「忘れない」こと、「分け合おう」ということ(11月11日)

・2011年11月11日11時11分がやってきます。
 まことに、なんの意味もない語呂合わせのようなもので、
 「おお」とか言っておしまいですが、
 大自然のなかで奇岩を眺めるような楽しみがあります。
 なんなら、11年11月11日11時11分11秒まで見つめても、
 いいかもしれませんね。
 
・そして、今日は、11月の11日。
 つまり3月11日の14時46分から、8ヶ月です。
 「復興構想会議」の議長が、政府の施策について
 「率直に言って遅すぎる」と発言しています。
 一所懸命に立ち上がろうとしている人たちが、
 めげないような復興への歩みの「速度感」が、
 とても大事な時期のように思います。
 
 光の射す方向を向いて進もうとしている人たちは、
 たしかにたくさんいるのです。
 その人たち足もとを、
 さらに自信を持って歩めるように固めていくには、
 国の大きさでの助けがとても大事になっています。

 復興の当事者であり、
 じぶんたちのことを必死でやっている人たちは、
 不平や非難をすることは少ないのですが、
 大きな規模の施策がなければ無理なことだらけ、
 ということは身にしみて知っています。
 小さな力の助け合いでは、できないことについて、
 「遅すぎる」のままではいけない‥‥。
 ぼくにも、そういう実感はあります。
 
 誰に言うものなのか、よくわからないのですが、
 この3月に、ほとんどの人たちが、
 「この痛みは、みんなで分けよう」と思ったはずです。
 その覚悟が薄められていかないようようにと、
 ぼくは、しつこく東日本大震災のことを言っていきます。
 力もないし、できることしかできないですが、
 「忘れない」こと、「分け合おう」ということくらいは、
 続けてやっていきたいと思います。
 言いたいことがあっても口を真一文字に閉じて、
 前を向いて歩み出している東北の仲間たちを、
 ぼくはほんとうに尊敬します。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
楽しむときは楽しみ、思い出すときは思い出して、です。

「今日のダーリン」より