第7回
いたずらは、
伸びるための実験なんです
いたずらは、
伸びるための実験なんです
糸井 |
小野田さんは、 ご自分が「子ども」だから、 子どものことがよくわかると おっしゃっています。 |
小野田 |
ええ。 子どものときのまま、たいして 変わっていないから(笑)。 おとなは、子どもが何かやったりするのをヒントに 「あっ、自分も子どものころは こういう考えかたをしたんじゃないかな」 と、いっぺん振り返ってみれば、 子どものやることがもっともっと 理解できると思うんです。 それに、子どものいたずらには、 確かに迷惑をこうむることもありますけど、 だったら、おとなは大きないたずら、するよ。 僕は口が悪いから、こういっちゃうけれども 原爆なんか、どういうわけ? |
糸井 |
でかいいたずらですね(笑)。 あれでおどかすんですもんね。 |
小野田 |
だけど、いたずらじゃないらしい。 より進歩しようと思って実験して ああいうものをつくったというんです。 子どもも、 「こうしたらどうだろう」 「ああやったらどうだろう」と思うから いろんなものをいじる。 それをおとながいたずらと呼ぶ。 自分たちが害をこうむったから いたずらだといっているにすぎないんです。 でもそれは、子どもの進歩のための 「実験」だったんだ。 原爆だって、 それだけの新しいエネルギーを得たんだから 立派なことなんだけど、だけど、 広島に落っこったのは、 やっぱり大人のいたずらといわれてもしようがない。 だから、一概に いたずら、いたずらというのではなし、 子どもは伸びるための実験をやったんだと思えば、 少しは許してやってもいいんじゃないか、 と、ぼくは思うんですけどね。 |
糸井 |
実験というのは、 結果が悪く出たっていいんですものね。 成功してばかりいる必要は ないんですもんね。 |
小野田 |
ええ。 |
糸井 |
実験と試験を混同していますね。 「受かる」「受からない」みたいな 意識がいつもあるから、 実験のことを試験だと思っちゃっているんですね。 |
小野田 |
そうですね。 |
糸井 |
・・・なるほどなあ。 同じ「験」という字の上に 「実」と「試」が乗っかる。 |
小野田 |
試す験なのか、どうか ですね。 |
糸井 |
どうも、 常に誰か採点者がいるというのが いまの世のなかの教育だと 思いこんでますねぇ・・・。 でも、 小野田さんのキャンプを経験した子どもたちは、 そりゃあ顔が変わって帰るでしょうね。 |
小野田 |
ほんとに、イキイキしていますよ。 「我が意を得たり」というかんじで。 だから、家へ帰って お父さんやお母さんに それはもう、叱られることだと思うんです(笑)。 |
糸井 |
ふふふ。 そうか、そうか。 |
小野田 |
「わんぱくになって、 とんでもないものを覚えてきた!」と、 お家のかたは、驚くかもしれませんね。 だけど、まあ、それはその子どもの 「ナチュラル」な部分なんですよね。 その本質をうまく使わないと・・・。 体のことはすぐにわかるんですよ。 ああ、この子は投てきに向くとか、 長距離に向くだろうな、 こいつはジャンプだな、なんかは、ね。 頭のなかは、 何に向くか、ちょっとわかりづらいですよね。 |
糸井 |
見えにくいから。 |
小野田 |
だから、 いっぺんその人間を野放して、 その子が見たこと、やったことから 割り出すしかないですよね。 |
糸井 |
放たれた子どもたちを見ている側は 子どもたちの人数分の 心の動かしかたをしなければならないから、 相当タフでないと、できない仕事ですね。 |
小野田 |
ええ。 |
糸井 |
「こっち、目が行きませんでした」では 終われないですもんね。 |
小野田 |
まあ、まず第一に 我々は子どもがけがをするのが怖いから、 それに気をつけているんです。 ひとりひとりついているわけじゃないですから、 それだけ自由があるんだし、 子どもたちは自分でどんどん動いていきますよ。 ご飯を炊かなきゃ食べていけないし。 家族から離れて、子どもだけのグループで 共同に何かをしなきゃ、 とにかくどうにもならないんですからね。 だから、それなりに 大きい子は小さい子をちょっと面倒見たり、 「じゃあ、まき割りは僕がやる!」などといって、 それぞれ自分のできそうなことへ 取っついていきますよね。 ああ、そういえば、 この間もちょっと問題が出たんだけどね。 女の子と男の子の班を別にしないと、 女の子はジャガイモをむくほうに みんなまわっちゃって、 火を燃すのは男の子ばかりがやってしまう。 全体としては体験が不十分になるのではないか、 というスタッフの意見が出まして。 じゃ、来年は、男女別の班にしてみようと、 まあ、そんなことも考えているんですけど。 |
糸井 |
それは実験としてやってみて、 次のことを決めているわけですね。 こんなに長いこと、自然塾をやっていて、 何回もそういうことに気づく時期があっても、 見逃したりして。 やってみたら違うことがわかるかもしれないし、 楽しいですね。 |
小野田 |
だから、 勉強することは必要なんですよ。 自分が何か思いつくまでには、 相当時間がかかるから。 |
糸井 |
時間を短縮することが 勉強か・・・。 |
小野田 |
何でも最初はまず、偶然にできるんです。 偶然にできたことは、 自分もそれだけ利益を得たんだから、 「ああよかった、よかった」となる。 だけど、これは偶然かもしれない。 だから、2回目に今度はそれを 自分でやってみる。 偶然じゃなしに、自分で積極的にやってみて、 それができてはじめて、 「なるほど、これはこうすれば必ずできるんだ」 という自信がつく。 そしたら、 3回目にはじめて 自信を持ってそれができるんですよね。 もしはじめから誰かに聞いていれば、 自分で1回実験して、そして 2回目からすぐに、 自信をもってできるんですよね。 だから、やはり時間があれば 大勢の人からいろんなことを聞いたり、 勉強したりすることは、必要です。 |
糸井 |
ちょうど断崖絶壁の前で縄ばしごをつくってやった、 みたいなものですよね。 まず上ってみようと思えるのは、 上れるからですもんね。 |
小野田 |
そうですよ。 |
2015-05-08-FRI
タイトル
どんな子供に育ってほしいかを、ざっくばらんに。
対談者名 小野田寛郎、糸井重里
対談収録日 2001年12月
どんな子供に育ってほしいかを、ざっくばらんに。
対談者名 小野田寛郎、糸井重里
対談収録日 2001年12月
第1回
第2回
第3回
第4回
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