おもしろいおじさん(2月24日)

・寒さが少しずつゆるまって、
 春が見えてきたかなというころ、
 3月11日がやってきたのだった。
 それでも、あの日の北国は雪が降っていて、
 凍えるような寒さだったということを、
 ぼくらはニュースで知っている。
 
 ひとつも明るいことなんか伝えられないテレビから、
 ひっきりなしにうれしくないことが流れてきた。
 そのときの記憶がなくなったわけではないけれど、
 いろんなことが忘れられようとしている。
 写真に残っていること、録画されている番組、
 さまざまな報道の記録、日記や伝言、ツイート、メール。
 そういうものは残せるのだけれど、
 瞬間瞬間に、こころに浮かんでいた感情は、
 ことばにならないまま消えてしまったりもする。
 
・いまごろになって思い出したことがある。
 あの時期、ぼくはこころが弱くなると、
 おもしろいおじさんのことを想像したのだった。
 誰ということではなく、ただのおじさん。
 救いようも救われようもないと思われた場面で、
 つい、おもしろいことを言っちゃうおじさんを、
 ぼくは想像していたのだった。
 そういう人が、必ずいるんだと確信していた。
 
 笑えない場所で、悲しいばかりに思える場面で、
 つい、おもしろいことを言うおじさんは、
 きっと、このテレビカメラの近くにもいるはずだ。
 そういうおじさんの、しょうもない冗談は、
 絶対に報道されっこないのだけれど、
 おもしろいおじさんは、ずぶぬれになりながら、
 たぶん、なにかばかなことを言っているんだ。
 
 ぼくは、東京にいてさえ気持ちを縮ませているとき、
 ほんとうは会ったことのない見知らぬおじさんを思った。
 そんなおじさんがきっといるんだ、と思うだけで、
 どれだけ勇気が湧いたことか。
 気を持ち直したぼくは、こんどは、じぶんが、
 おもしろいおじさんになろうと思ったのだったっけ。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
まだ、言います。言ったほうがいいから。東京は元気です。

「今日のダーリン」より