糸井 |
ぼくはヨリスさんのことをちょっと知ったときに、
一面的なことだけでなく、
全体像をきちんと見せることに
興味を持ってる人だなと思ったんです。
ヨリスさんは、キャリアのはじめから、
そういうスタンスで活動されていたんですか?
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ヨリス |
いえ、特派員になったころのときは、
いわゆる「プロ」のジャーナリストらしく
なろうとはしたんですよ。
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糸井 |
あ、そうなんですか。
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ヨリス |
はい。
特に、私は自国でジャーナリズムを学んでから
特派員になったわけではなかったので、
ジャーナリストとしての経験は、
現地で培わなければなりませんでした。
でも、なかなかほかの特派員と同じよう思えなくて。
それが、怖かったんです。
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糸井さん |
「怖かった」?
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ヨリス |
例えば、世界中があの人は一流だと言ってる
「ニューヨーク・タイムズ」の記者が、
ラマラでは常に投石をしてはいなくて、
2時以降からだって決まってると知っていながら、
「ラマラで投石があった!」って、
センセーショナルなニュースとして書いてるわけです。
もう何千というジャーナリストが
そういうふうに書いてるなか、
自分だけがそこに違和感を感じているとしたら、
自分は頭がおかしいんじゃないかって思ってました。
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糸井 |
なるほど。ヨリスさんは、
そこに違和感をもったからこそ、
1人の人間が、理屈や正論を超えて、
「不確かだけど信じているもの」、
その人がとっても大切にしているものを
ヨリスさんも大切に思って、
それを踏まえて語ろうとされているんですね。
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ヨリス |
はい、そうです。
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糸井 |
伝えるときのそういった考え方を、
ヨリスさんはどんなふうにして
発見したんですか?
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ヨリス |
ジャーナリストが取材して、
記事を書くまでのあいだに決めたこと、
あるいは決めざるをえなかったことのなかで、
「不利に書かれてあるもの」があります。
それはなぜ不利に書かれているんだろう、
ということをよく意識してたように思います。
例えば、パレスチナの人を取材したりするときに、
自分が彼らの場所に生まれていたら
どういうふうに書くだろうか?
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糸井 |
なるほど。
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ヨリス |
そういうことは、常に考えていました。
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糸井 |
ぼくも、同じように考えたことがあります。
例えばぼくは、
「自分ではどうしようもないこと、
自分のちからでは選べないこと、
決められないことは、その人のせいじゃない」
ということについて、よく考えるんです。
ぼくはオランダ人じゃなくて日本人で、
ヨリスさんがオランダ人であるってことは、
自分でどうしたって選んで決められたことじゃない。
背丈もそうだし、髪の色もそう。
それでなにか不利になったり差別されたりするのは、
やっぱりいけないことなんだってことを、
人にものを伝えるときに、大事にしていますね。
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ヨリス |
とてもよくわかります。
まさに、それが本を書いた動機なんです。
例えば、そうですね‥‥
テレビを見ているときに、
アラブ系の若い男性がアメリカの国旗を燃やして、
「ワーッ」と盛り上がっていると、
わあ、アラブって怖いんだなって思いますよね。
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糸井 |
はい。
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ヨリス |
でも、実際、その場で起きてることは、
まず、そこには男性10人ぐらいしかいなくて、
旗を燃やそうとライターをカチカチやって、
「つかない、つかない!」
「ちょっとライター貸して!」
「やっとついた、やったー!」とか言ってるんですね。
彼らは、いたって普通の青年なんですよ。
そういうものを、私はたくさん見てきました。
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糸井 |
いいことでもそうだし、悪いことでもそうで、
「これはこういうものなんだ」という
大きな幻想みたいなものを、
送り手と受け手のお互いが出し合っている。
でも、それはずっと人類が
やってきたことなんだよね(笑)。
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ヨリス |
そのとおりです(笑)。
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糸井 |
吉本隆明さんという、ぼくの先生にあたる人が、
「時代が変わっていても、
同じように考えられることは、非常に知的な行為である」
と言っていて、感心したことがあるんですね。
