女性も、地方も、英語(外国)(3月3日)

・3月11日が来るまで、日本もだけれど、世界も、
 けっしてうまく行っていたわけじゃないんですよね。
 どうなるだろう、どうするんだろう、
 というようなことばかりでした。
 
 強くて健康なおとながケガをしたというよりは、
 もっと弱っていた初老の人が倒れたようなものでしょう。
 つい、このあたりのこと、忘れちゃうんですね。 
 
『ブータンの雨と幸せのはなし。』の御手洗瑞子さんが、
 なにかの打ち合わせのときに、
 「これまでの日本は、片手で短剣を持って
  戦っていたピーターパンのようだと思う。
  日本が使ってなかったもう一方の手にあるのは、
  女性の力、地方の力、(外とやりとりする)英語力、
  この三つだと思うんです」
 ということを言っていました。
 逆の言い方をすれば、
 男の力、中央の力、国内のための言語だけで、
 これまでの日本の発展はやってこられたわけで、
 その行き詰まりがやってきていたということになります。
 
 行き詰まっていたのは、
 男たちの、中央集権的な発展、強い国内市場、と考える。
 そして、一年前の大震災を機会に、
 使っていなかった、あるいは、使えてなかった
 もう半分に「助けてもらう」ことが必要なのではないか。
 ぼくも、まったくそう思っています。
 
 ほんとうに必要とされていると、
 女性も、地方も、英語(外国)も、
 信じちゃっていいんだと思います。
 そして、マンガに出てくるようなダブルのスーツ着て、
 「そりゃぁキミぃ、あれだよ」なんて言ってるような
 男のえらいさんは、あんまり必要とされてない
 ということに、本気でがっかりしていいと思うんです。
 
 で、おまえはどうするかって?
 見ててくれたら、わかると思うけどなぁ。
 「気仙沼のおかみさんたち」と、いろいろ考えるよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
『吉本隆明が語る親鸞』の重版が決定。うれしいですうっ。

「今日のダーリン」より