- 糸井
- ここにいる「田中泰延さん」のことを、
ものすごく端折って説明すると、
映画が大好きで、
小説もたくさん読んだりしている人で。 - 塩野
- ええ。
- 糸井
- 好きが嵩じて
ネットに映画評を書いたりしていたら、
みんながおもしろがって、
「今度は、あの映画について、
田中さんの書いた文章を読みたい!」
とか、いつの間にやら
無理難題を突きつけられるようになり、
今では、夜な夜な、
その難題に答え続けている人なんです。 - 塩野
- へえ(笑)。
- 糸井
- ぼくも、そのうちのひとりでして、
難しそうな映画でも、俗っぽい映画でも、
この人の表現や言葉で書くものだから、
読んでいて、すごくおもしろい。
なので、田中さんだったら
この『中国の職人』をどう読むかなって、
すぐに思ったんですよ。 - 塩野
- なるほど。
- 糸井
- そんなわけで
とにかく読んでみてと渡したんですが、
田中さん、
いかがでしたか。お読みになってみて。 - 田中
- 突然ポンッと頂戴いたしまして。
- 糸井
- はい、すいません(笑)。
- 田中
- 何もわからないまま、
ひとまず、読みはじめたわけですけど、
出だしのところで、
「ここに登場していただく6人は、
中国の人間国宝にあたる人たちである」
と、急に言われまして‥‥。
- 糸井
- ええ(笑)。
- 田中
- 「え、人間国宝? 何?」という感じで
読みはじめたのですが(笑)、
短くないのに一気に読んでしまいました。 - 塩野
- ああ、ありがとうございます。
- 田中
- 驚いたのは‥‥抗日運動、国民党、共産党、
文化大革命、大躍進、
そういった国家的・社会的な大事件と、
職人の技術の上達や断絶などが、
かなり密接に、関係していたことです。
時間軸の流れに対して
中華包丁でズバッと真横にぶった切られて
伝統や技術が断絶しそうになる、
そういう歴史が、全員に共通していました。 - 塩野
- そうですね。
- 田中
- 6人の職人さんの間には
当然それぞれ違う部分もあるんですけど、
危機の乗り越え方には、
どこか、共通点があるように思えました。
そのあたりが、読んでいて
特にスリリングで、おもしろかったです。 - 塩野
- そう読んでもらえたらいいと思って書いたので、
うれしいですね。 - 糸井
- さすがでしょう?(笑)
- 塩野
- でも、そのことは、狙ってやったわけじゃなくて、
取材をしてみたら、
たまたま、まったく同じ社会状況を
別々の場所で体験していた「庶民」だったんです。
6人全員がね。
- 糸井
- なるほど。
- 塩野
- 国民党の軍医の娘さんという人が、
泥人形を作るおばあちゃんとして出てきますけど、
その方は、特に謙虚です。 - 糸井
- 国民党、つまり「負けた側」だからね。
- 田中
- 「身分が悪い」って表現してましたね。
- 塩野
- そう、「黒五類」だとか
身分を表す名前に「黒」がついてしまうと
一生うだつが上がらない‥‥とね。
現代の中国の学生に聞くと
「いや、そんなことはないと思いますよ」
って言うんだけど、
たぶん、若い人が知らないだけなんです。 - 糸井
- 政治的な変化が、それぞれの人々の人生に
多くの影響を及ぼしているんだけど、
洪水とか大火事のような
自然災害かのように語りますよね、みんな。 - 塩野
- どなただったか忘れましたけど、
「日中戦争のときには、
このあたりも
日本軍が通り過ぎていったと思いますが、
どうしていましたか。
恨みに思っているでしょうけど」
と聞いたら
「頭を下げてれば終わるだろうと思ったよ。
で、意外に早く終わったんだ」
って言うんです。
- 糸井
- へえ‥‥。
- 塩野
- 「じゃあ文化大革命のときは?」と聞いたら
「もっと長く‥‥
20年は続くんじゃないかと思ったけど、
頭を下げてたら、
そんなには長くかからずに、終ったよ」と。
そうか、この人たちはみんな、
激動の中を、
そんなふうにしてやり過ごして、生き残って、
今、話をしてくれてるんだなと。 - 糸井
- 津波を語る人たちと似てますね。
- 田中
- ぼくが読んでいておもしろかったのは、
文革のときに
「そうこうしてるうちに林彪が死んで、
四人組もいなくなって、
いつの間にか終わってしまいました」
というくだりで。
あまりに淡々としているので、
「え、そんな雑なまとめ?」という(笑)。