例えば、ずっと昔、王様が死んだときには
家来も殺して一緒にお墓に埋めるものだ
という思想が一般的だった。
いまならそれは「おかしい」と思えますよね。
でも、その当時にも、
「それはおかしい」と思う人はいたわけです。
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ヨリス |
はい。
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糸井 |
それがほんとうの知性だとしたら、
一面的な理屈や知識はむしろじゃまになってしまう。
だから、ぼくはその説明を受けて、
「そうか、たくさん利口である必要はないな」と
思ったんです。
ぼくは、王様が家来をお墓に連れて行く時代に、
「一般的には正しいけれど、それはおかしい」と思って、
人の形のハニワを一緒に埋めようって
考えた人になりたいんです(笑)。
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ヨリス |
それはいいですね(笑)。
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糸井 |
でも、ジャーナリストっていう仕事においては、
読者にウケることをことを第一に考えると、
そういう知性とは逆の動きになりますよね。
つまり、中東でアメリカの国旗を
燃やしていることを強く伝えたら、
たくさんの人が心を動かしてくれる。
そういった伝え方が快感になってしまったり。
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ヨリス |
まさに今、その誘惑に直面しています。
今、ロンドンに住んでいて、
金融関係の取材を続けているんですが、
「金融の人たちはみんな欲張りで悪いやつだ」と書けば、
たくさんの読者の支持を得て、
あっという間に仕事が増えると思うんですよね。
ある意味、不公平だなと思うんですけれども、
全体像を見せようとするとあまり人気が出なくて、
みんながすでに望んでいるシンプルな、
単純化したイメージ、幻想のようなものを
出すとウケるんですよね。
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糸井 |
そのイメージにそって書くと、
テレビとか新聞とかからたくさん声がかかるので、
リッチになれるんですよね。
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ヨリス |
そうなんですよ(笑)。
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糸井 |
どうして、ヨリスさんはその誘惑される道に
行かないでいられるんですか?
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ヨリス |
たぶん、心理学者で、
外交官や警察官の選定もしていた
父の影響だと思います。
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糸井 |
へえー。
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ヨリス |
私が一面的で単純なことを言ったとき、
父は「それは違う」とは言わないんです。
ただ、「それはどうかな?」って
考えさせるような質問をするんです。
私はそれを考えてるうちに、
ああ、ちょっと一面的だったなって
思わせられるんですよね。
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糸井 |
素敵なお父さんですね。
教育によって、ものの見方や考え方というのは
ずいぶんいい方向に向かうんですね。
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ヨリス |
そうですね。
ただ、私は、みんなが私みたいになればいいとも
思ってないですけれど。
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糸井 |
その発想もいいですよね。
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ヨリス |
あと、オランダに、
ヤンウィレム・ヴァン=デ=ウェテリンクさん
という人がいて‥‥。
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糸井 |
オランダの人の名前は長いなあ(笑)。
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ヨリス |
(笑)。
その人の本にも、すごく影響を受けたと思います。
この人は、日本にもかなり長く住んで、
日本の禅についてかなり研究をして
本をたくさん書いてるんですね。
それを読んで自分が学んだことの一つが、
自分のエゴ、自分がエゴから解き放たれるということ。
ですので、仕事をしていても、
「これ、こうかな」という見方をしたときに、
すぐに「あ、それ違うかもしれない」と、
いろんな面から見る癖がついてるかなと思います。
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糸井 |
なるほど。
ぼくもそういうふうに考えるように心がけています。
人はエゴにとらわれるものだけど、
エゴから解き放たれるほうが
気持ちいいってこともあるんじゃない?
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ヨリス |
そうですね。
「これが現実だと思うもんか」と思って、
自分が固執してるものから解き放たれたときって、
気持ちいいんですよね。
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糸井 |
うん。気持ちいいですよね。
(つづきます)
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