── |
こんどの東日本大震災で被災した
東北の住宅地図も
つくりなおしてらっしゃるんですよね?
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坂本 |
はい。
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── |
その取り組みは、いつの時点から?
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紙永 |
この9月(2011年9月)に
被災地の応急仮設住宅の約95パーセントが
完成あるいは着工されたのを機に、
調査を開始しました。
それに先立つ8月には
岩手県釜石市、宮城県仙台市と登米市に
調査拠点を新設しています。
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坂本 |
現在では
岩手、宮城、福島、茨城、栃木、千葉、長野の
58市町村に建設された
51000戸以上の応急仮設住宅の
住所や名称、各戸居住者名などの情報を
調査し終えています。
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── |
じゃあ、そういった仮設住宅の位置情報を
これから
地図の上にマッピングしていくわけですね。
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坂本 |
そうですね、その作業に加えて
被災地の地図情報の整備が目的ですので
倒壊した建物を破線で表示したりなど。
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── |
ようするに
誰がどこの仮設住宅に入っているのか‥‥が
わかる住宅地図をつくろうと。
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紙永 |
ええ。
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── |
ちなみに、行政のほうでは
そういう情報って把握していないんですか?
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坂本 |
もちろん、行政で持っている情報も
あるはずですが、
でも、その情報をすべて公開できるかというと
そうともいえないんじゃないかと。
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── |
あ、なるほど。個人情報保護法的に。
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紙永 |
実際、被災地の自治体では
「親戚や知人が入っている仮設住宅の住所を
教えてほしい」
という問い合わせにたいして、
個人情報のため、教えられないこともあると。
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── |
じゃあ、ゼンリンさんの地図ができれば
個人で調べられるようになるわけですね。
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紙永 |
現代では、地図情報というのは
ひとつの社会的インフラだと思うので‥‥。
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── |
整備されないままだと、
困ったことが、いろいろ起こりそうですよね。
宅配業者のかたなんかは、典型的に。
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紙永 |
仮設住宅にお住まいのかたへ
荷物を送る場合、
その仮設の名前だとか住所を
送り状に書いて出すと思うんですけど。
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── |
ええ。
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紙永 |
地図に仮設住宅が載ってない状況では
配送員のかたが
場所を特定できないこともあると思うんです。
仮設住宅の名称が分かっていたとしても
たどりつけないケースとか。
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── |
仮設住宅が建てられているところって
もともと、
別の何かだったような場所が多いですものね。
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紙永 |
そうそう、そうなんです。
公園の跡地だとか、学校のグラウンドだとか。
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紙永 |
何にもないような山のなかに
ぽつんと出てきたりして。
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── |
「津波のおそれがない、広い高台」
という条件が優先されるわけですものね。
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紙永 |
実際、被災地で調査をしていたら、
宅配業者の配達員のかたがブーンと来て
「この住所どこですか?」と
聞かれるので、
「あのあたりですよ」とか答えたり。
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── |
おお、被災地の連携プレーですね。
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紙永 |
いえいえ、そんなかっこいいものではなくて
それが、わたしたちの仕事ですので。
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── |
では、おふたりも東北へ行かれて。
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紙永 |
はい、行きました。
わたしは、
仙台を拠点にして、宮城県山元町や亘理、
福島県南相馬など‥‥です。
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坂本 |
わたしは、気仙沼や陸前高田へ。
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── |
たまたま、どの地域にも取材で行ってるのですが
被災の具体的な状況って
どこも「それぞれに別々」ですよね。
山元町では、可住面積の6割以上が
津波に襲われて
沿岸部は、ほぼ壊滅状態でしたし‥‥。
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紙永 |
ええ。
山元町では仮設住宅の調査とあわせて、
震災以前、どこに住んでいたかを
お話ししていただけるという場合に限って、
お聞きしたんです。
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── |
なるほど。
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紙永 |
それは、とても特殊な調査でした。
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── |
ようするに、
震災以前、ここに住んでおられた誰々さんは
今はこっちの仮設住宅にいる‥‥
という情報を、きちんと整備するために。
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紙永 |
はい、そのとおりです。
以前の住宅地図と照らし合わせながら
仮設一軒一軒の情報を、確認していきました。
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── |
そうか、被災地の「以前の状態」については
