- 糸井
- 塩野さんの本、中国で売れてるんですね。
- 塩野
- そうなんです、じつに不思議なことにね。
1999年に取材で行った翌年、
つまり2000年に、
『手業に学べ』の中国語版が出たんです。
- 糸井
- ええ。
- 塩野
- その本は、すでに絶版になっているので、
みんなが高値で競い合って、
いま大学の先生が読んでくれてたりする。
ぼくが訪ねていくと、
「この本を書いたのはおまえか?」って、
本を持ってくるんです。 - 糸井
- どんなふうに読まれてるんですか?
- 塩野
- なんでも「心の問題だ」って言うんです。
ようするに、中国の人たちから見ると、
日本人の職人たちが
自分たちと同じように貧乏して、
修業に耐えて、
ようやく何かを作れるようになったとき、
日本人たちは
絶対に人を騙さないものを作る‥‥って。 - 田中
- そういうところを、見てるんですか。
- 塩野
- 日本人は、苦労して作っても、
品物の質が悪かったら絶対に売らない。
ちゃんとした素材を手に入れるまでは、
作業をはじめない‥‥とか、
そういう話、
中国のインテリ層や大学生が読んでる。 - 糸井
- おもしろいですね。
- 塩野
- 東京オリンピックの年は、
昭和39年、西暦で言うと1964年です。
その翌年に僕は大学で上京したんですが、
東京の空は「スモッグ」だった。 - 糸井
- そうでしたね。
- 塩野
- いま、北京へ行くと同じような状況です。
北京オリンピックが終わってから、
8年くらい経つけど、
ひどい公害問題で国中が揉めてるんです。 - 田中
- PM2.5とか、で。
- 塩野
- 経済も発展して、お金持ちになって、
海外旅行にも行けるようになりましたね。
日本にだって、たくさん来てる。
そのとき、国では反日運動をしてるけど、
なんだか違う気がする‥‥と思うらしい。
- 糸井
- 塩野さんが、中国へ行ったときみたいに。
- 塩野
- そう、あれだけ国は反日と言ってるけど、
日本に来てみたら、
人はみんな優しくて、町はきれい。
どうしてなんだろうと思うんだそうです。
そんなときに、
ぼくの書いた日本の職人の話を読んだら、
その理由が、わかるような気がするって。 - 糸井
- ふつうの日本人の話、ってことですね。
同じように、ぼくたちもいま、
ふつうの中国人の話を聞こうとしてる。
塩野さんの書いた原稿を通じて。 - 塩野
- 中国人とは、という先入観を
ぜんぶ取り払ってみたいなあと思って、
ぼくは、原稿を書いたんです。
- 糸井
- ひとつ、通訳を通してやる取材って、
日本語でやり取りするよりも、
いろいろと
面倒なこともあると思うんですけど、
そのあたりは、どうでしたか? - 塩野
- めちゃくちゃ大変なことがあって。
- 田中
- 聞きたいです。
- 塩野
- 方言がきつすぎて、
通訳を3人挟んだおじいちゃんがいたの。 - 田中
- 3人ですか!
- 塩野
- つまり「おはようございます」って
あいさつすると、
「おはようございます」が4回返ってくる。
- 糸井
- すごい(笑)。
- 塩野
- 「生まれは何年ですか」と質問をしたら
「何年に生まれました」
「何年に生まれました」
「何年に生まれました」
「何年に生まれました」 - 田中
- ものすごいおもしろい(笑)。
- 塩野
- 「では、生まれた月日は?」
「わかりません」
「わかりません」
「わかりません」
「わかりません」
‥‥で、今の質問何だったっけ、と(笑)。 - 田中
- 最高です(笑)。
- 塩野
- 取材が1行ずつしか進まなくて、
ずいぶん時間がかかっちゃって(笑)。
まあ、そういう苦労も、ありましたね。
<つづきます>