- 糸井
- 映画のナレーションみたい(笑)。
- 塩野
- で、そんなふうに暮らしてきた職人が
突然「人間国宝」みたいな待遇になって、
大金持ちになっちゃうんです、みんな。 - 田中
- ええ、ものすごい大逆転ですよね、本当に。
人形作りの人以外は‥‥ですけど。 - 塩野
- そう、人形は、あまりお金にならないって。
でも、急須をつくっている人たちの家は、
本当にものすごいんですよ。御殿が建って。 - 糸井
- そんなにですか。
- 塩野
- もう、広い庭の真ん中に東屋が建っていて、
「曲水の宴」をやれるような‥‥。 - 糸井
- うわあ。
- 塩野
- 急須の人間国宝の家は、そんな感じでした。
- 田中
- 兄弟で急須を作っているお兄さんなんて、
高値で取引されてる自分の急須を、
自分で買い戻して家に並べるという‥‥。
それくらいお金があるってことですよね。 - 糸井
- 自分美術館(笑)。
- 塩野
- 家に防犯装置がついてた(笑)。
- 糸井
- たまたまかもしれませんが、
職人たちのつくるものが「急須」だった、
というのも、またおもしろいですね。
つまり、中国では、
何が贅沢で、何が資本主義的であって、
何なら許されるのか‥‥という。 - 田中
- 必ず、その問題に巻き込まれますよね。
お茶をいれてゆっくり飲むような輩は
「ブルジョワジー」だから、
急須はまかりならんという波が来たり。 - 塩野
- あの人形に絵をつけている
王南仙さんという職人さんの家は
「茶館」だったわけです。
そこへ、お客を集めて、芸人を呼んで、
音楽聴かせて‥‥お茶を飲ませて。
そういうことを、やっていたわけです。 - 糸井
- ええ。
- 塩野
- その一方で、彼女の旦那なんか、
「俺、下放に行ってくるわ」と言って、
田舎へ行って、
帰りにたくさんの野菜を持ってきた。
だから「あれは、いい下放だった」と
彼女は思っている節がある。 - 糸井
- 自分から進んで行った「下放」なんだ。
- 塩野
- そう。また別の名人のおばあちゃんは、
「下放は大変だったわ。赤ん坊もいるし」
とか言っていて、
そんな2人が一緒に仕事をしてるんです。
- 田中
- 2歳ぐらいのときに、日本兵に、
かわいいから連れ去られてしまったけど、
いい服を着せて帰してもらったとか。 - 塩野
- そう、洗って帰されたって言ってた。
- 糸井
- 塩野さんの聞き書きならでは‥‥なのか、
こういう話って、
あまり聞いたことのない類の話ですよね。 - 田中
- どういう出来事なんだ、という(笑)。
みんな淡々と話してますけど、
けっこう大事件ですよね、よく考えたら。 - 塩野
- 戦争中に娘が連れ去られてしまうなんて、
村長さんとか偉い人たちが、
交渉しに行かなきゃいけないことです。 - 糸井
- 勇気を出して交渉に行ったわけですね。
- 塩野
- そしたら、きれいになって、
いい服を着せられて帰ってきた‥‥と。 - 糸井
- どういう話なんだそれは、という(笑)。
アニメ映画の『この世界の片隅に』にも、
ちょっと
似たような雰囲気があるんですけど、
これまで「戦争」って、
イデオロギーや思想みたいな描き方しか、
ゆるされなかったんですよね、なかなか。
- 田中
- ああ、そうですね。
- 糸井
- だって戦争なんだから‥‥ということで。
でも、そうすることで、
見えなくなっちゃう話もあるんですよね。 - 塩野
- 中国の庶民の話を聞いていると、
しょっちゅう大災害が起きてるんですよ。
で、食べるものがなくなってしまうんで、
「畑の草」を食ってたりするんです。 - 糸井
- へぇー‥‥ええ。
- 塩野
- というのも、国中が食料に困ってるから、
「役人」と称する悪い輩が来て、
わずかな食料も持っていっちゃう‥‥と。
そこで庶民たちは
いっぺんにぜんぶ差し出してしまったら、
「用済み」になって、
殺されてしまうかもしれないので、
少しずつ、あげるんですって。 - 田中
- リアルな話だなあ。
- 塩野
- そうやって自分は草を食いながらでも、
悪党に襲われたら
「これで勘弁してください」と言って、
彼らの今があるんです。
そうやって日々を生き抜いてきた人が、
今でも残っていて、
そのときの話を語ってくれてるんです。
- 糸井
- おもしろいなあ‥‥ふつうの人の話。
<つづきます>