ゼンリンさんが、
完全なデータを持っているわけですものね。
で、それを見て。
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紙永 |
はい。
仮設住宅だけでなく、
津波被害を受けた沿岸部にも足を運んで
震災以前のゼンリンの地図を片手に
一軒一軒、確認していくんですけど、
そこにあるはずの住宅が、跡形もなくて。
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── |
ええ。
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紙永 |
そういう場面やニュースは
テレビでさんざん見てきたはずなのに‥‥
ものすごい衝撃を受けました。
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── |
でもそうか、調査スタッフさんにとっては
「地図と現場は同じ」というのが
基本なわけだから
よけいに衝撃を感じるのかも知れませんね。
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紙永 |
そうですね、そうだと思います。
震災前の地図を「悔しくて、見たくない」と
おっしゃるかたも
やはりいらっしゃったんですが、
その気持ち、本当によくわかりましたし‥‥。
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── |
坂本さんは、いかがでしたか。
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坂本 |
現地調査をしているときに、
「はやく新しい地図を出してください」と
言われたりしました。
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── |
なるほど。
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坂本 |
わざわざ車を降りて、駆け寄ってきて‥‥。
そんなこと、今まで言われたことないです。
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── |
やはり、被災地域の機能を回復していくには
「誰がどこにいる」というのは
ぜったいに必要な情報になってきますものね。
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坂本 |
地図の整備が、被災されたかたのために
どれほど役に立つのかとか、
他の何かを優先するべきなんじゃないかとか、
正直、考えることもあったんです。
でも、そうやって実際に声をかけられますと
「わたしは、これをやるんだ」と。
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── |
地図は、すでに出版されているんですか?
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紙永 |
はい、まず「岩手県久慈市」「宮城県登米市」
「福島県いわき市」「福島県会津若松市」
そして「千葉県旭市」の住宅地図を
2011年11月に出版しました。
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── |
あ、そんなにはやく。
調査を開始してから2ヶ月くらいですよね。
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紙永 |
その後、
「宮城県仙台市」など順次、出版しています。
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坂本 |
また、有料のサービスになるのですが
「ZNET TOWN」といって
インターネットでも住宅地図を配信していまして、
2011年12月に調査した
58市町村の仮設住宅の情報が追加されました。
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── |
じゃあ、すでに実用化されていると。
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坂本 |
はい。
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── |
今回、被災地に調査の拠点をつくったのは、
どういった理由からですか?
やはり、
ゼンリンさんの現場主義的な考えかたから?
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坂本 |
直接、地図には載らないけれど
大切な情報って、実はたくさんあるんです。
そういう情報というのは
現地にしっかりした拠点を持っていないと
取りにくいと思うんです。
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── |
なるほど‥‥地図に載らない、大切な情報。
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紙永 |
たとえば「バスの路線」なんかは
地図では表現されませんけど
現場を歩いていて実際にバス停をチェックすれば
「あ、ここには3系統のバスが停まるんだ」
ということがわかりますよね。
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── |
ええ、ええ。
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紙永 |
そのことを知っているだけで、
2次元の地図が、
一気に立体的に見えてくることがあるんです。
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── |
なるほど‥‥。
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坂本 |
現場に行ってないと
地図って、単なる「絵」でしかないんですが、
現場を知っていたら
それだけ「気づき」が多くなるというか。
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── |
地域のさまざまな情報が集積したものとして
地図を見ることができると。
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坂本 |
そういう意味でも、
被災地の地図情報を整備するにあたっては、
「現地の拠点」が重要なのではないかと。
現場で得たすべての情報を
住宅地図に載せることはできませんが、
今後、なんらかのかたちで
情報提供できればと思っています。
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紙永 |
ゼンリンとしては「地図づくり」を通じて
少しでも
東北復興のお役に立てればという気持ちがあるので。
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── |
それがいちばん、得意なことですものね。
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坂本 |
地図をつくることしかできないのですが、
わたしたちは
だれよりも詳しく
地図をつくることができますから。
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── |
‥‥そうですよね。
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坂本 |
今回、東北に調査で入って思ったことは
今後5年、10年‥‥と
被災地の姿を、ずっと見ていきたいなと。
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── |
そう思われましたか。
