みんなの好奇心で、ふくらむ地球儀。 みんなの好奇心で、ふくらむ地球儀。
ほぼ日のアースボールのためのコンテンツを
共同開発してくださっている
首都大学東京の渡邉英徳准教授と
研究室のみなさんをお迎えし、お話しました。
この、かるくてやわらかい空気のボールが、
どんなふうにおもしろくて、
どんなふうに「ふくらんで」いきそうか、
わくわくしながら話しました。
舞台は地球、コンテンツは無限大の可能性。
でも、無責任な夢物語じゃなくって、
実現していく「手足」のついた、
とても具体的な「企画会議」にもなりました。
ほぼ日のアースボールって
わたしたちの好奇心があるかぎり、
どんどん、ふくらんでいく地球儀なんです!

渡邉英徳(わたなべ・ひでのり)

首都大学東京大学院システムデザイン研究科准教授。
情報デザイン、ネットワークデザインを研究。
ハーバード大学
エドウィン・O・ライシャワー日本研究所客員研究員、
京都大学地域研究統合情報センター客員准教授、
早稲田大学文学学術院非常勤講師などを歴任。
東京理科大学理工学部建築学科卒業(卒業設計賞受賞)、
筑波大学大学院
システム情報工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。

これまでに
「ナガサキ・アーカイブ」「ヒロシマ・アーカイブ」
「東日本大震災アーカイブ」
「沖縄戦デジタルアーカイブ~戦世からぬ伝言~」
「忘れない:震災犠牲者の行動記録」などを制作。

講談社現代新書『データを紡いで社会につなぐ』
などを執筆。
「日本賞」、グッドデザイン賞、アルスエレクトロニカ、
文化庁メディア芸術祭などで受賞・入選。
岩手日報社との共同研究成果は日本新聞協会賞を受賞。

首都大学東京 渡邊研究室のみなさん

渡邉英徳准教授、高田百合奈さん(特任助教)、

田村賢哉さん(リサーチアシスタント・博士後期課程3年)、

山浦徹也さん(博士前期課程1年)、

福井裕晋さん(博士前期課程1年)、渡邉康太さん(学部4年)

第4回
ロジックと、エモーションと。
渡邉
今回、このプロジェクトにお誘いいただいて
すごく感謝しているのは、
バーチャルな地球の上で何かすることは、
ぼくにとっては「手の物」なので、
「これから一生、
 自分は地球コンテンツ屋さんで行くのかな、
 うーん‥‥」という時期で‥‥。
糸井
そうだったんですか。
渡邉
それだけでもなあと思って、
たとえば「人工知能による写真の色付け」を
はじめたりしていまして。
早野
昔の白黒写真に、色をつけるというね。
糸井
ええ、ええ、知ってます。
早野
その逆は、ぼくら、よくやってますよね。
つまり今、撮った写真に
セピアのフィルターかけたりすることは。

渡邉先生がやっておられるのは、その逆。
昔と今のイベントの間の「距離」を
デジタルで埋めるような試み、なんです。
渡邉
はい、
「昔と今を接続する」
「昔の出来事に、今日性を持たせる」
ということを考えていて、
キーワードは、「過去を解凍する」です。

白黒写真として凍っている昔の出来事を、
溶かして、息づかせるような‥‥。
糸井
なるほど。
渡邉
それって、すっかり凍りついてしまった
「地球儀」の表面を、
いかに、いきいきと息づかせるか‥‥。

たとえば、うじゃうじゃ人が動いてたり、
インド洋を船が通ったり、
アフリカで動物の群れが移動していたり、
という「地球の息づかい」を、
この「ほぼ日のアースボール」の上には、
載せられるじゃないですか。
糸井
まだ技術が発達していなかったときには、
いろんな考えや概念を、
言葉で表現していたわけですよね。

つまり、言葉が唯一の知的な武器だった。
数学もそのなかのひとつだと思いますが、
どっちにしても、
文字や数字などの記号を紙に書くことで、
「知」が伝達されてきました。
渡邉
ええ。
糸井
でも、それ以外にも、
地獄絵図を見せて宗教を説いたりだとか、
キリストの像を肌身につけるというかたちで、
言葉によらない伝達、
言葉によらないコミュニケーションの歴史も、
一方で、続いてきたわけですよね。

