|
─── |
以前なにかの取材記事で、山野井さんが
「自分の幸せ指数を計るとしたら、
120パーセント」
とおっしゃられていたのを読んだのですが、
今もご自身の生活を振り返ると、そうですか?
|
山野井 |
そんなこと言ったかなあ‥‥(笑)。
でも「120パーセント」かどうかはわからないけど、
自分が幸せだとは思いますね。
だって単純に、
たくさんモノを持ってるわけではないけれど
ぼくに「物欲」はないし。
「お金」も十分だし。
「思い出」も十分あるし、
「行きたい所に行ってる」し。
|
─── |
足りないものは、特にない。
|
山野井 |
そうですね。
「足りない」と言ったら、
じゃっかん指の力が足りない。
そのくらいです。
そうですね、もう少し指の力があったら、
ぼくは本当に、120パーセント幸せ。
|
|
─── |
後悔もない、ということですよね。
|
山野井 |
ないですね。
ぼくはこれまで常に自分が後悔しないように
やってきたと思います。
たとえばぼくは大きな山に登るときには、
毎回、登る前に
これから登る場所を見上げながら
「心底、あの頂に立ってみたいの?」
って自分に問いかけるんですね。
そうやって自分の気持ちを確認してから、
登りはじめる。
そうじゃなきゃ、万が一なにか起こったときに
もったいないですから。
|
─── |
非常に危険な行為でもあるから。
|
山野井 |
うん。だけど自分が
本気でその山に登りたくて行って
その上でなにかあったのなら、
それはもう、仕方ないとぼくは思うんです。
けれども「名声」だったり、
「お金」だったり、
「なにか人の目を引きたい」とか‥‥
わずかでも他の要素が理由で登って、
そんなときになにか起こったとしたら、
それほどもったいないことはないと思うんです。
|
─── |
ああー。
|
山野井 |
あ、ただ、ひとつ‥‥
唯一ぼくが自分で「失敗したな」と思うのは、
中学卒業後、高校へ行かずに
すぐにヨーロッパアルプスかどこかで
トレーニングを積んでいたら、
もうほんの少し、少しだけ
いいクライマーになれてたかなって、
ときどき思うんですけど‥‥
けど、それくらいですね。
後悔のようなことは、ひとつもないですよ。
|
─── |
山野井さんがこれまでずっと
「好きなことだけ」の生活を送れているのは
どうしてだと思いますか?
|
山野井 |
それはやっぱり、ぼくが
「恵まれてた」ということなんじゃないかと
思います。
たとえばぼくがどこかの貧しい国に
生まれてたとしたら、
「山行きたいんだ、山行きたいんだ。
ぼくは山だけが好きなんだ」
と言ったところで
こんな生活はできないわけでしょう?
もしくは
「山だけでいい。しがらみは、なにも要らない」
とか思ったところで、
たとえば親の介護が必要な状況になったら、
そんなこと簡単に言えないだろうし。
結局ぼくは、恵まれてきたと思うんです。
だからいつでもぼくは、
自分の今の境遇に感謝するしかないな、
と思ってますね。 |
|
─── |
ただ、「恵まれていた」部分もあるとしても
本などを読んでいると、山野井さんの生活というのは
山野井さん自身が「選んできた」部分も
大きいような気がするんです。
たとえば、
「お金を稼ぐだけのための仕事は一切せず、
代わりに節約したりしてうまくやりくりをして、
山ざんまいの生活をしてきている」ことって
やっぱり覚悟を持って選んでいるから、
できていることだと思うんです。
|
山野井 |
だけどそれは、なんとなく、ですよ。
ぼくはたぶん
「自分の生活は、好きな山に登っていられて、
写真をのんびり眺められる
静かな環境があれば、それでいい」
と思っているから、
それをしてきただけの気がするんです。
|
|
─── |
選んだ、というよりも、そうなった。
|
山野井 |
うん、ぼくはただ山中心の生活をしたくて、
そっちに進んできた、それだけなんじゃないかな。
ぼくは、他の人と違う行動をすることも、
特に気にならないですし。
日本って「ひとり」ということに
けっこう負のイメージがあるでしょう?
