糸井 |
ツイッター文化に慣れてくると、 最後は、瞬発的な悲鳴の 連続になっていくんですね。 で、圧倒的にそっちが強いんですよ。 ロジックをしゃべろうとする人は そこに嫌気が差しちゃうんです。 悲鳴に巻き込まれて。 これは気をつけなきゃいけないな、 と思ってて、 カギはなんだろうなと考えたけど、 それをつなぐのはアートなんですよね。 アート&サイエンスなんですよ。 まさしく。 |
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養老 | うん。 |
糸井 |
で、文学の領域が、両方を見渡せる 唯一の高台じゃないかなぁ、と思っていて。 悲鳴は文学じゃないですから。 いま、インテリが いままでさんざん悩んできたテーマばっかり ずーっと書き続けてる理由は、 そこの高台で見てるのかなと思って。 じゃあちょっと、うちはゆっくりに進めて、 ツイッター的な悲鳴から一回、 距離を置こうとしてるんですけど。 |
養老 |
大事なことだと思います。 アートとサイエンスの話でいうと、 例えば、意識の問題を 議論しようとすると、 たいていね、いわゆる エセ科学になってしまうんです。 |
糸井 | ああー。 |
養老 |
当たり前でね、 きちんとした論文書いて 研究費をもらって論文書いて、 給料で仕事をしてる科学者は、 左脳を重視するんですよ。 |
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糸井 | そうでしょうね。 |
養老 |
そうやって働くためには、 論理的に一度決めたらそれで進める、 というようなやり方が前提になるんです。 |
糸井 | うん。 |
養老 |
だから、 目の前の現実を吟味できないんですよ。 そうすると、自分の範疇以外のことに結び付けて なにか創造していくことができなくなる。 「俺たちみたいにきちんと仕事してないから、 あれはエセだ」と言うんですよ。 |
糸井 |
うんうん。 なるほど。 |
養老 |
わかるでしょ(笑)。 左脳でばかり考えるとそうなってしまう。 |
糸井 | ああー。 |
養老 | でも、システムは必ずそうなっていきます。 |
糸井 | うーん。 |
養老 |
だから、いまのアートとサイエンスの話は 文学や感性といった、 右脳の領域になると思いますよ。 |
糸井 |
うんうん。 で、ただの原始人じゃないから、 科学者の言ってること理解するっていう脳を もう1つ持ってますから、 引き裂かれるわけですよね。 文学っていうのは、その引き裂かれがないと、 通用しないっていうことですよね。 |
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養老 |
左右の大脳半球が分かれる 「分離脳」って知ってますか? 左右の脳は、脳梁という線でつながってるんです。 それが切れている状態です。 そうすると、右と左が別々に動くわけです。 一見しただけではわかりません。 |
糸井 | ああー。 |
養老 |
ところがね、おもしろい患者がいて、 前に、アメリカ人で、 左右の脳を分離した人がいるんです。 血管腫を外科の手術で取ったときだそうです。 すると、外に出るとき靴下を履くのに、 10分ぐらいかかってしまった。 |
糸井 | ほう‥‥。 |
養老 |
で、本人は脳をやられたから、 手がうまく動かないとかね、 勝手な理屈を後から考えるんです。 それをテレビカメラを横に置いて、 何をしているかずっと撮すんですよ。 で、解析するとよくわかるんです。 左脳は右手に、外に行くために 靴下を履くよう指示を出していますから、 右手は一所懸命に足を持ち上げて 靴下を履いているんですよ。 ところが、同時に左手が脱がしているんですよ。 |
糸井 | えっ(笑)。 |
養老 | だから、履けない。 |
糸井 | 手伝ってくんないんだ。 |
養老 |
手伝ってくれないならまだしも、 逆さまのことをやっているんですよ。 |
糸井 | あ、そういうことか。 |
養老 |
そう。 だから10分も掛かっちゃうんですよ。 なんとか悪戦苦闘の結果、 靴下と靴、履くでしょう。 で、外出しようとするわけですよ。 そうすると、住み慣れたうちなのに、 ドアノブを掴んで、「開かない」と言うんですよ。 録画を見ると、 本人は気がついてないんだけど、 右手がドアノブを開けようとしてるのを、 左手が押さえてるんですよ。 |
