- 福山
- 糸井さんの活動を見ていた僕ら世代からすると、
糸井さんはとにかくうらやましい存在でした。
- 糸井
- いやいや(笑)。
- 福山
- YouTuberの「好きなことで、生きていく」
というCMがありましたけれど、
もうそのずいぶん前から糸井さんは
好きなことだけで生きてるなぁと‥‥。
勝手な素人の見方かもしれませんが。
特にご自身ではそういうことを
おっしゃってはいませんけども、
音楽だったり映画だったり
ものを作っている人間からすると、
「糸井さんみたいになれたらいいなあ。
どうやったらなれるんだろう」
という存在でした。
- 糸井
- そう見ていたんですね(笑)。
- 福山
- もちろん、ただ楽に生きているとは思っていません(笑)。
きっと、いろんなこともおありだっただろうし、
今もいろんなことがおありだろうなとは思います。
糸井さんが書かれる言葉の中で、
すごく印象的だったのが、
中島みゆきさんのベストアルバムで
ライナーノーツを書かれていましたよね。
- 糸井
- ありました。なにを書いたんだろう。
- 福山
- 中島みゆきさんという人間が
いかにとんでもない表現者なのかということを
とてもわかりやすい言葉で評されていました。
「中島みゆきがすごいのは、
ある時期に突然才能が開花した人ではなく、
最初からこの高いレベルで表現している。
それが驚異的にもかかわらず、
さらにそれをずっとキープし、なおかつ上げている」
ということを書かれていたと記憶しています。
- 糸井
- うん、うん。
- 福山
- すごいなと思いました。
誰もが中島みゆきさんに対して感じていたのに、
なかなか言語化することができずにいたことを
言語化しているような気がして。
中島みゆきさんのライナーノーツを見て、
改めてそう思えたんです。
その流れから、糸井さんにお訊きしたいと
思っていたことがあります。
- 糸井
- なんでしょう。
- 福山
- ものを作る人間って、
心のどこかで常に誰かに嫉妬していると、
僕は思っているんですね。
- 糸井
- はい、わかります。
- 福山
- 誰かの作品に対して「おもしろい」とは思うんだけど、
「こんなおもしろいの作りやがって。
なぜ俺が先に作れなかったんだ!」とか
「俺だったらこうしてやるのに!」とか。
でも、どこかのタイミングで、
認めたり褒めたりもできるようになるはずですけど、
その前までは、「あらを探してやれ」とか、
「イジワル言ってやれ」となることもあると思うんです。
実際に僕もそうだったし、
今も若干そういうところはあります(笑)。
でも、糸井さんがされている仕事というのは
基本的にポジティブしか表現していないように感じます。
”糸井重里”という人は最初から
ポジティブのみを表現する人だったのか、
もしくはどこかのタイミングでそうなっていったのか。
- 糸井
- ああ、初めてされる質問で、
とてもいいことを聞かれた気がします。
- 福山
- 本当ですか。
- 糸井
- 自分が、さんざん苦しんできた部分だと思うんです。
折り合いをつけるまでの道のりって、
やっぱりすごい長いんです。
嫉妬はするに決まっていますよね。
若い時は、映画を1本観ては落ち込み、
あるいは似たような年齢の人が
何かやっているといっては落ち込み。
そういう嫉妬が他の人よりも多かったと思います。
口に出して言ったかはわからないけれど、
「アイツ憎らしい」とか、「あらを探してやれ」
みたいな方向に、本気では向かわなかったから
助かったような気がします。
今になってみれば、ジャンル違いに
嫉妬し過ぎたんじゃないかと思うんですよね。
- 福山
- そうなんですか。
- 糸井
- たとえば、ぼくの時代でいえば
ゴダールの映画が流行ってた時代で、
ぼくは映画を撮る気なんてないのに、
観るだけで落ちこむんです。
ものすごい説得力で自分を変えられてしまうような、
染め変えられてしまうようなものを感じていました。
でも、ゴダールに嫉妬してもしょうがないし。
- 福山
- はい。
- 糸井
- かといって、もっと近いところで嫉妬しても、
それはあまり、自分にとっても
嬉しいことがあるとも思えない。
それで、全部に嫉妬しているうちに、
ある時期、憑き物が落ちたように、
「もういいや」と思ったのかもしれません。
- 福山
- 若い時には、自分はどんなことでも
できるんじゃないかっていう、
若さゆえの万能感だったり、
未来に対しての漠然とした
期待と希望だけだったりの時期も
あると思うんですけど、
糸井さんにそういう時期はあったんですか。
- 糸井
- ややこしい話になりますけど、
あまりなかったんです。
- 福山
- そうなんですか。
嫉妬はするけれど?
- 糸井
- 自己認識が厳しめだったのかもしれません。
たとえば横尾忠則さんという人が
ぼくらの時代のヒーローで、
横尾さんみたいになりたいなと思って、
絵を描いてみるところまでは普通に行くんです。
それでいざ描いてみると、当然描けないわけで。
もっと描き続けていけば、
いつか描けるようになるとも思えない。
そうすると、「これは違うな」となります。
ぼくはわりと、「これは違うな」が早く来るんです。
- 福山
- そこが正確にジャッジできていたわけですか。
- 糸井
- よく言えばそうですね。
それは同時に、「自分は持っているものがなかった」
ということでもあると思うし。
そうやって、あらゆるところで
「ならなくてよかった」というのを見つけていく。
それはつまり、「ただの子」だということなんです。
おまえは結局なんでもなかったんだな、と。
- 福山
- 「ただの子」だということは、
誰かからそういう風に言われたことがあったんですか。
- 糸井
- それはないですね。
自分に対して、ちょっと厳しいんでしょうね(笑)。
でも、たとえ「ただの子」だとしても、
「ただの子がいられる素晴らしい世界がある」
というのは、ぼくが見つけたことだと思います。
- 福山
- なるほど。
- 糸井
- ぼくが30歳過ぎの頃に出ていたNHKの番組では、
若い子と会っていろいろなお話をしていました。
当時の若い子に会うと、みんな
有名になりたいと言っていたんです。
どういうことなのかなと思って、その時にぼく、
「それならすごく美味しいラーメン屋になりなよ」
と助言したことがあるんです。
「そうすれば、キミが憧れている有名な人たちが
みんな食べに来るよ。品切れだよと言ったら、
『頼むから食べさせてくれ』って
土下座してでも食べに来るよ。
有名になるということよりも、
みんながそこに集まってくれる場を作るほうが、
キミにできることじゃない?」って。
- 福山
- 有名になるということよりも、
美味しいラーメンを作っていれば、
おのずと有名になってくる。
- 糸井
- そう、そういう発想です。
ぼくが何か言ったり書いたりすることでも、
「アイツしか言わないよね」よりも、
「俺も思っていたけど、アイツが言った」のほうが、
ぼくの望んでいることなんじゃないでしょうか。
なにか変わったこと、オリジナルなことを
言うこともできるとは思いますが、
「アイツのそばにいたら、いつもおもしろいよ」
というのは、その人が絶えず
耕している田んぼみたいなもので、
自分はそっちになりたいと思っていました。
- 福山
- そうなんですね。
いやあ、今日はいろいろ聞けて楽しいです。
(つづきます)
2016-10-01-SAT
撮影:加藤純平