──:
作家という仕事のなかで「うれしいとき」というのは、どんな瞬間でしょうか。
恩田:
書き終わった瞬間です。「ああ、終わった、書かなくていい」
──:
はははは。
恩田:
その瞬間がうれしいです。そして本の姿になって完成したときが、やっぱりいちばんうれしいです。校了して、最初の一冊である「見本」ができあがると、いつも「ほんとうに幸せだなぁ」と思います。
──:
「作品ができたぞ」という達成感ですね。では逆に、息抜きは?
恩田:
ふだんは夕方までしか仕事をしないんです。夕方まで仕事して、そこから散歩してごはんのおかずを買って晩酌する、というのが毎日のたのしみです。
──:
「仕事は夕方まで」と決めておられるんですね。
恩田:
ふだんはね。ほんとうにヤバイときは、夜中まで書いていますけど(笑)。
──:
フィクションの作品には、実際の作家自身とは関係のなさそうな人物も登場します。そんな人たちを描くにはそれぞれの「モデル」がいるのでしょうか。
恩田:
私は、モデルはいないです。モデルというよりも、例えば今回の『spring』ではおもな4人の登場人物がいますが、そこには私の中の一部分が「ちょっとずつ入っている」という感じです。自分のどこかの部分を膨らませて書く、みたいなことが多い。いままでの作品でも、特定のモデルはいないんです。
──:
しかし、私小説ではないのになぜ経験したように書けるのでしょうか。とても不思議です。
恩田:
なりきって書くんです、妄想ですよ、妄想(笑)。
──:
妄想‥‥しかしそこに先生ご自身が入っているというのも「たしかにそうなんだろうな」と思います。
恩田:
そうなんです。妄想ではあるのですが、まったく知らない人のことは書けない。だから自分の一面をふくらませて書くしかないんでしょうね。これまで自分が体験した感情や考え方が、どうしても登場人物に入ってしまいますし、そこには限界もあるのでしょう。でもだからこそ、リアリティが出るとも思います。
──:
でも‥‥、しつこいようですが、外国の方もいれば、まったく違う人たちですよね。
恩田:
ですね(笑)。私もバレエをやりたいですが、踊れないし。
──:
しかも、主なる登場人物4人ともが、かなりキャラクターが違います。その書き分けとリアリティが、すごい。
恩田:
小説って、そういうところがありますよね。
私もこれまで、本をいっぱい読んできました。本の中では、ほかの人生を経験できます。だからきっとそんなつもりで私も「ある人の人生を書いている」のでしょう。
──:
私はふだんバレエは観ないのですが、絵や写真を観たり、音楽を聴くのは好きです。しかし、最近はわりと表層的な情報で満足しているというか。
恩田:
ええ、ええ、なるほど。
──:
ある程度見る目が養われているものは、小さな入口からも学ぶことが増えます。しかしそうでない分野は、薄っぺらな部分ですぐに判断をくだしてしまいがちです。でもこうやって、本から「バレエ」という芸術に入ることもできるんだなぁ、と思いました。
恩田:
物語を読んでそう思っていただけたなら、それはほんとうにうれしいことです。今回の『spring』を読み終わったら、もう、すべての方に劇場に足を運んでいただきたいほどです。バレエを生で観ると、ほんとうにすばらしいですから。
──:
本はそんな「大きな扉」を開く、第一歩になりえますね。そして、ひとつ何かをつかみはじめると、どんどんおもしろくなっていく。
恩田:
特にバレエは、クラシック音楽、舞台演出、そして踊りが入った、総合芸術です。バレエになじんでいくと、たとえば日本舞踊もかなりおもしろくなると思いますよ。根底ではいろいろとつながっている部分があるので、それこそ心の糧になるし、財産になると思います。
──:
心の糧‥‥。
恩田:
まさにそうです。私にとってバレエは心の糧です。
──:
うーん、だめだ、最近はショート動画だけですべてのことをわかった気になっていました。
恩田:
ああ、そうですよねぇ。
──:
こういうこと、忘れていたなと思いました。
‥‥芸術作品って、ともすれば「見ちゃいけないものを見る」ようなところがあると私は思うのですが。
恩田:
そのとおりですね。
──:
「人には見せるところと見せないところがある」ものです。たとえばふだん人とコミュニケーションしたり、仕事をすすめていくうえで、見せない部分も多いです。私たちほぼ日はメディアでもあるので「見せたくないところはつつきやすいけど、断罪してはいけない。言いたくないことは誰にもあるし、自分にもある」という話しあいをときどきします。
しかし、芸術作品は違います。恩田さんの『spring』も違う。人が決して見せないところ、墓場まで持っていくようなことが書いてあります。
恩田:
‥‥いまうかがっていて思い出したのが、私が好きなチェリスト(チェロを弾く人)が言った言葉です。
「見えにくい感情も、それは芸術にしてしまえば昇華され、芸術作品になる」
「醜いものでも、嫌なものでも、音楽にすれば美しくなる」
そんなふうにおっしゃっていました。芸術作品って、おそらくそういうことだと思うんですよ。
私たちがなぜ芸術を観ているかというと、自分の中の醜いものや、人に伝えられないような、いわばおぞましいとも思える部分を、芸術作品を通じて共有したり、紹介してるんだと思います。それが、芸術作品を観る意義だと私は思います。
──:
今回の恩田さんの作品は、芸術作品が作りあげられるプロセスの描写において、芸術の根幹を考えさせられる物語でした。「そこを忘れちゃいけない」と改めて思います。日ごろ「人の欲望を責めちゃダメだよ」と思いすぎでいたので。
恩田:
いえ、結局、欲望全開だったのかな(笑)。でも、ほんと、それが芸術のいいところだと思います。
──:
はい、もう、しみじみと、思いました。
*
恩田陸さんへのインタビュー、次回につづきます。
次回のWeb版掲載は1週間後の予定です。
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