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紙永 |
はい。
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坂本 |
どうなっていくんだろうって。
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── |
変わっていきますものね、被災地も。
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紙永 |
被災地が立ち上がっていく姿、それを見たい。
見たいというか‥‥
ぜったい見に行くんだって思っています。
そして、その立ち上がっていく姿を、
うちの地図上ので、書き換えていきたい。
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坂本 |
ああ、そうそう‥‥。
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── |
はい。
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坂本 |
仮設住宅を調査するにあたっては
ふだんとはちがって
「必ず声をかける」ことにしていたんですね。
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── |
ええ。
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坂本 |
で、陸前高田を調査していたとき、
あるお宅で
「載せないでくれ」と言われたんです。
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── |
‥‥地図に。
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坂本 |
そういうこともありますから
わかりましたと言って辞去しようとしたら
「将来、
ぜったいデッカイ家を建ててやるから、
あなたのとこの地図には
そのときに、ぜひ載せてほしい」と。
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── |
ああ‥‥。
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坂本 |
すごいと思いました。
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── |
本当ですね。
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坂本 |
ご自宅が完成したあかつきには
ぜひ、表札を出しておいてくださいねと言って、
楽しみにしてますからと言って、
そのかたとは、お別れしたんですけど。
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── |
陸前高田といえば、
震災直後、自衛隊や警察の拠点になったり、
救援物資が集められた
「高田ドライビングスクール」という
自動車学校があるんです。
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坂本 |
ええ。
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── |
そこの田村滿社長って
あのあたりのリーダー的な存在のかたで、
もう、
いろんな人の話に出てくるんですが‥‥。
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紙永 |
はい。
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── |
そのかたのところで
「陸前高田の理想の姿」が描かれた絵を、
見たんです。
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坂本 |
それは‥‥将来、こうして行きたい、という?
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── |
そうです。
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紙永 |
それって‥‥どんな絵でした?
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── |
陸前高田って
町の奥のほうまで津波が到達したために
かなり広範囲に
「何もない」低地が広がってますよね。
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坂本 |
ええ。
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── |
まず、そこを牧場にして、羊を飼いたいと。
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坂本 |
牧場で羊、ですか。
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── |
フランスの海沿いに
海水の塩分を含んだ草を食べて育つ
「アニョープレサレ」
という羊がいるらしいんです。
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紙永 |
ええ。
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── |
その「アニョープレサレ」って羊、
塩味の草を食べるおかげで
肉質が、とても柔らかくなるんですって。
つまり、津波で潮をかぶってしまったことを
逆手にとって
低地を羊の飼育に利用しようと。
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坂本 |
へぇー‥‥。
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── |
で、人間は津波の来ない高台に住む。
中庭を取り囲むように
ロータリー構造にした集合住宅を建てて、
みんなでカーシェアリングをし、
交差点も「ラウンドアバウト」にしたり‥‥。
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紙永 |
陸前高田の人たちが
「こういう町をつくっていきたい」という絵に
なってるわけですか。
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── |
そうなんです。
ひとつの「構想」ですから
そのとおりには、ならない可能性も‥‥。
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紙永 |
その絵、地図にしたいなぁ。
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── |
‥‥ああ。
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坂本 |
したいね。
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── |
つまり、地図になるってことは‥‥。
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坂本 |
現実になるってことですから。
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── |
本当にそうなったら、素敵です。
陸前高田のみなさんの理想がかなった姿を、
ゼンリンさんが地図にするって。
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紙永 |
はい。‥‥ぜったい地図にしたいです、私たちが。 |
|
<終わります> |