プロデューサーである 桜井さんの役割って、 「安宅の関」の弁慶みたいなものでしょ。 |
|
そうですよ、本当に。 白紙の勧進帳を 読むぐらいのことはします。 何も書いてないものを 読みあげるような気がないと、できません。 |
|
P(プロデューサー)って仕事は、 弁慶なんだね。 こりゃ、いい勉強になります。 でも、上司にそう言いつつ、 じつは自分でも「おもしろくない」と 思ってたんでしょ? |
|
あの回はおそらく、 いちばん下の AD(アシスタントディレクター)までが、 「おもしろくないと思うなぁ」と 思ったと思いますよ。 |
|
一同: | (爆笑) |
子どもたちはきっとみんな あっけにとられてたんじゃないかな。 そして、「おもしろくないことが行われてる」 ということが、おもしろかったんだと思います。 |
|
はい、そうだと思います。 | |
ふつうに「おもしろい」ということとは 別次元だったのかもしれませんね。 「あの放送は強烈に印象に残った」って いまだにいろんな人に言われます。 |
|
幻の珍品だね。 | |
あれはすごかったですよ、本当に。 ミニマル・ミュージックみたいなもので、 ま、スティーブ・ライヒのようなものです。 |
|
何がスティーブ・ライヒですか。 | |
テレビの歴史を語るときに、よく 連合赤軍の浅間山荘事件の話が出ますよね。 24時間、雪の中で身じろぎもせず 機動隊員がいて、 それを見てておもしろかったか、と言ったら そうでもなかったでしょう。 だけど、「バーン!」と動く鉄球を みんなが見ていました。 |
|
鉄球は、印象に残ってますね。 | |
「主役・鉄球」 みたいなとこがありましたよね。 テレビって、通信だから 「何かが起こってる」ってことが ものすごく得意だし、みんな好きなんですよ。 |
|
あのエイプリールフールのオンエアも 「何かが起こってる」って ことだったのかもしれない。 |
|
しかし、その回と同じようなものを もしいま、誰かが作っていたら、 おふたりは懐柔しながら やめさせるんじゃないでしょうか。 |
|
うん。たぶんとめます。 「これに違うものを入れてみようか」 なんて言ったりしてね。 |
|
僕はおそらく、あのときの経験を 言うと思いますよ。 「以前、エイプリールフールだからって こういうことをやったんだよ。 その結果がこうだよ」(笑) |
|
でも、いまの時代って、逆に そんな提案は なかなか「下」から出てこないでしょうね。 |
|
というか、いまのテレビでは、 考えること自体、ないでしょう。 |
|
考えただけで罰せられる(笑)。 | |
きっともう、いまだったら ウゴウゴルーガ自体もないと思います。 「プリプリ」だけじゃなくて、全編が。 |
|
おそらくそうですね。 これはいまのテレビではありえないです。 何かが、違うところにいるんですよ。 当時は未来のテレビはこうなるのかなとも 思ってたふしもあるのですが、 いまあらためて思えば、 やっぱり違う場所にいたんですね。 |
|
あだ花の、最たるものでしょうか。 | |
ウゴウゴルーガが はたしてあだ花なのか、 成熟の行き着いた先だったのかは わからないですけれども── やっぱり僕が思うには テレビってこういうところに 行くものだったんですよ。 |
|
いやいや、これは 交通事故みたいなものだと思うんです。 |
|
一同: | (爆笑) |
とにかく「ポーンとぶつかったな」 ということだけが、 いまに至るまで、何かわからないけど、 そのままずっと残ってるという気がする。 |
|
(続きます) | |
2008-05-21-WED |