吉本 |
老いというのはすごいですよ。
糸井さんもほんとうに年取ったらね、
「ほんとうに」年取るっておかしいですね(笑)、
きっとこの違いに驚かれるんじゃないでしょうか。
|
糸井 |
僕は、吉本さんの年までは
あと約20年です。 |
吉本 |
そりゃ、実感がまるで違うんですよ。
体験しないでわかるわけがねぇということが
まず、わかるわけです。
年を取ってみて、これは大違いだったと
僕は思いましたけど、
もう遅いやということになってしまいました。
年食ってこういうふうにしよう、とか、
こう思うだろうというようなことは、
全部ダメになりました。
全部訂正し直しです。
「年を取るということはこういうことだろう」と
考えていたこととの誤差を
修正するのは大変です。
それを免れている人はいないはずです。
僕の考えでは、いないはずだと思います。
まず、目が見えなくなったら
字がわかんなくなります。不思議ですね。 |
糸井 |
視覚が弱くなると、
視覚の記憶がなくなっちゃうんでしょうか。 |
吉本 |
僕もびっくりしてますけど、
お話にならないくらい、
書いても書いても
字が思い浮かばないんです。
確実に、ぴしゃっと
字の型にはまって覚えてない字は、
書けなくなります。
それは、はじめて知りました。 |
糸井 |
はああ、そうなんですか。 |
吉本 |
それで、わかんない字を
使わないようにと思って
文章を工夫したりして(笑)。 |
糸井 |
60歳になる僕と
ずいぶん違うということは、
例えば40歳のときと比べると、
どうでしょうか。
まったく違いますか? |
吉本 |
40歳あたりは、血気盛んでしたね。
|
糸井 |
吉本さんの40代といえば‥‥
『言語にとって美とはなにか』、
『共同幻想論』が出たあたりですね。
これは、盛んですね(笑)。 |
吉本 |
そういう意味では、頭が活動的でした。
面倒がらずにそういうことに
かかずらわっていたときです。
熱中力があって無我夢中でしたけど、
そういう自分を
客観的に見るというところが
なかなかない、
という時期だったように思います。
自分の思い込みだけで言えば、
自分がとっついたことについては
なんでも解けちゃうじゃないか、
という時期でした。 |
糸井 |
それは、愉快だったでしょうね。 |
吉本 |
ものすごく愉快でした。
自分で自分を信用していましたが、
あまり人は信用もしないし、
わかってもくれなかった、
という感じでした。 |
糸井 |
でも、ご自分では
あらゆることを
「わかった!」と思っていたんですね。 |
吉本 |
それを人間の生涯の頂点だったと
いうふうに見れば、
見えなくもないんですが、
そうじゃなかったです。
「わかった」ということが
なくなっていく過程で
「今度はちょっと俺、少し
“自分”がわかるようになったぞ」
という感じが来るようになりました。
(続きます) |