第6回
イヤイヤだと、できあがらない
イヤイヤだと、できあがらない
小川 |
自分が法隆寺を見て思うのは、例えば、 「宮大工の技術というのは韓国の方から 4人の大工さんが来て、それがはじまりだ」 と言われたりするんですけど、 「それだけじゃない」ということです。 確かに、瓦をつくる技術とか何かは 大陸から学んだものがあったですけれども、 法隆寺なんかを見ると、向こうから来た技術を そのままうのみにしてつくっているわけではない。 中国あたりの建物を見ると、 雨が少ないせいか、軒がものすごく短い。 軒がちょっと出ている塔なんかがありますよね。 でも、日本の建物は、 やっぱりものすごく屋根が出てるでしょ。 雨が多いから、湿気のために基壇を高くして、 そんで、その上に軒を深い建物に建てています。 そういうのは、大陸にはないんです。 ですからきっと、日本には、 気候風土に合った建物を建てられる人、 しかも木工の技術にたけた人がいたわけです。 それと向こうの技術を学んだんだけども、 そのときに向こうの技術をそのまま うのみにするのでなくて、ちゃんとそこで消化して 日本の建物につくりかえているんですよね。 ですから、自分は、大陸の技術を、 「つくりかえている」んだと思うんですよ。 そのまま輸入したわけじゃなくて。 でなかったら、あんなに一気にできませんからね。 ですから、日本人は猿まねが どうのこうのなんていうけど、そんなことないです。 |
糸井 |
猿まねというよりは、 「技術を育てた」ということですね。 |
小川 |
そうですわ。向こうの技術を学んだ上で、 日本の独特のものをつくったということです。 だからすごいんです。 |
糸井 |
さっき、小川さんがおっしゃっていた、 「できると思う」という心が最初にあったから 建物ができたんだという話って、きっと 当たり前のことを言っているのでしょうが、 法隆寺を見て驚かされた源が、 その言葉で、急にわかったような気がしました。 ピラミッドは石の建築ですけれども、 ぼくはあれの前に立った時に ものすごいショックを受けたんです。 それまで、ピラミッドというと、てっきり かわいそうな奴隷たちが作ったみたいな 印象があったんです。そういう資料しか、 情報として、与えられてこなかったものですから。 でも、現場に立ってみたら、 「そんなはずはない!」 「渋々作ってできるもんじゃない!」 一瞬でわかりましたもの。 |
小川 |
そうでしょうな。 |
糸井 |
ああいうものって、 イヤイヤじゃ、できないですよね。 |
小川 |
できないですよ。 「最後まで」はできない。 奈良の都も、一緒ですよ。 |
糸井 |
見苦しいものは、奴隷を使って イヤイヤ作らせたってできると思うんです。 だけど、美しいものって、本気でみんなが チカラをあわせないと、できないと思う。 それを思って、ピラミッドの前で、 ぼくは涙が出たんですよ。 小川さんの話を聞いてみると、 そういう気持ちで、また法隆寺を見たくなる。 |
小川 |
やっぱし、イヤイヤやれば、手抜きをしますよ。 そういうことがないから、持っているんでしょうな。 法隆寺で言えば、山から切り出して 運ぶというのだえけでも大変なことですよね。 |
糸井 |
それをつくっていた人の姿を考えると ゾーッとするし、美しいですね。 よっぽどつくりたかったでしょう。 |
小川 |
そうだろうなあ。 自分でもこういう仕事をやっているから よくわかるんだけれども、最初は たとえば権力とか何かいろんなことで 涙を流してつくるかもしんないですけども、 それが形になってくる、でき上がる……。 そうしたら、その時には、みんな忘れて もう、うれしいことしか残ってないんです。 それが、ものを作るという人、ですよね。 途中はやっぱり苦しいかもしんないですけど。 |
糸井 |
それが、ひとりじゃできない、 というところがまた……すばらしい。 |
小川 |
そうですね。 |
糸井 |
想像すると、いろんな物語があったでしょうね。 |
小川 |
そうですね。 ですから、わがままでは この建築はできませんよね。 たとえば、陶芸家は、 自分で気に食わなければ出さなければいいですよ。 |
糸井 |
割ってしまえばいいんですよね。 |
小川 |
ええ。 しかし、建築の場合、仕事を受けた以上は、 悪くてもよくてもつくり上げなくちゃだめだ。 だから、そういうわがままはできない。 ほんで、ひとりではできない。 みんなの力を借りなくちゃできないわけです。 |
糸井 |
同じ木組みで100段も200段もつくる、 なんていう時、1人で100つくるわけはないわけで、 「俺がぜんぶやる方がいいのに」と思っている人でも、 きっと、まわりに合わせて、そろえるわけでしょう? |
小川 |
はい。 |
糸井 |
そういうときには、 小さな戦いが山ほどありますよね、きっと。 |
小川 |
そりゃそうでしょうな。 |
糸井 |
もともと意地っ張りですよね、 それだけのものをやる人は。 |
小川 |
それに、昔であれば、今のように 規格というか、寸法がぴたっと合ってないですよ。 みんなばらばらですよ。 裁断するのこぎりがないんですし、 木を割って使うんですから。 「木を割る」ということは、 木の性なりにしか割れないんですよ。 自分でいくら、 「こういうふうに割ろう」と思ったって、 その木の生まれた性にしか割れない。 それを適材適所の場所に持っていって 組み上げるんです。 |
糸井 |
のこぎりが、ないんですね。 |
小川 |
うん。ですから、今の建築のように 規格化されたものを組み上げるなんていうのは、 ひとりだけがいればできるような、 とても楽なことなんですよ。難しいことではない。 しかし、昔のものは、全部規格化されていない。 みんなふぞろいです、ばらばらです。 それを組み上げるということは、もう全員が 棟梁のような考えを持たなくちゃできないです。 ふぞろいでも、そのままやっていったら、 傾いたり何かしますけども、 それはある程度のところへ行くと 軌道修正をちゃんとして、またそこから建てはじめる。 |
2015-01-02-FRI
タイトル
一生を、木と過ごす。
対談者名 小川三夫、糸井重里
対談収録日 2002年9月
一生を、木と過ごす。
対談者名 小川三夫、糸井重里
対談収録日 2002年9月
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