やなせ
ぼくは手塚治虫さんには、
すごく感謝してるんですよ。
『千夜一夜物語』がヒットして、
手塚さんは「やなせさんのおかげです」と言ってね、
英国屋で背広作ってくれたんだ。
そして料亭に招待してくれたんです。
そうしてですね、「やなせさんの好きな映画、
うちのスタッフを使って何でも作ってください。
お金は全部ぼくが出します」というんでね、
『やさしいライオン』というのを作ったんです。
そうしたら、何と大藤信郎賞をもらっちゃった。
そうしてアニメーションの世界に入ってしまうんです。
ところが、自分でやってみると、大変なんだよ。
いやぁ、アニメーションと普通の漫画と両方描くのは
とても大変。これはできない。
どっちかを捨てなくちゃいけない。
結局ぼくはアニメーションを捨てたんですけど、
手塚さんは両方やってたんですね。
あれは無理ですよ。
糸井
それで命を縮めたんでしょうね。
やなせ
あれで命を縮めたんだよ。
手塚さんが映画の絵コンテを描いてるでしょう?
すると、虫プロが呼びに来るんだよね。
「先生、来て下さい」って。
で、向こうへ行くと向こうでもやらなくちゃいけない。
また映画のほうへ来て‥‥これは無理ですよ。
『千夜一夜物語』の時に初めて手塚さんと一緒に
仕事をしたんだけど、大変! 寝ないんだ、全然。
赤坂の都市会館にですね、
スタッフ全部閉じこもってですね、仕事するわけですよ。
寝ないんだよ、全然。
糸井
みんなが?
やなせ
そう。手塚さんがそのうち倒れるように寝るんですよ。
スタッフも「あ、手塚が寝た。寝よう」って言ってね、
みんなで寝ると、3時間ぐらいで起き上がってくる。
「さあ、やろう」って。
これはたまったもんじゃないな、と思って。
糸井
たまらないですね。
やなせ
ほんとうに超人なんでね。
あんなに仕事すれば、死にますよ。
それでしかもね、チョコレートをしょっちゅう食べる。
おまけに、宴会の後、またラーメン食べに行くんだよね。
とんこつラーメンみたいなの食べるんでね、
「体に悪いから食べないほうがいい」って言うんだけど、
「こんなもの、大丈夫だよ、平気だよ」って言うの。
もうお腹、こんなに大きくなってましたよ。
だから結局病気になって倒れてしまった。
あんなメチャクチャな生活してたからだよ。
糸井
寝なくちゃいけないですよね。
やなせ
いや、ほんとうにすごい人だったな。
でも石ノ森もほとんどそれに近い生活だった。
あれ、仕事した挙句、家へ帰って、
さらにビデオを観てたんだよね。
家にビデオが山のようにあってですね、
内外の映画を全部あの人は観てたんですよ。
だから彼もほとんど寝る時間がなかったんじゃないか。
あれをやると、やっぱり命縮めますよ。
やっぱりね、死んじゃうとおしまいなんだな、
どんな天才でも。
だから水木しげると俺みたいに寝てるやつはね、
死なないんだよ。あっはっは。
糸井
だいぶ話していただいて、お疲れになったでしょう。
最後の「アホだったんだよ」っていうのは、
そう自分の口から言われる以外は言えないんですけど、
真似します。
「おれはバカなんだよ」って。
よく寝て、バカで。
やなせ
でも、あれだな。この世界にいて、
しかも広告業界にいて、よく長続きしてるな。
いや、これは大したもんですよ。
糸井
バカだったんです!
やなせ
この世界はほんとうに大変ですから。
ぼくも、一種の広告業界にいましたから。
糸井
三越の宣伝部で
デザインをなさっていたんですよね。
やなせ
デザインのこと知らなくて、
その気は全然なかったんだけど。
糸井
いつもそうですね(笑)。
やなせ
そもそも、芸大の油絵に行くと言ったら
反対されちゃったんです。
おまえ、中学校で少しぐらい絵がうまいっていうぐらいで
芸大に行ったって、絵描きになっても食えないと。
だから図案科ならいいって言われた。
だからぼくは東京高等工芸学校の図案科に入ったんですよ。
そうしたらですね、あの中は三つに分かれるんだけど、
成績のいいやつはインテリアデザインに行く。
たとえばトヨタの車の設計とか、
あるいは建築の中の設計とか。
そしてあとは、服飾関係に行き、
あとのどうしようもないやつが商業デザインに行く。
だから俺は商業デザインに行ってね、
電通へアルバイトに行ったりして、
宣伝の世界に入っていくんですね。
そうして三越の宣伝部にいたわけなんだけど、
だからこの世界の大変さはよくわかります。
たしかに、広告業界のギャラはけっこう高い。
いいんですよ。ところが著作権というのが
ほとんどない世界なんです。
たとえばいずみたくはコマーシャル作って、
ギャラはいいんだけど、どんなにヒットしても、
べつに著作権料は入らない。
“それっきり”っていう世界なのね。
三木鶏郎さんも、コマーシャルで
すごいヒットしたんだけど、同じですよね。
あの人はヒットソングもあることはあったけれど。
やっぱりこの広告業界っていうのは大変なんだよね。
いい時はひじょうに大金が入るんだけど、
パッと終わってしまえばまったくダメっていう。
糸井
ぼくはやなせさんのように
子ども(キャラクター)を産んでないですし。
やなせ
俺は結局、広告の世界よりも
漫画のほうがいいっていうことで、
そっちへ行ったんだけど、
まさかこういう仕事をやろうとはね。
しかも、これで食べさせてもらうようになろうとは
夢にも思わなかった。人生はわからんですよ。
糸井
「わからん」。
やなせ
しかし、この業界で、いまだに続いてるっていうのは
大したもんだよな。
ほんとうにこれはもう一種の天才児だね。
糸井
バカなんです。
いや、どうもありがとうございました。
先生、どうもありがとうございました。
やなせ
お会いできてよかった。
俺がね、もうちょっと元気な時にぜひ会いたかったんだ。
糸井
そうですね。それもありますけど、
でも、会えてよかったです。ありがとうございました。
子どもにも自慢できます。
ほんとうにありがとうございました。
(やなせさんと糸井重里の対談はこれでおわりです。
ぜひ『ユリイカ』やなせたかし特集号も
お読みくださいね!)
2013-08-14-WED
(C) HOBO NIKAN ITOI SHINBUN