- 糸井
- 塩野さんは、今回の原稿を書くのに、
のべ何日くらい、かかってるんですか。
- 塩野
- 何年‥‥という感じですかね。
- 糸井
- そうか。何度も行ってるわけだから。
- 塩野
- そうですね。まず、
話を聞く人を見つけなきゃいけない。
1999年に中国へ行ったとき、
徐秀棠さんという急須を作るおじさんに
出会いまして、
その人から、広がっていきました。
お兄さんも名人だったので、話を聞いて。
- 田中
- でも、たしか、お兄さんは、弟さんより、
だいぶ後に人間国宝になったんですよね。 - 塩野
- そう、原稿に出てくる周さんの息子の
高さんという人は
日本で陶芸を学んでるんですが、
今、中国で‥‥ということはつまり
世界でも
いちばん値段の高い急須を作る人です。 - 糸井
- それは、いくらくらい‥‥。
- 塩野
- 1500万円。
- 田中
- ‥‥急須が?
- 塩野
- 急須が。
- 糸井
- ふわー(笑)。
- 塩野
- 完全に投機の対象になってる、急須が。
だから、文革みたいなことが起きたら
「あいつは走資派だ、悪いやつだ」
ということで、
真っ先に、批判されてしまいそうな人。 - 田中
- 急須一個が、1500万円‥‥。
- 塩野
- まあ、とにかく、そのような感じで、
訪ねて行った人から人へと、
つながっていったということですね。 - 糸井
- そんなふうにして、何年くらい?
- 塩野
- この原稿のためには、6年くらい。
- 糸井
- 出来上がりのかたちというのは、
取材の最中は、見えてないわけですよね。 - 塩野
- 何人に話を聞くかもわからずやってます。
しかも、取材の途中から、
中国で、反日運動がはじまったんですよ。 - 糸井
- ああ、ありましたね。
- 塩野
- ぼく、そういうときには、
だいたい中国にいるようにしてるんです。 - 田中
- え、「いるように」してる?
- 塩野
- はい、わざわざいるようにしてるんです。
というのも、
テレビのニュースでは反日って言うけど、
ほんとかなぁと思ってるんで。
- 糸井
- つまり、ご自分でたしかめに。
- 塩野
- そのときは、中国に住んでいる友だちに、
ラーメン屋へ連れてってもらったんです。 - 糸井
- ラーメンというのは、
つまり日本食のラーメンのことですね。 - 塩野
- お昼どきで、みんなラーメン食べに来てて、
テレビのニュースでは、
反日真っ盛りのはずなんだけど、
みんな、ラーメン食ってるじゃん‥‥って。 - 糸井
- なるほど。
- 塩野
- ぼくも中国人と一緒になって食べてました。
そのときは、危険だからということで、
床屋さんへ行って、
中国の人みたいにカットしてもらったけど、
そんなの、みんなわかってた(笑)。 - 糸井
- ああ、バレてたんだ(笑)。
- 塩野
- だから
別に変装なんかしなくても大丈夫だよって、
思ったことがありました。
中国に住んでいる友だちは、
けっこう中国人に見えたかもしれないけど、
ぼくは、明らかに日本人なんです。 - 田中
- 髪型だけ変えても。
- 塩野
- でも別に「帰ってくれ」とも言われないし、
お酒を頼めば、出してくれましたし。
だって、お金になるんですから。
そういうところでは、リアルが勝つんです。 - 糸井
- わかりやすいですね。
- 塩野
- 町の入口には「反日」って書いてあるけど。
- 糸井
- でも、食堂のおばちゃんにしてみたら、
カネさえ払えば
「おまえに食わせるタンメンはねぇ」とか、
絶対に言わないわけですね(笑)。 - 塩野
- 言わない。言われるとすれば
「タンメンだけでいいの? ほかに注文は?」
だと思いますよ。
ただ、その時期は、
予定していたインタビューの人たちには、
みんな、断られちゃったけど。 - 糸井
- 理由は何と?
- 塩野
- 日本人はうちの村に来ないでほしいって。
約束の日に行ったんだけど、
「いや、村に入って来ないでくれ」って。 - 糸井
- それは‥‥世間の目ですか?
- 塩野
- そうです、完全に。
必ずしも本人たちが反日なわけじゃなく、
もっぱら「世間」です。 - 田中
- 中国にも「空気」って、あるんですね。
- 塩野
- そう、空気。それも国全体の空気なんて
あの人たちに関係なくて、
隣近所の空気が、やっぱり大事なんです。
- 糸井
- 怖いと思うことはなかったですか。
- 塩野
- まったくなかった。
鈍感ってことがあるのかもしれないけど。
ただ、
日系のデパートが焼かれたりもしてたし、
日本大使館前の地下鉄の出口からは
出られないよとか、
まあ、そういうことはありましたけどね。 - 糸井
- 反日運動のときに、
わざわざ中国へ行ってみるっていうのは、
どこか「聞き書き」的ですよね。 - 塩野
- 国やテレビが言ってるようなことって、
実際の中国の庶民レベルでは
ちょっと違うだろうと思っているので。
そういうときは、 できるだけ、行くようにしていました。
<つづきます>