渡邉先生の色付けしている写真を見ていると、
そんなことを思ったりします。
渡邉
なるほど‥‥。
糸井
ちょっと話がズレるかもしれませんけど、
「伝える方法」のひとつとして、
「漫画」を授業に取り入れたらどうかなって、
思っているんです。

マンガなら、あの速度で、理解できますよね。
日本人、得意じゃないですか。
マンガと、あともうひとつは、「お笑い」と。
渡邉
たしかに、日本人の得手なところですね。

最近、学生たちを指導していて
「言語化というのは、
 ほんとうに必要なプロセスなのかなあ」
という疑問が、少しあって。
糸井
ほう。
渡邉
もちろん、大学教育の場合には、
言語化しなければ卒業論文にならないので、
当然、書いてもらうわけですが、
でも、出来上がったものに、
人々が、エモーショナルに動かされるなら、
言語化や論理化というプロセスが
必ずしもなくったって、いいのではないか。
早野
なるほど。
渡邉
実際は、研究論文の場合には、再現性‥‥
つまりモノがなくても、
論文を読めば誰でも再現できるってことが
とても重要なわけですけれど、
研究者ではなく、
コンテンツをつくるクリエイターの場合は、
論理化、言語化のプロセスを飛ばして、
一直線に、
目的まで到達できちゃうんじゃないかなと。
糸井
ええ。ホームズとワトソン君の関係ですね。

つまり、横にワトソン君がいてくれるから、
ホームズは、直感的に、
寄り道せずに、犯人にたどりついていいと。
渡邉
ああ、そうです、そうです。
犯人がわかるのなら、どの道を通っても。
糸井
一方で、同じ条件の下で再現できなければ、
それは「科学」とは呼べないわけで。
渡邉
そうなんです。
糸井
その条件は、たしかに大事なことですけど、
ほんとうに全員が全員、
それを守らなければならないのかなあとは、
思ったりしますね。
渡邉
はい、悩ましいところですね。

ぼくが、早野先生を尊敬してやまないのは、
「体細胞一個から、科学者」だから。
早野
あはは(笑)。
渡邉
糸井さんとの本『知ろうとすること。』も、
だからこそ、生まれたんだと思うんです。
糸井
ああ、そうですね。
渡邉
いまは、大学の仕組みが「論文を提出せよ」
だから言語化しているだけで、
ぼくたち、何かをつくっているときって、
かならずしも
論理的につくっているとは言えませんよね。
早野
いや、それはそうですよ。
渡邉
だから、
「え、なんで俺は、こういうロジックを、
 あとから組み立ててるんだ?」
って、ときどき、思うことがあるんです。
糸井
ちがうよ、もっとおもしろいんだよって、
言いたくなることがありますよね。

わかります。
だって、ぼくらがぼくらの会社について、
説明するときが、まさにそれだから。
渡邉
そうなんですか。
糸井
そういう場所では、たいがい、みなさん、
損得の話を聞きたがりますから、
「はい、今ほぼ日でやっていることが、
 まわりまわって得するんです」
と話を持っていくと、
損得のロジック1本になっちゃうんです。

でも、その「損得のロジック」のほかに、
幸不幸の軸で考えたら、
もっと楽しくなるんじゃないかと思って。
渡邉
幸せか、どうか?
糸井
たとえば、麻雀の大好きな人が、
「ギャラを払うから朝5時まで麻雀して」
と言われたとき、
損か得かでいったら、得なんですよ。
渡邉
はい。でも、義務ではやりたくはない。
糸井
そう、幸不幸の軸で言うと不幸ですよね。
でも、大負けしたとしても、
好きで徹夜の麻雀するのは「幸」ですし。

早野先生が、
おもしろそうな匂いを嗅ぎつけるや否や、
首をつっこむ子どもみたいな‥‥。
渡邉
その場合は、損得じゃないですね(笑)。
おもしろそうだから、というだけ。
糸井
まさしく幸不幸の、「幸」です。
渡邉
おもしろいからやってるんだ、という。
早野
‥‥そういうところありますね(笑)。
(つづきます)
2018-03-11-SUN