泥で埋まっていた
ダイニングルームから
おおかたのものを運び出しました。
糸井
「みんな、指示もなく
教え合ってやっているように見えますが、
そうとう慣れや知識が必要ですよね」
平
「そうですね。みんなだんだん慣れて、
力もついてきます。
腰痛になる奴もいたし、
俺も高圧洗浄機を6時間握りっぱなしで
腱鞘炎になって、
治んないまま週末が来たりしてて、
最初はみんな体をやられてました。
でも、みんないい体格になって(笑)。
まさかこんなことで専門的になるとは
思っていませんでした」
糸井
「このスコップ団に、
ゴールというか、めどのようなものは
あるんでしょうか」
平
「めどはないです。
でも、これまでスコップした家の数は
100軒前後です。
家族5人とすれば500人。
俺たちが何をやっても
世界は変わらないのはわかってるんですけど、
500人の世界は変わるから、
それは意味のあることなんだと思っています。
‥‥といってもその人たちの生活が
ゼロに戻ったわけじゃない。
それでもいいや、と思います。
だって、家の人たちが、自分たちで
こんなことやろうと思ったら
悲しすぎて、できない」
だから俺たちがやる、と
平さんは言います。
そして、スコップで掘るうちに、やはり
人や動物に出会うこともあるそうです。
平
「たいてい、乾いてからからになってます。
昨日も犬が出てきたけど、
虫に食べられてるところもありました。
見つけて、掘り出すんだけど、
スコップってことねぇよな、
と思って、みんなで手で掘りました。
犬が出てきたときは
みんな、一瞬引いてたけど」
糸井
「いや‥‥一瞬引く、というのも、
きっとあたりまえですよね。
そういうことって、頭でいくら考えてても
ほんとうに経験しなければ、
自分がどうするかなんて
わからないですから」
平
「そう。そのときになってみないとわかんない。
でもみんな、そのあと泣いちゃってね。
やさしい奴らが多いです」
高圧洗浄機で
室内をきれいに洗ったあとは、
裏庭をすっきりさせます。
自分たちが、「よし」と
思えるところまで。
屋根の上の土も払います。
日が傾いてきて、
今日のスコップは終了です。
作業中はどこにいるかわからなかった
「ほぼ日」乗組員の佐藤に会いました。
「どこにいたの?」
「前庭」
みんな同じように
汗をかき、泥をかぶっていました。
最後に全員で円になって集まり、
団長から「おつかれさまでした」の挨拶がある‥‥
と思いきや、
破傷風の予防接種や来週の予定、という
たんたんとした事務連絡でした。
いつも、そのおうちの人が
「ありがとう」と言い出す前に
スーッと団長は
いなくなってしまうようです。
アポイントはあるものの、
「勝手に行って、勝手に帰る」が
スコップ団の基本的なモットーなのだそうです。
秋になって、
避難地域の指定も少しずつ解除され、
スコップ団の活動は
これから徐々に変わっていくのかもしれません。
でも、「山下駅に、午前9時」
これはいまのところ変わらないようです。
参加したい方は事務局のページを
よくごらんになって、ご連絡ください。
この日の帰り、車の中で、糸井重里は
「スコップ団」という
チームの名前について、こんなことを
言っておりました。
「世の中の力仕事のなかで、きっと
“スコップ”の部分が
いちばんたいへんなんじゃないかな、と思います。
狙いを定める、スコップを入れる、
持ち上げて、動かす。
スコップは、いちばんたいへんだから、
スコップ団はいいチーム名だと思います」
きれいになったことを喜ぶ、家の方々の笑顔と
休憩時にやさしく声をかけてくれる
スコップ団のみなさんの笑顔を見ていると
なんとも言えない気持ちになります。
団長の平さんもおっしゃっていたように、
スコップ団の方々のなかには、
震災で大切な人を亡くされた方もいます。
目に映るものの向こう側に
みんながさまざまなものを見ながら
活動をしていることを思います。
でも、見るものはちがってもいいのです。
東京に戻って
スコップ団事務局の方から
こんなメールをいただきました。
「来て頂いた皆様が、泥だらけになり
“また来ます。”と言って下さった事を
思い出すと、今でも目頭や胸が熱くなります。
来年のいちごの時期には、
みんなで山元の
おいしいいちご狩りをしたいですね」
ほんとうに、そうなればいい。
山元町のこれから、
どんどんはじまっていきます。
いちごの農家も、
動き出す頃かもしれません。
また近いうちに、お伝えします。
(つづきます) |