糸井 |
そんなふうにいろいろ探しているときに
「ひまわり」を今更みたいに観ました。 |
淀川 |
ソフィア・ローレンですね。 |
糸井 |
かみさんが前から
「ひまわり」が一番泣けるって言ってて。
「何だろう、それ?」と思ってたんですよ。
それこそね、ぼくはそういう、
ヨーロッパの映画、好きじゃないって
知ってるから、
「あなたは観ないでしょう?」
っていう言われ方をしてたんです。
で、‥‥こっそり観たんですよ。 |
淀川 |
(笑)。 |
糸井 |
そんなに言われるんだったら、
俺がつまんないっていう理由を
教えてやろうじゃないかと思って観たら、
もう‥‥感動しちゃって。
しかもほら、何て言うの、
女側なんだけど、
男側の悲しみが同時に描けているでしょう。 |
淀川 |
ええ。 |
糸井 |
で、ただ一面の、ひまわり畑。
ちょっと泣けてきます、言ってても。 |
淀川 |
(笑)。 |
糸井 |
たまらなかったですね。
ああいうのを探しては人にこう、
薦めてみたい気持ちがあるんですよ。 |
淀川 |
そしてやっぱり「旅情」ですよ。 |
|
糸井 |
「旅情」ですか。 |
淀川 |
うん、「旅情」。
「シェルブールの雨傘」も「冒険者たち」も
「旅情」も、他愛のない話なんですけども、
よき時代の映画ですよね。
映画観て、ほんとに良かったなって思える、 |
糸井 |
他愛もないですよっていうのは
知ってるんでしょうね、観客ってね。
知っているけど、その他愛のなさっていう、
シンプルな木のおもちゃみたいなものに
全てを込められるっていう、
精巧なプラモデルと
木で簡単に作ったしろくまの玩具と、
どっちが他愛もないかなんていうのは
分かりゃしないと思うんですね。
みんなが、リアリズムの方にいったり、
どれだけディテールが描けてるかって
言うんだけど、
それはその監督の趣味なんで、
その、他愛もないですよっていうところで
みんながどれくらい、
受け手として進化できるか。 |
淀川 |
はい、そうですね。 |
糸井 |
そういえばあれですよね、思えば美代子さん、
若い子が読む雑誌とか作ってたから。 |
淀川 |
そう。 |
糸井 |
そこのやり取りは
ものすごくなさってるでしょ、きっと。
ずっと編集の生活をなさってきて、
読んでくれる方と、
自分の考えとっていうのが
必ずしも一緒であるはずがないわけで、
で、そこで貰ったりプレゼントしたり
っていう繰り返しを
ずっとなさってたと思うんです。
その面白さみたいなものと、
淀川長治さんが映画について
テレビで解説してる面白さと、
もしかしたら共感できるのかな。
そういうふうに、
思ったことはないですか? |
淀川 |
うーん、わたしは違いますね。
叔父は叔父で、
わたしなんかはもっと
下の方のものですので。 |
糸井 |
でも似たことですよね、思えば。 |
淀川 |
相手から受け取るっていうのは
わたしの場合は楽しんでもらえて、
買ってもらうっていうことだと思うんです。
単に、何冊買ってもらえたか、
っていうことで、
叔父の場合はもう自己完結じゃないですか。
自分がうまく、いかに映画の面白さを
伝えたかっていう。
誰がどこでどう喜んでくれたか、
っていうのは、あんまり。
視聴率とかたまに気にはしてましたけど。 |
糸井 |
あ、そういう、昔のご隠居さんの
道楽みたいなところが
同時にあったんですかね。 |
淀川 |
どうなんでしょう、
喋ることが好きなんです。
とにかく映画の話をする。
わたしなんかを相手に
もったいないからしなくていいのに、
すっごく、するんですよ。
篠山先生が一回写真、撮りたいって
言ってくださっていらしたときに、
少なくても二時間ぐらい映画の話を
してるんです!
篠山先生が「もったいないなあ、
もっと皆に聞かせたいなあ」
って(笑)。 |
糸井 |
はあ! |
淀川 |
もうすっごく、話すのが好きなんですね、
映画の話をするのが。 |
糸井 |
それは何て言うか、
いい意味でアマチュアとも言えますね。 |
淀川 |
そうですね、だから多分、
死ぬのは無念だったと思いますよ。 |
糸井 |
ずっと映画の話を‥‥、 |
淀川 |
延々喋っていたかった、と思います。
ずーーっと。
ほんとに無念だったんじゃないのかな。 |
糸井 |
それって、一生‥‥として
すごく幸せですね。 |
淀川 |
幸せですよ。わたしもつくづく
叔父は幸せだと思います。
だって、50何歳から花開いて、
89歳までずーっと脚光浴びてるんですよ。
こんな言い方、変かもしれないですけど、
ずーっと、自分の中で、華やかだったんで、
とても幸せだったんじゃないかなって。
映画があったおかげだっていうふうに
思うんですよ。 |
糸井 |
死ぬのを残念だっていうふうに
最後に言える人って
やっぱりすごく幸せな人ですね。 |
|
淀川 |
叔父は言ってはいないですけど、
きっと思ってると思います。 |
糸井 |
そうですね、ずっと喋ってたかったって。 |
淀川 |
そう、ずーっと
喋ってたかったと思いますよ。
病院でもいつも喋ってましたもん、
病院でもビデオ持っていって、
これはどうのこうのって。
元気なときですけれどね。 |
糸井 |
(笑)そういうときは毒舌になるんですか? |
淀川 |
いや、毒舌になりました!
だいっ嫌いな映画とかありましたしね。 |
糸井 |
そうですか。その、
病院の生活っていうのは長かったんですか? |
淀川 |
いや、短かった。
2回ぐらい入院したんですけど、
えっと、最後は‥‥3ヶ月ぐらいです。 |
糸井 |
そうですか。その後で
花開くっていう人生についても
珍しい方ですね。 |
淀川 |
そうですね。後で花開くって
すごく理想じゃないですか。
多分その『映画の友』とか、
やってたときもこの人なりには
花開いていたと思うんですよ。
30代から50代まで。 |
糸井 |
でもみんなが聞いてくれるっていうのとは
違いますよね。 |
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(つづきます) |