‥‥だけど、ぼくは、
「ひとり」とか「孤独」って言葉を聞くと、
なんだかニコッとする感じがあるんです。
「あ、自分だけでいいんだ」と思うとね。
|
─── |
山野井さんはもともと、
ひとりでいるのが好きなほうですか?
|
山野井 |
うーん、好きかどうかというよりも、
ぼくは基本的に
「孤独」や「ひとり」が
マイナスのものではない気がするんです。
たとえば森の中で、風が吹いて
木がザワザワしている場所で
「誰ともつながらないで、ひとりでそこにいなさい」
と言われたら、
ぼくはその状況を「いいな!」と感じると思う。
あと、森は動物や虫がいるから
寂しくないんじゃないか、とか思うかもしれないけど、
ヒマラヤとかの岩と雪と氷だけで、
風がびゅうびゅう吹いてるような場所で
「一年間、座っててください」と言われても、
ぼくはつらくないかもしれないなぁ。
まあ、腹はへるかもしれないけど。
|
─── |
山野井さんは、
「耐える力」が強いのでしょうか。
|
山野井 |
いや、ぼくはそういうとき
とくに耐えてないんだと思いますね。
よく、ヨーロッパの映画とかで
おじいちゃんたちが路地なんかに座って、
一日中ボーッとしてる姿とかありますよね。
あれ、なにをしているわけでもないけど、
気持ちいいんだと思うんですよ。
ひとりで座ってるときのぼくは、
そういうおじいちゃんたちの状態に近いと思う。
ボーッとして、風景と一体化して
「気持ちいいなあ」と思ってる、みたいなね。
|
|
─── |
山野井さんは、物事をマイナスから
捉えることをあまりされなそうですね。
|
山野井 |
そうだね。
「つらい」とか「耐える」とか
そういった発想はあまりしないかもしれない。
|
─── |
あえて、山野井さんにとっての
山における「マイナスの要素」をあげるとしたら
なにかありますか?
|
山野井 |
うーん、なんだろうなぁ。
‥‥もしトランシーバーとか持ってたら、
「そこから情報が入ってくること」とか?
持って行かないですけどね。
|
─── |
あ、「山じゃないなにか」が入ってくるとき?
|
山野井 |
うん。もしそういう状況になったとしたら
それはぼくにとって「マイナス」ですね。
たとえば山にいるときに
「ヨーロッパのこのあたりに
気圧の谷が発生しているから、
明日は、何時くらいに低気圧がやってきます」
なんて言われたら、
頭にその絵がバッと浮かぶわけじゃないですか。
その状況は、なんというか、
ぼくは生理的に嫌ですね。
|
|
─── |
「山と自分だけ」がいちばん、ですか。
|
山野井 |
うん、ずっとそうだったらいいんだけどね。
|
─── |
登っているときの山野井さんは、
どんなことを考えているんでしょうか。
「たのしい!」ですか?
|
山野井 |
登っているとき‥‥ああ、
そのときは登ることに集中してますね。
「たのしい!」ということも
すごく感じていると思うんだけど、
やっぱり「次、どうやって登ろう」とか、
「この準備をしておいたほうがいいかな」とか、
そういうことばかり考えている気がします。
‥‥ただ、リラックスはしてますよ。
ここにいるよりもね。
|
─── |
「ここ」というのはもしかして、
自宅にいるよりも、ですか?
|
山野井 |
うん。家とかだと基本的にぼくは
リラックスしきれないんでしょうね。
家よりも山のほうが「楽」というのかな。
落ち着いてるっていうか。
やっぱり、ぼくは登っているときの自分が
いちばん自然な気がするんです。
「帰ってきたな」という感覚もあるし。
居場所というか。
|
─── |
家よりも、山のほうが居場所。
|
山野井 |
もちろん、ずっと登ってると体が疲れちゃうし、
登りはじめたら、
いつかは下りなきゃいけないわけですけど。
でも、できるならぼくは本当に、
いつだって登っていたいんですよ。
変な話かもしれないけど、
たとえばぼくは、いつでも岩を触ってたい。
ただ寝転んでるだけでも、
ぼくは手を伸ばして、
近くにある岩のザラザラしたところを
グッと握りしめたいですから。
どんなときでも山や岩と戯れていたい。
‥‥そんな思いが、ぼくにはいつもあるんです。 |
|
(山野井泰史さんへのインタビューは
今回で終わりです。
お読みいただき、ありがとうございました) |