第9回
背伸びをしまくっていた頃。
背伸びをしまくっていた頃。
糸井 |
石坂さんは、大学に入った頃には、 もう仕事をバリバリとしていたんですか? |
石坂 |
通行人はずいぶんやっていたし、 ラジオの台本も書いていたし…… 高校の頃、詰め襟で ラジオの打ちあわせにいっていましたから。 いろんなものが、 あたらしくはじまってきていた時だった。 横浜の、ラジオ関東にいた先輩の紹介で、 短波放送の脚本を書いたりしていて……。 |
糸井 |
通行人と放送作家をやってたんだ。 |
石坂 |
稼いだお金は、劇団に貢いで。 |
糸井 |
費用がいるから? |
石坂 |
そうそう。 |
糸井 |
毎日、たのしかったでしょう? |
石坂 |
たのしかったですよね。 世の中がすごい勢いで 変わっていくという実感はあった。 テレビなんかもできてきたし、 ラジオも、ジャンルから はみでたものをやりはじめている…… モダンジャズの解説なんていうのを 評論家たちがやりはじめていた時期で。 ジャズに興味を持ったのは、 同級生に熊谷っていうやつがいて…… こいつがブルーノートや インパルスとかいうような レコードの輸入をやっていた 銀座の鳩居堂の息子なんです。 親父がピアノを弾くし、 そいつもジャズピアノを弾くし、 レコードの輸入もやるし、 便箋も売るという、妙な家なんだ。 |
糸井 |
鳩居堂は、便箋が本業ですもんね。 |
石坂 |
テープなんかなかった時代だから、 その熊谷という友達に言って 「一回だけ聞きたいから、 絶対に傷つけないから貸して」 と言って、 ブルーノートを一度だけかけて、 「あぁ……!」 とか感動して返した記憶があります。 「新しい! すごい!」と思っていました。 コルトレーンなんかを 最初に聞いた時には、 やっぱりすごいショックを受けて、 今でもよく覚えています。 「歌もの」のジャズもすごかったなぁ。 モダンジャズの番組の台本を書いて、 その放送の時に、 熊谷から一回だけレコードを借りてきたり…… 今で言えば著作権違反なんだけど。 |
糸井 |
モダンジャズのレコードを、 やっと借りたりしてる時に、 ジャズの番組の本を書いていたんですね。 そういう時って、 知ったかぶらなきゃいけないわけじゃないですか? |
石坂 |
それはありますよね。 だからやっぱり、 いろんな人の本や雑誌をよく読みました。 |
糸井 |
(笑)高校生の頃に、毎日、 ものすごい背伸びしている姿がおかしいなぁ。 |
石坂 |
うん、すごい背伸びをしていたと思う……。 ただ、それはぼくだけじゃなかった。 全員、背伸びしてるのがふつうだったから。 かかとを、降ろしちゃいけなかったんだから。 |
糸井 |
(笑)ぼくも、それはわかります。 たとえばぼくらの頃には、 澁澤龍彦や唐十郎の芝居を 二十歳そこそこのやつに わかれったって無理なのに、 みんな見ていたもんね。 「いや、よかったなぁ……」 イナカから大学に出てきたてのヤツが、 わかるはずがないのに。 |
石坂 |
みんな、そうだったと思う。 |
糸井 |
全員がこう、 見えないハイヒールをはいていた。 もともと、何にも知らないのに。 |
石坂 |
背伸びしていないやつはいなかったから、 ぼくは、不自然ではなかったんです。 高校の頃に読んで影響を受けたのは ウィリアム・サローヤンとかで…… 背伸びしてるから、ついでに 生意気にしていないといけないなぁという。 だから、 敢えて打ちあわせにも学生服を着ていったり。 |
糸井 |
「おとながやってることなんか、高が知れてる」 みたいな? |
石坂 |
うん。 |
2015-05-05-TUE
タイトル
テレビという神の幼年期。
対談者名 石坂浩二、糸井重里
対談収録日 2004年12月
テレビという神の幼年期。
対談者名 石坂浩二、糸井重里
対談収録日 2004年12月
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