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糸井 |
オレは以前からずっと、
男が歌う歌がないということを
言ってたんです。
前川さんも
女歌ばかり歌ってます。 |
前川 |
男の歌って、ぼくはないんですよ。
ほとんどゼロです。 |
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糸井 |
前川さんは、自分のこころを言わない人だけど、
女の腹話術をしているという
感じなんですよ。 |
前川 |
そうです。
だから、「オレ」という言葉は
自分の中にはないですね。
「わたし」「あたし」「あなたが」とか、
そういう立場で歌っています。 |
糸井 |
これをそのままにしといてもいいのかな、
どっちなんだろうなぁ、
と考えてます。
前川さんは男歌も
ほんとは歌えたはずなのに、という気持ちも、
少しあるんですよ。 |
前川 |
はい。 |
糸井 |
男歌として作っても女が歌えたり
女歌として作っても男が歌えたり
というものが、
さぐったらあるのかな、と思います。
男でも女でもあり、しかも、
年寄りも若い人も歌えるもの、
というところに行きたいんですよ。 |
前川 |
ああ、それ、すごく大事なんですよ。 |
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糸井 |
うん。 |
前川 |
それがね、
「雪列車」って、あるんですよ。 |
糸井 |
あ‥‥たしかにあれは、両方ですね。 |
前川 |
不思議ですねぇ。
子どもが受けつけないもの、
大人が受けつけないもの、あるんです。
だけど、「雪列車」はね、
若い人も好きなんですよ。
そして、お歳をお召しになってるかたも
好きなんです。
要するに、昔で言えば
「青い山脈」かなぁ。 |
糸井 |
なるほど。
ぼくも「青い山脈」、歌ってました。
「雪崩は消える 花も咲く」 |
前川 |
昔の、若い人と年寄りが
みなさま、あの歌を
歌ってたんですよね。
「雪列車」もそういう歌です。
ぼくは、歌詞の意味はわからなくても(笑)、
それは感じます。 |
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糸井 |
ぼくはあの歌について、
誰にも説明したことはありません。
まぁ、自分の書いた詞について
なにか言うってことも
ふだんはありません。 |
前川 |
はい。 |
糸井 |
「雪列車」の歌詞のなかで
最初にできた部分、
誰も知らないと思います。
それは、書いた本人にしか
わからないと思いますので、
言っちゃいますけども。 |
前川 |
はい。 |
糸井 |
それは
「なにげなく髪を切れた」
のところですよ。 |
前川 |
「なにげなく 髪を切れた 幸せな日は」
ははぁ‥‥そういえばいま、
舞台をいっしょにやらせてもらってる
藤山直美さんが「雪列車」が大好きで、
その中でも、ここの部分がたまらない、って
おっしゃるんですよ。
でも、ぼくは、わかんないんです。 |
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一同 |
(笑) |
糸井 |
人と人とが、
別れたり、くっついたり、
するじゃないですか。 |
前川 |
はい。 |
糸井 |
別れちゃったけど、
もしかしたら戻るかもしれないというとき、
または、もう二度と会わないと決まったとき、
心機一転するとき、
髪を切ったりします。 |
前川 |
はい。 |
糸井 |
「髪、切ったの?」
と、人から言われるときは、
別れるか、やり直すか、
というときだったりする。
そういうことが、
あっちこっちであるんだろうな、
ということを思って。 |
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前川 |
はい、はい。 |
糸井 |
「さ、髪を切って心を切り替えよう」
そう思う日があったとしても、
考えてみればその人は、その前にもずっと
何度も髪を切ってたんですよ。
「そうかぁ、前も切ったよな。
あのときは、何も考えずに切ったんだ。
しあわせだったんだなぁ」
ということを、そこではじめて思うんです。
なにげなくじゃなく髪を切る自分が、
世界中にいるなにげなく髪を切る人たちに
すごくしあわせなことだよ、ということを
言いたかった、そういう部分です。 |
前川 |
ああ、そうだったんですね。
ははぁ‥‥。
あのね、ぼくが好きなところはね、
「あたたかいものを 何かください」
のところです。 |
糸井 |
あ、そこは、そうです。いいでしょ。
いまでもそれで商売してますから。 |
前川 |
ここを歌うとき、
やっぱり、じーん、ずーんときます。 |
糸井 |
そこは、「そして、神戸」の前奏みたいに
これはみんながおなじ気持ちになるな、
と思ったところです。 |
前川 |
あれはね、
「糸井重里」なんですよ。 |
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糸井 |
そうですね。 |
前川 |
「神戸」っていうんじゃないんですよ。
糸井さんは、あの
「あたたかいものを」を
作る人です。 |
糸井 |
「神戸」は作れないですよ。
かなわないですから。 |
前川 |
ね。「そして神戸」という歌は、
大人がすごく好むんですよ。 |
糸井 |
ああ、そうだと思います。 |
前川 |
だけど、あたたかいものだったり
髪を切れたっていうのはね、
若い人でも、お年寄りでも歌える。
歌の持つそういう部分って
大事だと思います。 |
糸井 |
だけど、あの詞を書いたのは
30歳くらいですから、
とても大人ぶったつもりで、
作ってるんですよ。 |
前川 |
いまだったら、どうなんですか。
いまだったら、できない? |
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糸井 |
逆に作れないです。
あのときは、嘘の大人の芝居をしてましたから。
あこがれみたいなことがないと
ああいうことはできないんです。
結局、実際にこうやって
おやじになっちゃうと、
「だいたい似たようなもんだよ」
とか言い出しちゃう。 |
前川 |
はいはいはい、そうですね。 |
糸井 |
いろんなことがあっても、
ま、だいたい似たようなもんだよ、
それだと歌になんないでしょ。 |
前川 |
なんないですね。 |
糸井 |
だいたい似たようなもんです、
という歌は誰も歌ってくれない。 |
一同 |
(笑) |
糸井 |
でも、だいたい似たようなもんだった、
というのは、ほんとうは、
すばらしいことです。 |
前川 |
はい。 |
糸井 |
永六輔さんという方は、
そこのところにいつも触ってる人です。
あの人の詞は、数少ない、
だいたい似たようなもんだ、
というところの歌なんですよ。 |
前川 |
そうですね、はい。 |
糸井 |
「上を向いて 歩こう
涙が こぼれないように」
悲しいときって、
どんどん涙がこぼれるんだけど、
止めたいな、と思う気持ちはある。
だけど、拭きもせずに、
自分に少しだけ酔いながら、
上を向いて、しかも歩く、というのは、
老人から赤ん坊まで通じることです。
なんで泣くかはわからない。
悪いことしたあとかもしれないし、
悲しいことかもしれない、
うれしかったことかもしれない、
全部、入っています。
ああいうところに
「だいたい似たようなもんなんだよ」
という歌はあるんですよ。 |
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前川 |
たぶんそうなんでしょうね。 |
糸井 |
歳とると、もしかしたら、
作れるかもしれない。 |
前川 |
ああ、いいですね。いいと思います。
(つづきます) |