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── |
アラマタ先生、はじめまして! |
荒俣 |
はじめまして。 |
── |
本日は、たいへん希少な本ばかりを
見せていただけるということで
本当に、ありがとうございます! |
荒俣 |
考えうるすべてのフィールドから
まんべんなく用意してきました。 |
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── |
おおおっ! みるからに希少そう! |
荒俣 |
希少です。 |
── |
まことに、恐れ入ります!
さっそくですが、アラマタ先生といえば
「延々と本を読み続ける博覧強記」
というイメージで
一般に知れ渡っておりますが‥‥。 |
荒俣 |
本は好きですし、事実よく読んでいますが、
本日わたくしは
そういった通常の意味での「本好き」として
ここに来たわけではありません。 |
── |
と、おっしゃいますと‥‥。 |
荒俣 |
本日は愛書家として、やってまいりました。 |
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── |
愛書家。
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荒俣 |
英語では
ビブリオファイル(bibliophile)
と言います。
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── |
ビブリオファイル‥‥。
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荒俣 |
ふつう「本が好き」といった場合には
「中身が読みたい」ということです。 |
── |
はい、そりゃそうです。 |
荒俣 |
それが「趣味は読書」ということの意味ですが
われわれ愛書家は「趣味が本」なんです。 |
── |
読むのでなく、本そのものが趣味? |
荒俣 |
つまり、われわれ愛書家は
物質としての本が好きなのです。
印刷だとか紙だとか、
余白の書き込みだとか挿絵だとか、
本の来歴だとか部数だとか、
そういう「ハードウエア」が大好きなのです。 |
── |
はぁ。 |
荒俣 |
だから「ソフトウエア」である
「中身」は二の次となる。
中身を読むだけなら「本」でなくてもよい。
コピーでも電子書籍でもかまわない。
読むための本は、
愛書の中にカウントしてないのです。
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── |
ははぁ。 |
荒俣 |
実際、愛書の対象になる本の場合は
読まないケースが非常に多い。
図書館だって、
貴重書はできるだけ触らせないし、
一般には読ませないでしょ。 |
── |
‥‥つまり、読まないんですか、中身? |
荒俣 |
愛する本は読みません。愛書家としては。
なぜなら、われわれ愛書家は
真に愛すべき本をもとめて何万冊も集めますから
中身をいちいち読んでいたら
一生が終わってしまうのです。 |
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── |
ははぁーっ‥‥。 |
荒俣 |
これまでの愛書家人生で
「買った本」の数を言えというのなら
わたくしも
数万冊という量になるかと思います。 |
── |
す、すうまん、ですか! |
荒俣 |
ただ、そのうち1割程度しか
「愛すべき本」として手元に残りません。
それはつまり、それらが「読む本」ではなく
「モノとしての本」だからです。 |
── |
あのぅ、アラマタ先生の「伝説」として
よく語られることに
本を置かせてもらっていた
出版社の平凡社に「住んでいた」とか、
本が入らなくなったら、
その家をそのままにして引越すとか、
いろいろあると思うのですが‥‥。 |
荒俣 |
平凡社にはもう住んでいませんよ。 |
── |
あ、そうでしたか。
(ホントに住んでたんだ‥‥!) |
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荒俣 |
かなり前ですが、本が増えてしかたないので
母校の慶應大学に
コレクションの半分ぐらいを譲りました。
その後、また着々と本が増えてしまったので、
平凡社さんに
ぜんぶ置いてもらっていたのです。 |
── |
じゃあ住んでおられたのは、そのとき? |
荒俣 |
そうです。 |
── |
そもそもは、
日本を代表する百科事典である
平凡社の『世界大百科事典』の編さんに
泊り込みで
携わっていらしたんですよね、たしか。 |
荒俣 |
その後、平凡社さんの引っ越しのために
スペースが無くなってしまいました。
