「なんでもない」(1月11日)

・「なんでもない日、おめでとう!」は、
 もともとディズニーアニメの
 『不思議の国のアリス』のなかのことばです。
 小さいころから、ぼくの頭のなかにずっとあったんです。
 もともと、おとなっぽい逆説として
 歌われていたものなんだと思うのですが、
 ぼくは、なんだか、素直にそのまま気に入っていました。
  
 なんでもない日のほうが、なんでもある日よりも、
 何倍も何十倍も多いと思うわけです。
 んで、その多いほうが「うれしい」なら、
 ほとんど一生「うれしい」ではありませんか。
 「大うれしい」が、たまにあるよりも、
 毎日のように「ふつううれしい」やら
 「小うれしい」があるほうが、ごきげんでいられる。
 ‥‥なんてことを考えていたわけでもないのですが、
 ぼくはどうも「なんでもない」が好きみたいです。
 
 あの震災があってから、
 「なんでもない日」をやってくのって、
 ちっとも容易いことじゃないと知って(いまさらかい?)
 その気持ちはますます強くなりました。
 そして、よくかんがえたら「日」ばかりでなく、
 たいていの「なんでもない」が好きなのではないか。
 そういう気がしてきています。
 「なんでもない人」「なんでもない献立」
 「なんでもない土地」「なんでもない動物」
 どれも、みんなとてもいいなぁ。
 
 いろんなものごとを円グラフで表わしたら、
 ほとんどは「なんでもない」なんだよなぁ。
 「おれは信長だ」とか「おれ家康」とか、
 「ぼくはジョブズ」なんて「なんでもある人」のことを、
 さんざん語ったりしてても、実際に動いたり戦ったり、
 買ったり使ったりするのは「なんでもない人」たち。
 
 「なんでもない」のなかには「なんでもある」の成分が、
 ちゃんと組み込まれているんだと、ぼくは思う。
 「なんでもないラーメン」のなかには、
 「すっごくうまい」が、ちゃんと込められていたりする。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
なんでもない赤ん坊が、育っておとなになって老いて死ぬ。

「今日のダーリン」より