被災地から、生まれだす(4月5日)

・景気のいい時代には、ふつふつと、
 いろんなものが鍋の底の泡のように沸き立ちます。
 なにをやっても食えるというところがあるから、
 「いかにもなんでもあり」なことを、
 若い人たち、野心的な人たちが試みます。
 そのなかには、いままでになかった
 新しいやり方も生まれてきたものでした。
 
 そして、景気の悪い時代になると、
 「いかにもなんでもあり」のほとんどが、
 悲しいかな、つぶれたり消えたりしていきます。
 だから、そうならないようにと、
 みんなが「しっかりしたこと」をしようとします。
 でも、「しっかりしたこと」は、
 往々にして、みんなの欲しがらないものなんですよね。
 「しっかりしたこと」は、とても必要なことです。
 そして、とても大事なことでです。
 ただ、ただね、みんながやることじゃぁない。
 ‥‥と、ここまでのことについては、
 震災前でも同じことが言えたと思うんですよね。
 
 でも、2011年3月11日の震災から後には、
 「いかにもなんでもあり」が、
 「なにをやっても食える」場所からではなく、
 食える手段を一気に奪われた被災地から、
 生まれだすんじゃないでしょうか。
 (希望的にすぎる言い方になってるかもしれないけど)
 
 例えばです、大きい家が立派という考えがあったのに、
 それが津波でさらわれて失われてしまったとき、
 「大きくないけど、うれしい家」について、
 真新しい発想で考えはじめている人がいます。
 「半分支援で、半分投資」なんていうファンドに、
 人々が参加してくれるということについても、
 かつてだったら「非常識な発想」と笑われたでしょう。
 かつてのバブルがお金の沸き立つ泡だったとしたら、
 いま、被災地を中心に、発想のバブルがあってもいい。
 「かなりなんでもあり」でないと、始まらないんだから。
 いま、将来を考えている若い人たちが、
 被災地から「次の時代」をつくるんじゃないかなぁ。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「なんでもあり」と「すてき」が交差した所で生きたい。

「今日のダーリン」より