それで再び置き場に困っていたのですが
ここ雄松堂さんにお願いして
レアな本はすべて
置かせていただけることになったのです。 |
── |
なるほど、そうでしたか。 |
荒俣 |
わたくしのコレクションのうち、
雄松堂さんに預かっていただいているのが
総数の4分の1くらい、
残りの半分が母校の慶應大学、
さらに残りが
武蔵野美術大学と
国会図書館に買い取られてゆきました。 |
── |
なんたる、そうそうたる‥‥。 |
荒俣 |
そのそうそうたるなかでもすごいのが、
この雄松堂という本屋さん。
ふつう、神田の古本屋街あたりへ行くと
「店売」といって、
お店の棚にずらーっと本が並んでおり、
そこへお客がやって来て
「何かレアな本はないかな?」
と探すのが、一般的な姿。 |
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── |
はい。‥‥「レアな本」を探しているのが
一般的かどうかは
置くとしても、スタイルとしては‥‥ええ。 |
荒俣 |
でも、ひとたび雄松堂に来店するならば、
そこはレア・ブックの宝庫‥‥。
つまり、われわれ愛書家が愛してやまない
モノとしての本を
専門的に扱っているという、
日本でも数少ない本屋さんなのであります。 |
── |
なるほど‥‥。 |
荒俣 |
この世に2冊か3冊くらいしか存在しない、
出てくれば
国会図書館か大英博物館かというような、
まるで宝物(ほうもつ)のような本を
扱っている書店。 |
── |
すごい本屋さんなのですね‥‥。 |
荒俣 |
そして、われわれ愛書家のために、
従来の日本にはなかなか存在しなかった
海外のレア・ブックを
世界中から集めてきてくださった書店‥‥。 |
── |
‥‥アラマタ先生が
かようなワールドに足を踏み入れたのは
いつごろからなのでしょう。 |
荒俣 |
レア・ブックを追い求めはじめたのは
大学生のころでありました。 |
── |
そんなに早くから。 |
荒俣 |
たとえば、これからご覧にいれるような本は、
日本の書店では、
ほとんど見ることができません。
そこで、わたくしの場合は、
大学生のころから
コツコツと海外の古本屋さんに手紙を出し、
「目録を送ってくれないか」と。 |
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── |
それはつまり「カタログ請求」ですね。 |
荒俣 |
当時、アメリカやイギリスなんかの
ブックレビューの雑誌に、
本屋の広告が出ていることがありました。
そういう雑誌のうしろ側を見ては
毎週1枚くらい住所に送っていたのです。 |
── |
週イチですか!
なんと激しいカタログ請求活動‥‥。 |
荒俣 |
カタログが届いたら
めぼしい本に「マル」を付けてゆきます。
あたかも競馬の予想屋のごとく、
カタログの「マルつけ」にいそしみましたため、
大学行ってるヒマもないほど。 |
── |
そんなにですか。 |
荒俣 |
カタログにマルをつけるか、
本を買う資金のためにバイトしているか、
大学時代は
そのどちらかでありました。 |
── |
‥‥でも、カタログに載っているのは
基本「タイトルだけ」ですよね? |
荒俣 |
そうです。 |
── |
当然、当たりハズレは‥‥。 |
荒俣 |
賭けです。 |
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── |
賭けですかそこ! |
荒俣 |
だいたい10冊くらい注文したら
8冊か9冊は
「このままドブに捨てようかな」と
思うような、ハズレばかり。 |
── |
ドブ‥‥。 |
荒俣 |
いちばんのスカを引いたときのことを
今でも、思い出します。
「日本の悪魔について書かれた本」という
ふれこみの本があったんです。
タイトルは『ゴールデン・ゴブリンズ』。 |
── |
‥‥黄金の悪魔? |
荒俣 |
カタログの解説を読んでみると
「日本の近代に書かれた、
悪魔を扱った物語で、素晴らしい作品で、
たいへん有名で‥‥」と。
『ゴールデン・ゴブリンズ』という書名は
聞いたことなかったのですが、
「こりゃあ、すごそうだぞ」と注文したら‥‥
『金色夜叉』が届きました。 |
── |
‥‥尾崎紅葉の。 |
荒俣 |
「ぜんぜん悪魔についての本じゃあ
ないじゃあないか」と。
そんなことは、ずいぶんございましたね。 |
── |
険しい道なんですね‥‥。 |
荒俣 |
しかしながら、10冊に1冊でも
キラリと光るすごい本が混じったりすると、
これはもう、
たいへん嬉しゅうございました。 |
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── |
それが、愛書家の世界‥‥。 |
荒俣 |
そうです。
<つづきます> |