こころの入力にも時間がかかる(7月5日)

・からだを鍛えるのに、今日や明日でなんとかなる、
 と考えてる人はいないと思うんです。
 腹筋でも、腕立てふせでも、ランニングでも、
 もっとハードなトレーニングでも、
 いまやっていることの効果について、翌日に
 「どうなった?どうなった?」と、
 訊いてくる人もいないでしょう。
  
 でも、こころの入力については、
 すぐになにかを期待してしまうんですよね。
 なにかおいしいものを食べたら、
 「おいしい?」「どんな感想?」
 そこらへんまでは、なんとかなると思う。
 誰かに会ってきて、「どんな人だったか」
 それも、ほんとは簡単にわかるわけじゃないけど、 
 なんとか思ったことを言えるかもしれない。
 
 でも、からだがなかなかできないように、
 こころのほうでも、なかなかできないことって、
 けっこうあるんですよね。
 このごろ、そういうことがほんとうに多くなってます。
 
 だいたい、3月11日からの毎日のこころへの入力は、
 そのまま、ことばにできるものではありません。
 誰かがしゃべったことや、どなたかが書いたことを、
 つぎはぎしてじぶんのことばのように、
 しゃべることなら簡単でしょうが、それはちがうと思う。
 
 本気でうなづいて聴いていましたけれど、
 岩手や宮城で立ち上がっている人の話も、
 福島で理不尽な現実と格闘している人の話も、
 まだこころの底に沈殿してくれていない。
 昨日は、ブータンの旅のメンバーが集まったけれど、
 あの旅がどんなものだったのか、
 いまごろになってぼんやり輪郭が見えてきたかな‥‥。
 
 ほんとに、本気で考えているのだけれど、
 「わかった!」と言いたくないことだらけなんです。
 ことばというすばらしい道具をつかって、
 ずっと仕事してきた身なのですけれどねぇ。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。

「今日のダーリン」より