年末年始スーパーカスタム企画。 留守番番長、 「ほぼ日」を乗っ取る! |
326編集長、その後 ほぼにちわ。お久しぶりです。 みなさん、その後かわりなくお元気でしたか? ぼくは元気でした。 なんかまだ「ほぼミツ」を創刊・廃刊して、 たった10日ほどしかたってないとは驚きです。 年末、年始といろんな事があったので、 えーっと、何から始めればいいかな? ちょっと思いつくままに話してみます。 ついこないだ、仕事で上海に行ったんだけど、 取材に来てた人2人から、「ほぼ日」のミツルさんの 留守番番長見ましたよ、って言われました。 ぼくのホームページ見てますよ、じゃなくて、 「ほぼミツ」の方でした。いやー嬉しいんですけどね。 やっぱり、忙しかったけどやってみるもんです。 結構、やりましたよ。 ほんとは、年末ゆっくりしようと思ってたんだけど。 もう「ほぼ日」じゃなかったら、 100パーセント断ってた。 自分の事務所よりきびしかったけど。 今振り返ってみて、最初に思い出すことと言えば、 えー、ミーティングにすっごく遅刻したこと。 自分的にはもうホントありえなくて、 「東京メモリー」で、自分の車で案内したのは、 遅刻の穴埋めの意味も込めてでした。 思い出の地にどうやって行くかなーって事も考えたけど、 それより、まず時間に間に合わねーぞと。 ピッチャーの松坂みたいに、途中で、 遅刻も「自信から確信に変った」って感じで。 ま、確信したので、クルマを出しました。 でも、実際今まで行く事はなかなか無かった所なので、 いい機会でした。 昔住んでいた20歳の頃の街と全然変ってたりして、 もうすぐ、今度の誕生日で、ぼくも25歳になるし、 もう四半世紀生きてきたんだなーなんて思ったりして。 出てきたばかりの頃は、やっぱり辛いこともあったけど、 その時の戦いも、今はもうノーサイドになっていて、 こうしていい思い出として昇華したって感じられるのも、 自分自身、いいふうに成長があったからかなあーって。 日頃忙しくて、なかなか考えないようなことも、 今回考える事ができました。 まあ、最初に行った大学の学食が無くなってるという、 予期しないハプニングがあったものの、それはそれで、 「笑いの神様」が一瞬降りてきたんだということで。 ところで、「東京メモリー」にあった、 “港区のなかに岡山県がある”って話なんだけど、 みんな、「またまたぁ」とか思ってたでしょ? ところが!ウォッホン。 私、「東京メモリー」に出てくる「岡山県」の土地に 1995年4月から2001年3月まで、 6年間棲みついておりました。 326さんと重なっておりますね。 あの土地は、もともと備前池田藩の土地だったらしく (五反田から高輪へと向かう山は 池田山といいますね)、 現在も岡山県の土地です。 岡山県庁の東京勤務の職員が住む宿舎と、 岡山県出身の将来有望な?学生を収容する 「岡山県東京寮」(女子禁制)がありまして、 私その学生寮に住んでいました。 6畳間に2人で住んでいた自分にとっては、 「トーア高輪ガーデン」は ものすごくゴージャスそうな建物で、 「いつかあんなマンションに住みたいな」と 見上げておりました。 (岡山県出身[岐阜県在住]) ね、ほら、やっぱり岡山、あったでしょう? ぼく、基本的にウソはつかないんですよ。なんて。 この街歩きの後、続けて「佐賀対談」があったんで、 急いで事務所に戻ってきたら、まだみんな来てなくて、 なんだ、ぬるいじゃんと思ってたんだけど、 いざ集まってみると、かなーり白熱しましたね。 驚いたのは、最近久しぶりに会った友達に、いきなり、 「佐賀に帰ったら ボッキするんだって?」 って聞かれて、 最初、わけわかんなくて、えーって考えたら、そうだ! オレ「ほぼミツ」で言ったわそういうこと、って。 年明け早々、そんなこと考えるはめになりました。 「GTS(グレート・トーク・サガ)」には、 佐賀に住んでない人からも、 たくさん感想もらえたのがうれしいですね。 佐賀と全然関係ない人が「佐賀セット」応募してきたり、 なんか、そういうふうに楽しんでもらえたのは、 よかったなと。 同じ佐賀県人として、わくわくしながら見ました。 それにしても、地図の中に有田がないのはいけん!! 今年は、有田陶器市も100周年を迎えるというのに。 またほぼミツやるときは宣伝してね。 (佳代子) 「しが県」出身の私は、響きの似ている「さが県」に 親しみを感じずにはいられません。 そして、どうもこの2県は 他県からの知名度が低い気がして・・・。 (鮎美) 佐賀県出身の人はあまり自分から 出身地を言いたがらないようですが、 結婚した相手なんかには 佐賀自慢ばかりすると聞いています。 虎屋の羊羹より小城羊羹、 嬉野茶、有田焼、海苔、気球大会・・・ です。 (市子) 一番面白かったのが「新春サガ・サミット」です。 もう大爆笑でした。 対談自体も面白いんですが、 合いの手を入れる萩原さんのコメントが絶妙です。 (昌美) そういえば、あの萩原さんて、いったい誰なんだろ?? 座談会の収録現場にはいなかったし。 おまけに「佐賀出身者ウォッチャー」でしょ? スゲーいいかげん(笑) 実は、他の番長のページを読むと、真面目な感じなので、 ホントによかったのかなーなんて、ちょっと心配でした。 更新が終わってから、糸井さんからメールが来てて、 読むと、そこに何やら、猪木の言葉みたいなもの、 「この道を行けばどうなるものか、・・・ 行けばわかるさ。ありがとー。」※ みたいなのが書かれてたから、 あ、これは、ほめてもらってるのかなあと思ったりして。 いや、どうなのかなー、あまり今まで糸井さんに、 ほめてもらったことないからなー。 でも、今回の9人目の留守番番長をさせてもらって、 憧れだった、まるで宗教家のようなTKさんにも 直に会えたし、 偶然だったけど、まっちゃんの家の鍋も盛り上がったし、 いや、年末年始「いい感じでおまつり」ができて、 まじで忙しかったけど、ほんとやってよかったです。 「ぬるく生きてたら、いつまでもぬるくいっちゃうし、 これからも、厳しく生きて行くぞー」って、 新年を迎えてあらためて、自分に誓いました。 なので、いくらの一件で、変態だと思わないでね。 このたびは、「ほぼミツ」読んでいただいて、 みなさん、どうもありがとうございました。 また何かおもしろいことがあったら、 いつでも声かけてください! ※ 「道」 アントニオ猪木 この道を行けば どうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せば その一足が道となり その一足が道となる 迷わずゆけよ 行けばわかるさ 「ほぼミツ」プレゼント当選者の発表です!
プレゼントの到着を、楽しみにお待ちくださいね。 おめでとうございました〜! |
2003-01-16-THU
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