第10回
勝つまでは、ゲームは終わらせない
勝つまでは、ゲームは終わらせない
糸井 |
ご自分でおっしゃるように 我の強い子どもだったんでしょうけれども、 生きる長さについてのレンジが長いというか、 失敗も含めて、 「意外に長く生きるものだから」 と考えておられるような気がするんですよ。 生き急いでいるかんじがちっともないんです。 小野田さんには、気の長い一面が ひょっとしたらあるのかなあと思う。 |
小野田 |
いや、負けん気が強いから、 それだけだろうね。 |
糸井 |
どういうことしょう? |
小野田 |
負けたくなきゃ 頑張るしかないですもん。 |
糸井 |
(笑)・・・ああ、そうしたら、 9回の裏でゲームは終わりといわれても、 10回でも12回でもして、 こっちが点数をたくさん入れるまでは 終わりにしないということ? |
小野田 |
そうそう(笑)。 |
糸井 |
すごく負けん気が強くて、 気なんか長くないからこそ 終わりにしないわけですね。 粘るんだ! |
小野田 |
そうですね。 粘ります。 |
糸井 |
これはいいなあ。 ああいう形で「ニュースの人」になったけれども、 いま思うと、 何かで必ず「ニュースになるような人」だった ということですね、これは。 |
小野田 |
そう。やっぱり人間、 どんなにしたって、運命からは 逃げられない。 まぁ、時代のことも、あってね。 だいたい、 あの時代の日本に生まれてきたのがもう 運の尽きなんですよ、悪くいえば(笑)。 そうでしょう? 実は、「おれ、戦争、嫌だから」といって 逃げたら逃げられたんですよ。 中国にいたんだから。 中国語も話せるし、 取引先の支店は 重慶でもどこでも敵地にあったから。 「おまえ、兵隊なんかになるな。 支店があるんだからそっちへ行って、 戦争が終わったらまた帰ってくればいい」 と、何度も人から勧められた。 だけど、逃げたら、 今度は一生いわれますものね。 そんなの・・・生きていて意味がないよ、ねぇ。 |
糸井 |
悔いのない、 意味のある生きかたをしたいということですね。 |
小野田 |
そうですよ。 人にばかにされてまで生きていきたくない。 誰だってそうだと思います。 「ばかにされてもいいけど、お金が儲かったらいい」 と、そういう人はいますけど、 お金も儲かりもしないのに、 ばかにされてばかりでうれしい人は いないと思うんですけどね。 |
糸井 |
だれでもそうですよね。 この間、友達と雑談していて、 こんな話が出たんです。 日本という国は、 戦争で負けたときにいったん マイナスになって、 そこからスタートしたので、 考えるべきいろんなことを、 「いまはそれどころじゃない」といって 保留にしたまま発展してきた。 運もよかったから、 実はよその戦争に便乗して 景気がよくなったりもしたんだけど。 それを 「なりふり構わずにやってきたらうまくいった」 というふうに、勝手にみんな誤解している。 実は、いくらなりふり構わずにやったって、 朝鮮戦争がなければ特需はなかったわけだし、 そういう情勢のなかで 運よくうまく発展してきたことを、 「なりふり構わずにやってきたからだ」 というふうに誤解しているから、 たて直すチャンスがない。 こんなに豊かになったのに、 まだ「それどころじゃない」 といっている人たちが多い。 これは、失敗していると思うんですが。 |
小野田 |
そうですね。 戦後の日本は追い風の記録だっただけ。 向かい風になったら、 そんなにスピード出るはずはないんですけど、 やっぱり全部「力」で走ったと 思いこんだところに 間違いがありますよね。 |
糸井 |
思いこんだんですよ、それがみごとに。 たんなる追い風記録を。 |
小野田 |
発展は時代のせいなんです。 一代でいっぱい儲けた人がいたとしたら、 それは、その人の性質とその時代が うまくマッチしたということなんですよ。 |
糸井 |
そうですね。 さきほど、 「3回やってうまくいったらはじめて成功」 といういいかたをなさっていました。 1回で大儲けしちゃった人は、 「おれのやりかたがうまかったんだ」 といっているけど、 実はビジネス書になっている話のうちの80%は うまくいった「運」のある人の話ですよね。 |
小野田 |
そうです。 だから、そのまま続けていって、おしまいです。 ソフトの時代ですもんね。 |
糸井 |
ダイエーの中内さんをはじめ、 自分がどうやって成功したかという本を たくさんの人が書きました。 それがいまごろ、中内さん、 簿記を勉強しているというじゃないですか。 それはそれで、おもしろいと思うんですよ。 これまで簿記なしでもやれる商売を していたということですから。 |
小野田 |
捜索隊がときどき、 新聞を置いていってくれたから、 そういう記事を 一生懸命見たものですよ(笑)。 |
糸井 |
ああ・・・ それ、楽しみだったでしょうね、やっぱり。 |
小野田 |
ええ。そのうちに、こんな記事もありまして。 ある財界の大物が 「おれをいま、20歳ぐらいの若さに返してくれたら、 いまおれの持っている金を全部 あるものの研究に費やす」と。 60歳の人が 「おれを20歳に戻してくれ」といっている。 日本じゅうで偉そうに持ち上げている人だけど、 この人、たいしたことないなあって。 だいたい、そんなに会社を大きくできるというのは、 やっぱり追い風のおかげなんです。 だから、こういう問題ある企業は 「やらずぶったくり」のようなことをして 通ってきたと思うんです。 それは時代が戦後だったから 「やらずぶったくり」で通ったんですよ。 |
糸井 |
そんなことを フィリピンの島で考えていたんですか。 |
小野田 |
へへ・・・(笑)。 「そんなバカなことを考えるから 問題を起こすんだ。 当たり前だよ、そんなことじゃ」 なんて、思ってました。 |
糸井 |
何だか、ある意味では、 いちばんつらい場所にいる小野田さんが、 その財界の大物のことを 「かわいそうになぁ」と思って 見ていたわけでしょう。 ・・・はぁ。 |
小野田 |
確かに肉体的にも苦しかったし、 精神的にも張り詰めていましたけど、 その財界人は 一緒の時代の人たちですから。 |
糸井 |
そこは、 僕らが想像するのも失礼なぐらいの 執念ですね。 |
小野田 |
勝つか負けるかだから。 僕は負けないで頑張っていたんだから、 また、それもおもしろいでしょう(笑)。 |
糸井 |
そうですよね、 負けないで、やっていた。 |
小野田 |
そうだよ、横井さんみたいに ジーッと隠れていたわけじゃないから。 日本兵ここにあり、でね。 島じゅうを顔を出して歩いていて、 しかも、向こうの討伐に つかまらないんだから。 |
2015-05-08-FRI
タイトル
どんな子供に育ってほしいかを、ざっくばらんに。
対談者名 小野田寛郎、糸井重里
対談収録日 2001年12月
どんな子供に育ってほしいかを、ざっくばらんに。
対談者名 小野田寛郎、糸井重里
対談収録日 2001年12月
第1回
第2回
第3回
第4回
第5回
第6回
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第10回
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