- 糸井
- 塩野さんは「中国の職人」というテーマを
見出して原稿を書いたわけですが、
同時に「中国の民衆史」にもなってますね。 - 塩野
- 中国は1999年、21世紀を迎えるにあたって
伝統を活かした国づくりをしよう、
ということを、大きく掲げたらしいんですね。
で、ぼく、呼ばれて行ったんです。中国に。 - 糸井
- ほう。
- 塩野
- あちらの大学の先生だとか研究者たちと
日本の伝統や職人の技は、
どういうふうにして維持されてきたのか‥‥
とかについて、話してきました。
で、ぼくはぼくで、
中国の職人さんに会って話を聞きたいと、
ずうっと思っていたんです。 - 田中
- 日本の職人と同じように。
- 塩野
- 理由は、1949年に新制中国ができたあと、
文化大革命を経たら、
さまざまな職人の「お師匠さんたち」が、
粛清されてしまったんです。 - 糸井
- あー‥‥つまり、伝承が途絶える。
- 塩野
- そう、お師匠さんがいなくなるというのは、
どんな社会でも、
そうそう直面したことのない事態ですよね。
つまり、職人の徒弟制度において、
「技の伝授」の術が途絶えてしまった国は、
いったい、どうしてるんだろうと。 - 田中
- その話、すごくおもしろそうです。
- 塩野
- もともと自分は、
日本の徒弟制度に興味があったんです。
人から人に何かを伝えていくためには、
本や教科書では無理だ‥‥
ということが、実におもしろいなあと。 - 糸井
- ええ、わかります。
- 塩野
- ちなみに、イギリスでも
聞き書きをやったことがあるんですが、
あの国では、産業革命のときに
「手仕事の伝授」が、なくなっていた。
日本に聞きたいくらいだ、と言ってた。 - 糸井
- そっちでは「機械」に奪われてるんだ。
- 塩野
- じゃあ、僕らの「お師匠さん」は、
ということで、中国へ行ったんですよ。 - 糸井
- 日本以外の国でも「技」というものは、
同じように、
人から人へ伝えるのが基本ですよね? - 塩野
- うん、教科書やビデオだけでは、
絶対に伝わらないだろうと思うんです。 - 糸井
- 人から人へ何かを伝えていくときには、
間違った方法も、
たくさんあったと思うんですけど‥‥。 - 塩野
- そもそも「お師匠さん」「親方」って
教育者じゃないから、
「教えかた」は知らないんですよ。
それに、
「自分たちの利益」にもなりますから、
「弟子をとる」ということは。
- 糸井
- つまり「下働き」をさせられるから?
- 塩野
- そのとおりです。
家の掃除や子守りの手間が省けますよ。
でも、それにも理由があって、
まずは仕事場の雰囲気や空気なんかに
馴染まないといけないんです。 - 田中
- 人と人の間で、はたらくわけですものね。
- 塩野
- 食事ひとつとってみても、
何時に、誰と、何を食べるのか‥‥とか、
そういう生活全体を含めて
「職業」は手に入れられるんだ‥‥とね。 - 糸井
- まずはそこからだ、と。
- 塩野
- 現場ではたらいている職人にしてみたら、
邪魔なわけです、簡単に言うと。
弟子なんて未熟で、何もできませんから。 - 田中
- で、何ができるんだと言ったときに、
子守りや掃除や、
奥さんのお手伝いくらいだろう、と? - 塩野
- そうそう、で、教わりに来てるほうが、
「こんなことじゃなくて、
かんなのかけ方を教わりたいんです」
と思っても「まだ無理だよ」と。
「まだ、そのための身体ができてない。
疲れて嫌になるのがせいぜいだ。
だから、しばらく掃除で我慢してろ」
というのが、師匠や親方の言い分。
- 糸井
- 身体。
- 塩野
- その教え方だって、
ゲンコツやトンカチが飛んでくるから、
それが嫌で、
辞めていった人たちもたくさんいます。
そういうものだったから、
徒弟制度へ弟子入りするということは、
覚悟して行くことだったんです。 - 糸井
- ぼく、今の話とはまったく逆の現場を、
見たことがあるんです。
つまり、伝統芸能をデータ化しようと、
人体に電極をつけて、
「能の動き」をライブラリー化するという
プロジェクトを見学したんです。 - 塩野
- ええ、ええ。
- 糸井
- それって、どういう意味があるんだろう?
一連の動きを
ひとつひとつの「単位」に分解したら、
能の動きを再現できる‥‥って
考えていたようだけど、
それは、難しいんじゃないかなあって。 - 塩野
- でも、そう考えがちなのかもしれないね。
日本の民謡や踊りについては、
そういうライブラリーができてますから。 - 糸井
- あ、あるんですか。
- 塩野
- ありますね。
おかげで民謡が壊れたんじゃないかなと、
ぼくは、思ってるくらいだけど。 - 田中
- 解析してデータにすることで、
能を踊る人間の動きが伝えられるかって、
難しいでしょうね、それは。
- 糸井
- 技や技術というものは、
すでに人体の一部になってるわけだしね。 - 塩野
- そうです。
その人の動きであり、指先の感覚です。
たとえば、
「平らである」とは、どういうことか。 - 糸井
- ええ。
- 塩野
- 「いくら直角の定規をあててみて、
平らだと言っても、
身体の感覚で平らじゃなければ、
平らじゃないんだ」
と師匠に言われて、弟子は茫然とする。
そこで、親方の身体と指先の感覚を
丸ごと受け取るために、
5年や10年の修業の覚悟を決めるんです。
そうしないと「技術」は伝わらない。 - 田中
- ええ、ええ。
- 塩野
- それを、データだけ取り出して‥‥とか、
ラクしようと思ったら、
伝統や技術はどんどん薄っぺらくなって、
100ワットだったものが、
いずれ豆電球になっちゃうかもしれない。 - 糸井
- 3Dプリンターなんてものもできたし、
「楽の茶碗」だって
形だけなら同じものが作れるわけです。
でも、それって種類が違いますよね。
「生き物」と
「生き物じゃないもの」ほどの違いが、
そこにはあると思う。
- 塩野
- 代用品でも十分に楽しいと思える人は、
それでいいんでしょうけど。 - 糸井
- 棲みわけですね、そこは。
- 塩野
- だから、代用品の文化のもとでは、
足りてない部分は
基本的に「人の我慢」で補うんです。
つまり、大量にものを売ってる店で、
1000円の鍬(くわ)を買ってくる。 - 糸井
- 鍬。
- 塩野
- つまり「鍬」という道具は、
本来、一人ずつ注文するものだったんです。
それを使う人の背丈はもちろん、
その土地にどれだけ石があるか、なんかも
考慮に入れて作っていたんです。 - 田中
- へえ、そうなんですか。
- 塩野
- だんだん農作業が機械化されていくと、
「まあ、いいか」となって、
みんな、そのへんで
1000円の鍬を買ってくるようになる。
すると、こんどは、人間が、
鍬に合わせて、動かなければいけない。
- 糸井
- あー‥‥なるほど。
- 塩野
- 昔は自分の身体に合った鍬だったので、
土もサクサク切れて、
作業も、楽しかっただろうなあと思う。
でも、身体に合ってない代用品だから、
作業だって、辛くなるんです。 - 糸井
- 今の話は、ものすごく実感があります。
コンピュータが発達して、
どれだけ仕事が楽になるかと思ったら、
みんな、
コンピュータに合わせてはたらくのが、
今の時代ですから。
<つづきます>