、有効性もないんです。
そんなのがあるとしたら、嘘ですよ、全部。
嘘の理論です。何もないんですよ。
「
じゃあ、無駄なことをやって、
お前は一生を潰したのか」
と言われるとしたら、
そりゃたいていそうだ、と思います。
僕もそうだと思いますし、
中原中也みたいな偉い詩人でも、
「お前は何をしてきたのか」と言われたら
そう言うんじゃないかと思います。
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
という詩が、中原中也にあります。
生活やいろんなことに参って
帰郷したときの詩です。
なんともみじめな思いじゃないかという、
そういう詩です。
だけど、それをみじめと言う人は、
その世界に近づいたことのない
距離から見ているからだと思うんです。
読者の人はそういう近づき方を
あまりしないで読むかもしれません。
だけど僕は、中原中也のそういう詩を読むと、
「この人は、生活に負けたとか、
そんなことで
割り切っているわけでもなんでもない」
ということを思うんです。
(明後日に続きます)
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