まだまだ、できることを探していきます。(7月20日)
・3月12日からの数日、このページで、
じぶんがなにを書いていたのか、よく憶えていません。
ただ、必死の気持ち書いていた記憶はあります。
保存してある『今日のダーリン』を、
順番に読みかえしていたら、
あのころの緊張感がよみがえってきました。
ベースになっている考えは、たくさんはありません。
「どちらの判断も尊い」ということが、ひとつ。
ひとりの人間が、真剣に判断したことについては、
別の判断をした人も尊重しましょうよ、ということ。
それから「光の方向を向いていよう」ということ。
3月13日に、こんなふうに書いていました。
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ぼくも、ほっとけば、暗くなります。
悲しいニュースや、悲惨な報告が、
尽きることなく流れてきますし、
それをまた、見ることが義務であるような
不思議な心持ちでいますから。
深い悲しみや恐怖や、強い刺激に、
人間のこころは、とらわれやすいんですよね。
ほっとくと、暗いところばかりに目が行くし、
そのほうが、ちゃんとしているような気になりやすい。
だけど、洞窟の闇のなかにいようが、
射してくる光を見つけないと脱出できない。
その光の穴から、空気も、希望も出入りするんです。
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ああ、必死で、こう言っていたんだなぁと思います。
そして、それ以外のことを言えもしなかったのでした。
そのあと原発の事故が起きてからも、同じでした。
光のほうを見ながらしか、やってこられませんでした。
これは、すっかり夏になったいまも、変わりません。
明るいほうに顔を向けて、なにができるか、
できることをやっていく、その助けをしていく。
光の分量は、あのときよりは、ずいぶん増えたけれど、
言えることは、やっぱりそんなに多くはないです。
まだまだ、できることを探していきます。
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
想像以上に読む人が多かったのが『Unusual』でした‥‥。 |