「場」というもの(12月30日)

・「場」というものが、どれだけ大事なもんか、
 どんどん切実に思うようになっています。
 
 遊ぶにも、遊ぶ「場」が必要です。
 たしかに、どこでだって遊べると言えば言えるけど、
 「場」のない遊びは、とても限られます。
 なにかものを売るとしても、
 「場」がないとむつかしいです。
 インターネット上の見えない「場」であったとしても、
 なかったら、どうしようもありません。
 いつも暮らしているじぶんの町では、
 ゆっくりできる「場」だとか、食事をする「場」だとか、
 誰かと話す「場」だとか、だいたいわかっています。
 でも、ほら、旅行に出かけて、よその町を歩くとき、
 休むにしても、食べるにしても、
 「場」は探さないとどこにもないでしょう。
 
 大震災の話で、よく聞いたのが
 『陸前高田ドライビングスクール』のことでした。
 震災後から、いろんな人たちに「場」を提供した。
 自衛隊、放送局、救援物資を配る活動、勉強会、
 臨時の商店街‥‥なんでも、そこに出来ていった。
 どれひとつ、「場」がなかったら成り立たなかった。
 ものすごく切実な「場」だったわけです。
 
 「ほぼ日」をはじめてから、何度か事務所の移転をして、
 その度に、ミーティングの「場」を増やしました。
 人と人とのつながりが大事だとか、
 考えを他の人にぶつけて試してみろとか言うのに、
 それをする「場」がなかったら、
 結局、じぶんの頭とコンピューターで仕事しちゃうに、
 決ってるじゃ‥‥あーりませんか。
 集まる「場」があるから、集まるのがクセになるんです。
 
 人が大事、人が基本、人が仕事をする、人に投資しろ。
 そこらへんまでは、理解してる人も多いと思うんです。
 でも、その「人」の価値を大事にするためには、
 「場」というものが、とても必要なんですよね。
 そしてその「場」ってものは、自然にはできないし、
 しっかり守らないと無くなっちゃうこともあるんだなぁ。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「ほぼ日」って「場」が、喜んでもらえたらうれしいです。

「今日のダーリン」より