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糸井 | へぇー! |
養老 |
右脳と左脳はおそらく 多くの場合、競合の関係にあるんですよ。 この場合は、左右の情報交換ができなくなって、 それぞれが別のことをしてしまう。 中枢での 競合関係で、 一番よく知られているものに、 両眼視野闘争があります。 |
糸井 | うんうん。 |
養老 |
左右の目に違うものを見せたときに、 どちらかだけ意識に上ることです。 時間が経つと上がってくるものも変わる。 1つの物を両目で見ますよね。 同じ物を、右脳でも、左脳でも見るわけです。 しかも、たとえば左手前にあるものを、 ぼくが見るときに、 右目の外側の視野に入ると同時に 左目の内側の視野にも入ってるはずですよね。 |
糸井 | はいはい。 |
養老 | わかりますでしょ。 |
糸井 | わかります。 |
養老 |
左目の内側の情報は、右脳の方に入って、 右目の外側の情報も、同じ脳に入る。 同じ像が脳に入ってくるわけですけど、 右と左から、右左、右左、右左、右左 って、1ミリぐらいの幅で、 皮質が順繰りに入ってるんですよ。 問題が起こるのは、 眼軸がずれている場合で、 ずれている方の目が競争で、 負けてしまうんです。 そうすると、左がずれているとすると、 互い違いに右左、右左、右左 ってなってたのが、右、右、右‥‥、 になってしまう。見えない部分が出るんです。 |
糸井 | はい。 |
養老 |
そんなふうに目を例にしても、 左右は案外、競争関係にあるんです。 一番おもしろいのは、意識的に考えている以上は、 われわれが論理的に考えて 正しいと言っている答えは、 あくまでも左脳の働きなんですよね。 |
糸井 | うんうん。 |
養老 |
意識の限界までくると、 正しいか、正しくないか、 よくわかんないわけですよ、結局。 |
糸井 |
最後に、なんらかの形でジャッジが あるわけですよね。 |
養老 | そうそうそう。 |
糸井 | ジャッジは、両方の矛盾のままになされてる。 |
養老 |
だから、人間が悩むという場合は、 まさにその競合なんです。 結局、あっちこっちで抗争が起こって、 それを悩むと呼んでいるわけですよ。 |
糸井 | うんうん。 |
養老 |
論理的にはこうしなきゃいけない、と、 左脳は納得していても、 実際にそれをやると、 血圧が上がって入院するようなことになっちゃう。 |
糸井 |
なっちゃう、なっちゃう。 ジャッジは何がしてるかというと‥‥ |
養老 | わかんないんですよ。 |
糸井 | わかんないんですか。 |
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養老 |
ジャッジがあるって考えが おかしいんじゃないですか。 網の目なんですよ。 全体としてこうなったというしかないんです。 |
糸井 |
つまり、“仕方なく”っていう 形を取ってるわけですね。 |
養老 |
よく言えば“必然”ですね。 全体としての必然で決まってくる。 |
糸井 | だから立場をどかないんですね、みんな。 |
養老 |
(笑)。どうなんでしょうね。 歴史が入ってますからね、 立場となると。 |
糸井 |
そうですね。 そこに依拠しないと 自分としては決められないから。 |
養老 |
そうそう。 できるだけ判断を外に預けておいて、 左脳的に言えばシステムや法律で、 がんじがらめにしていくでしょう。 だから、ぼくは文明というものが滅びるとしたら 考えによってはその自縄自縛が原因になる気がします。 同じシステムを踏襲して ずーっとやっていくことになるから。 |
糸井 | おもしろ怖いですね。 |
養老 |
人間の作り出すものには、 肝心なところにどこか必ず穴がある。 その穴は本人にはわからないんです。 だって、機械を見ても、 今日は顔色が悪そうだな、 とかわからないじゃないですか。 それが多少出ている世界でないと 人間とはものすごく、折り合いが悪いんですよ。 |
(つづきます)