ひとつずつ、少しずつ(9月26日)

・ひとつのことをやっているときに、
 別のことは、なかなかできるもんじゃない。
 早い話が、掃除をしているときに料理はできないです。
 国語の勉強しているときには、算数の勉強は止まります。
 
 なんでも、そういうことなんだと思うんですよ。
 ぜんぶ、いっぺんに解決することなんてできやしない。
 一泊二日だけれど、また気仙沼に行ってきて、
 いろんな人たちが、それぞれにやっていることを見て、
 話を聞いたりしていて、目に入る景色を見て歩いて、
 温泉に入ったりも、秋刀魚を何匹も食べたりもして、
 あらためて思ったんです。
 
 ひとつずつしかできない。
 あれをやってる間は、これができない。
 誰でもが満足することなんて、ほんとは無理だ。
 だけど、ひとつずつならやれることがある。
 少しずつ進めたら、ずいぶん遠くに行ける。

 「できない」を知ることは絶望じゃない。
 「できる」ことからしている人が、
 ずいぶんいっぱいのことを「してくれている」。
 
 うまく言えないことなのですが、
 よくばらないで、少しをしっかりやってる人たちが、
 あちこちにたくさんいます。
 「ぜんぶはできない」という当たり前のことを、
 そういうもんだよなぁ、とつくづく知ったら、
 少し「できる」ようになるみたいです。
 そして、少し「できる」仲間と知り合えるみたいです。
 
 ぼくらの「ほぼ日気仙沼支社(仮名)」は、
 「あいまい」なまま出発しはじめています。
 わからないのに、やるって、なんかおもしろいです。
 人が生きることそのものも、
 だって、そういうもんじゃないですかねぇ。
 
 東京で毎日やっている仕事についても、
 なんだか、もっとおもしろくやれそうな気がします。
 秋刀魚何匹も食べて、ずいぶん元気になっちゃった。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
ひとりでもやるって開き直ると別のひとりが集まってくる。

「今日のダーリン」より