やや時間も経って。(6月23日)

・さまざまなこころの問題は別にして、
 日常のなかで、よく、
 「震災の影響はいかがですか?」と訊かれていました。
 どういうふうに答えればいいのか、
 その都度、よくわからないので、
 うそにならない程度に、調子のいいことを言ってました。
 「そうですね。あんまりないほうかなぁ」と。
 うーん。そう思いたいという気持ちもあったんでしょう。
 なんの影響もないはずはないんです。
 でも、なにしろ「東京は元気です」とかね、
 言いたいほうだから、ぼくら、明るく言ってました。
 
 近い人が亡くなったときなんかでも、
 しばらくは、そういえば「あんまり変わらないもの」
 というふうに思えるんですね。
 時間が経たないと見えてくるものも少ないんです。
 
 そして、やや時間も経って。
 このところの「ほぼ日」の活動状況について、
 ミーティングをしていたら、わかっちゃったわけです。
 3月、4月の、いちばん落ち着かない時期には、
 やっぱり平常通りのことなんてできていなかった。
 つまり、モノのかたちのコンテンツにしても、
 文字やら写真やらの表現のコンテンツにしても、
 あの時期にはつくってたり仕込んでたりする分量が、
 少なかったことが、わかったんです。
 つまり、5月、6月の「ほぼ日」が、
 気づかれていたかもしれませんが、薄かったのです。
 遅くなっていたこともありますし、少なかったし。
 
 いつもの力を、いつものように発揮した上で、
 震災の分をさらに上乗せして働くぞ、ということが、
 どれだけ難しいことなのか、思い知りました。
 あの時期にはわからなかったけれど、
 ぼくも、ぼくらも、平常通りでないことに、
 いっぱい時間や労力をつかいまくってたんです、きっと。
 さらに、あとで過去を眺めたら、
 いま、この6月の下旬なんかも、
 ほんとうに平常になっちゃいないとわかるんでしょうね。
 いや、大丈夫、もう130%のモードになってますとも。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。

「今日のダーリン」より