矢沢永吉×糸井重里 スティル、現役。
矢沢永吉さんと糸井重里、
7年ぶりの対談です。

ほぼ日刊イトイ新聞創刊21周年の記念企画として
ほぼ日のオフィスで乗組員全員の前で
対談してもらえませんかとお願いしたら、
「いいですよ」とお返事が。

出会いのときから、ほぼ日創刊時の思い出、
そして紅白歌合戦の裏話から、
「フェアじゃないね」の真相まで!

じっくりたっぷりお届けします。ヨロシク。
第2回 涙が出ちゃったよね、ほんとに。
写真
矢沢
このイトイ新聞で、
こうやってふたりで話すのも
何回目ぐらいだろうね。
糸井
ちゃんと対談やるのは、5回目くらいかな?
取材したのも含めると、もっと多いね。
節目節目に会ってるんだよね、お互いの。
矢沢
うん、節目にね。
よく話すけど、一番大きな節目というのは、
やはりこの、イトイ新聞が立ち上がるときで。
それは、時を同じくして、
矢沢がちょうどオーストラリア事件で
まぁ、騙されて借金抱えて
ズタボロになってるころでね。
で、俺、日本、ちょっと離れる!
ってことで、アメリカに移ることになって。
糸井
そうだったね。
矢沢
もう、自分をもう一回、
見つめ直すぐらいのことを言って、
家族、大迷惑なのにぜんぶ連れて
ロサンゼルスに移って。
で、ちょうど糸井サンも‥‥
(聞いている乗組員たちに向かって)
あの、ぼく、ふたりだったら、
イトイのこと「イトイ」って呼んでるんだけどね。
糸井
(笑)
矢沢
人前だと、とりあえず「糸井サン」で。
一同
(笑)
写真
糸井
はい、糸井サンで(笑)。
矢沢
それで、糸井サンもあのとき、
イトイ新聞を立ち上げるんだよ、
って言ってましたよね。
「自分で発信する場所をつくるんだよ」って。
糸井
そうそうそう。
矢沢
自分の場所を持たないと、
いつまで経っても、
自分はこうしたい、ああしたい、
こう思う、と言っても届かないんだ、と。
だから、自分が発信する何かを持ちたい、と。
糸井
あのときのやり取りはよく憶えてるんだけど、
ぼくはスタジオでなんかの撮影してるときで、
電話が入ったから、
誰だろうと思ったら永ちゃんで、
「いま時間いい?」って言うから、
「あ、いいよ」って言って話してたら、
アメリカに住むんだっていう話で、
お互いいろいろ話してたら電話が終わらなくてね、
その撮影が終わって
つぎの場所に移動するタクシーのなかでも、
ずーっとそのまましゃべってた(笑)。
矢沢
そうだった?
糸井
2時間ぐらいはしゃべってたよ。
写真
一同
(笑)
糸井
とくに永ちゃんはもう、
しゃべること尽きないのよ、あのときは。
いろんなこと思ってるから。
で、ぼくも考えてることがあったからさ。
矢沢
矢沢は日本を離れようとしてる。
イトイはイトイ新聞を立ち上げて、
自分で発信しようとしてる。
それは、まさに我々の人生の
ターニングポイントだったわけだからね。
まあ、それが20年以上前?
糸井
うん。
矢沢
すごいよね。
糸井
けっこうめずらしいことだと思うんだけど、
ふたりともまだ「現役」じゃないですか。
こういう話をね、引退してから、
「20年前は‥‥」みたいに話すことは
いくらでもあるんだろうけど、
お互い現役のままで
こういうふうに話せるというのは、
なかなかめずらしいと思うんだよね。
矢沢
ま、そうね。
まだふたりとも現役でがんばっててね、
それは、いいですね。
糸井
永ちゃんがさぁ、すごい若いときに、
「50になってもケツ振って
 ロックンロールやってたい」
って言ってたじゃない?
あれって、どのくらいわかって言ってたの?
矢沢
いや、それはね、30くらいのとき。
言ったのは。
ステージの上からね、客席に向かって、
「俺は50になっても
 万単位のハコで歌ってやるから、
 『アイ・ラブ・ユー、OK』!」って言ったわけ。
糸井
うん。
矢沢
それで、あっという間に、
その言ってた通りの50になりました。
糸井
なりました(笑)。
矢沢
たしかに50になっても
矢沢はステージでやってる。
じゃあ、30のとき、わかってたのか?
‥‥わかるわけないじゃない。
写真
一同
(笑)
矢沢
30ぐらいの若造がね、そういうこと言うのは
ただのファッションだよ。
ほんとにそうなるかどうかなんてどうでもよくて、
「俺さ、50になっても万単位のとこで、
 『アイ・ラブ・ユー、OK』
 歌うよ、ヨロシク!」
みたいに言ったあとに、
「かぁ‥‥いいこと言うなぁ、俺」
みたいな感じで、自分に酔ってるわけ。
糸井
(笑)
矢沢
ところがだよ。
あっという間に50になって、
横浜の野外の、6万、7万って集まるところで、
『アイ・ラブ・ユー、OK』、
ほんとに歌ったわけ。
そしたら、涙が出ちゃったよね、ほんとに。
糸井
出たね(笑)。
矢沢
ほんとに『アイ・ラブ・ユー、OK』
歌ってるときに、なんか。
セカンドバースの、
「♪長くつらい道も」
って歌ったときに、
なんかこう‥‥クッときちゃったから、
こう‥‥こらえてたら、
見てるお客さんが、前の方から、
うわぁーって、こう連鎖反応で、
後ろに、波が広がっていってね。
糸井
うん、なったなった、あのときね。
写真
矢沢
まぁ、だから、さっきの話、
50になるの想像してましたか、
って言ったら、できてないよ。
もう、転がるように、日々転がるようにやって。
糸井
うん。
矢沢
糸井サンも、イトイ新聞で、
もういろんな人取材したり、
世の中のこれは絶対出すべきだ、
これをいま伝えなきゃならない、
ということ、いろんなことやってたら、
転がるように毎日が過ぎてましたね、きっと。
糸井
そうですね。
矢沢
で、60なんか想像なんかしてませんよ。
糸井
それどころか、また10年経って!
矢沢
どころか、ね。
糸井
ふふふふ。
矢沢
まだ、こうやってやってます。
今年ぼくは9月で70になります。
糸井
なりますねぇ(笑)。
矢沢
で、70になる2ヵ月前の7月に、
フェスやります。
それはもうチケット即完ですよ。
この70になるおじいさんのステージを
みんなが見てくれる。
で、暮れは、ノーマルなコンサート13本します。
糸井
うん。
矢沢
で、身体はバリバリかって言ったら、
いや、あちこちちょっと問題起きてます(笑)。
糸井
はい。
矢沢
でもねぇ、いいと思いますよ。
そんなこと言ったら、
このあいだミック・ジャガーも心臓の手術やって、
ドクターがGO出したから、
また全米ツアー行きます、って言ってるでしょ?
いや、ぼくねぇ‥‥いいなぁと思う。
糸井
いいなぁと思うよね。
写真
(どんどんつづきます。ヨロシク)
2019-06-07-FRI
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