お金があれば解決に近づける問題と、
そうじゃない問題と(7月6日)
・ぼくは、もともと天下国家のことを論じるのは、
じぶんの役じゃないと思っているのですが、
たまに個人的な妄想として、
空から地図を見るようなことをすることもあります。
お金があれば解決に近づける問題と、
お金があっても解決できるわけじゃない問題と、
両方があるように思えます。
・先日、郡山でお会いした浪江町の方は、
こういう状況になったいま、
「ある範囲の土地を、まるごと買い上げてほしい」と。
相当に広い範囲の土地を国が買い上げたら、
その売ったお金が、引っ越した先での
新規蒔き直しにつかえると、言ってました。
「出て行くのも出て行かないのも、自己判断です」
という状態では、資金も市場も、働き手も、
じぶんたちでなんとかしなきゃならないわけです。
それより、やり直すお金をちゃんと出してくれ、と。
この場所を離れるのはいやだ、という郷愁だけで、
みんなが「帰れる」ことを目指しているというわけでは、
どうやらなさそうです。
そうなると、これはお金の問題です。
個人の応援金くらいではどうにもならないほどの、
大きなお金が必要なことです。
・津波の被害にあった人たちの復興についても、仮に、
生産手段を立て直すための資金を集められたとしても、
そこに「消費する市場」が成立しないかぎりは、
経済活動は回転してくれません。
かなり大量のお金が、いろんなかたちで必要になります。
・政治をやっている人たちに対して、
人々が厳しくなるのは、予算という名前の
「みんなのお金を・動かせる人」だからですよね。
今回、個人だとか市民のレベルで、
たくさんの人たちが、有効な活動をしています。
でも、国家予算のレベルのお金がないとできないことが、
たくさん山積みになっているんですよねぇ。
‥‥以上、素人考えですが「また、お金だなぁ」でした。
ほんと、政治の人たち、そろそろたーのむよーです。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。 |