強烈なまでの「活性」を感じます。(1月22日)

・先日の『スコップ団』の人たちに会ったときにも、
 同じような感慨があったのですが、
 気仙沼の仲間たちに会っていると、
 いつでも、強烈なまでの「活性」を感じます。
 
 「生きもの」としての人間の持っている、
 生きようとするエネルギーみたいなものかなぁ。
 一歩でも、二歩でも、動こうとしている感じがあります。
 言うだけのことば、言うだけで過ぎる時間というのが、
 世の中にはいっぱいあるんですよね。

 でも、活性の高い人たちの間では、
 動こうとしてことばを発し、
 動きたくてことばを見つけているんです。
 そのせいで、後退してもかまわないという覚悟はある。
 やってみて無駄になったとしても、
 無駄のまま終らせはしないという抜け目なさもある。
 安定しようとか、落ち着こうということが、
 ほとんど感じられないくらいです。
 
 ま、あえて安定というものがあるとしたら、
 「動的な安定」というような感じかなぁ。
 どうすれば生きられるか、
 どうしたらもっとよく生きられるか、
 ああしてみよう、こうしてみよう‥‥と、
 目玉がきょろきょろ動いていて、
 足のかかとが上がっていて、
 どういう機会にも飛びつけるようにしている。
 凶暴とはちがうけれど、ネコ科の猛獣のようです。
 
 おそらく、「ただじっとしてたら沈んでしまう」という
 ある種の危機感が基本のところにあるのだとは思います。
 でも、その必死さのベースに、
 鋭敏さや、知恵や、ユーモアまでも練りこまれて、
 なんだかえらく活気があるんです。
 正直言って、この猛獣たちは、人を見抜いてますし、
 いっしょに動ける生きものとだけ、動こうとしている。
 そして、そういう人たちにつきあっていると、
 ぼくらまで、その影響で活性が高くなってしまいます。
 でも、いい加減にしてたら振り落とされちゃいますね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
おもしろい人のように、おもしろい「ほぼ日」でありたい。

「今日のダーリン」より