- 糸井
- 人の手から人の手へと伝えていくものを
塩野さんは、
たくさん見てきたわけですけれど、
当然、残るものもあれば、
残らなかったものもあったわけですよね。 - 塩野
- 目の前で消えていったものも。
- 糸井
- ありましたか。
- 塩野
- 北海道に道産子という馬がいます。
あの馬を使って、
荷物を運んでいる人がいたんです。
- 糸井
- ええ。
- 塩野
- 函館のちかくに住んでいたおじさんで、
馬は、ふだんは山に放しておくんです。
すると、勝手に笹を食って成長して、
ひと冬を越したら、
一頭、子馬が増えていたりするんです。 - 田中
- へえ。
- 塩野
- その馬に荷物をつけることを、
駄載(だんづけ)って言うんですけど、
炭俵何俵とか、丸太10本とか、
馬に嫌がられないよう、
ササッと積まなきゃならないんです。
しかも、右と左とで対称に積まないと、
馬が荷を蹴ったりして危ない。 - 糸井
- つまり、そこに「技術」があると。
道産子って、ちいさい馬ですよね。 - 塩野
- 正式登録するためには、
寸法が「135センチまで」だったかな、
大きさの基準があるんです。
それと、歩き方にも特徴があって、
多くの道産子は、
右なら右、左なら左の前脚と後ろ脚を
同時に出すんですよ。 - 糸井
- へえ。
- 塩野
- そうやって歩くことで、細い山道でも、
身体を揺らさず、
荷物を運んでいくことができるんです。
で、そうやって歩けないと、
道産子として正式登録できないんです。 - 田中
- へぇー‥‥知らなかったなあ。
- 塩野
- その函館のちかくに住むおじさんは、
馬の両足をつないで、
そうやって歩くように訓練する人で、
硬いロープで
あっという間に荷を積んだりできる。
で、あるときに、その人を
二子玉川の高島屋のホールに呼んで、
公開インタビューをやったんです。 - 糸井
- へぇ、ニコタマに。
- 塩野
- そのとき、おじさんには
道産子を、連れてきてもらったんです。 - 田中
- 道産子が! ニコタマのデパートに!
- 塩野
- 来たんです。3頭。
で、おじさんはいつもやってるとおり、
河原に道産子を放しました。 - 田中
- うわ、多摩川に!?
- 塩野
- 「なんぼでも食え、草いっぴゃあある」
って言って。 - 糸井
- 最高(笑)。
- 塩野
- そしたら誰かが警察に通報したんです。
馬が草を食ったら悪いのかどうか‥‥、
ぼくには、わかんないんだけど。 - 田中
- 「害」は、とくになさそうですけど‥‥。
- 塩野
- そう、高島屋のホールへ行くのに、
馬をエレベーターに載せたら驚いちゃって
ウ◯コしたんですけど、
ま、害といえば、それくらいかな。 - 糸井
- いい話だなあ(笑)。
- 塩野
- で、そのおじさんが
馬に荷物を積むところをホールで実演して、
「こんなふうに、やるんだ」って。
おじさん、そのときに
「もう、俺以外にはできる人がいない」
って言ってたんですけど、
しばらくしたら、その人、
急に山の中で亡くなっちゃったんです。 - 糸井
- ああ‥‥で、あとに何も残らなかった。
- 塩野
- そう。
その人は現役で苗を運んでいたんです。
山奥の細い道は馬しか運べないんです。 - 田中
- そんな人が、人知れず亡くなったから。
- 糸井
- ぷっつり途絶えちゃったんですね。
はぁー‥‥そんな例は
きっと、山ほどあるんでしょうね。
- 塩野
- ええ、後継者のいない仕事だらけです。
いまの職人の世界なんて。 - 糸井
- 現代って、塩野さんの感覚からすると、
伝統技術の継承という意味では、
最後の時代、という感じがしますか? - 塩野
- うん、1964年の東京オリンピックが、
ひとつの境い目だったと思います。 - 糸井
- あ、そうですか。ひとつ前の東京五輪。
- 塩野
- ぼくの聞き書きの仕事は、
ひとつひとつの職人の話がおもしろくて、
ここまで続いてきたんですが、
集めてみたら、徒弟制度の問題をはじめ、
いろんなことを感じるんです。 - 糸井
- と、言うと?
- 塩野
- たくさんの日本人を取材して思ったのは、
素敵な人たちだなあ、ということ。
日本人の、この素敵で生真面目な精神は、
どうやって生まれてきたのかな。
最初は「この人だからだ」と思っていて。 - 糸井
- 個人の問題だ、と。
- 塩野
- でも、そういう人が20人も集まったら
「もしかしたら、
職人という人たちには、
似てるところがあるのかもしれない」、
100人になったら
「もしかしたら、
日本人だからってことがあるのかも」、
そう思うようになってきました。 - 糸井
- なるほど。
- 塩野
- 同時に、ぼくら日本人に仕事を教えてくれた
中国の人たちはどうなんだろう‥‥と。 - 田中
- そこが、あの原稿の出発点だったんですね。
- 塩野
- そう、中国の徒弟制度を知っている人たちが、
存命のうちに、お会いしたかった。
そこで、日本の「人間国宝」にあたる、
たたき上げの職人時代を過ごした人を集めて、
日本人と中国人のあいだで、
「ものをつくる」という一点において
どこがどう、違うのか‥‥。 - 田中
- ええ。
- 塩野
- そういうことをまとめてみようと思ったのが、
あの原稿の、きっかけだったんです。
<つづきます>