海のほうを向いて生きてきた(4月16日)
・ぼくが大人になる前に18年間いた前橋という町は、
北と西に山が見える盆地でした。
そのせいか、いまでも山の見えるところにいると、
なんだか落ち着くような気がします。
そして、海は、なにかめずらしい感じのある憧れです。
気仙沼の震災復興計画のキャッチフレーズは、
「海と生きる」です。
離れたところにいるものからしたら、
そこにいた人たちの
なにもかもを奪っていったのも海ですから、
このキャッチフレーズには、ちょっと驚くかもしれない。
しかし、気仙沼のその場にいる人たちは、
「海と生きる」と言い切っているのです。
ぼくはいなかったのですが、気仙沼でのミーティングで、
「気仙沼の人たちは、みんな、
ずうっと海のほうを向いて生きてきたんです」
という話になったのだそうです。
ずっと遠い昔。
豊かな土地がなくても、海が助けてくれた。
生きるための糧は、海からしか手に入らなかった。
魚でも、貝でも、海草でも、海が恵んでくれた。
いつでも、人々は山を背後にして、
海を見つめて暮らしてきたといいます。
その同じ海が、なにをしたとしても、
見ているのは、見つめていくのは海のほう。
陸路では不便な気仙沼ですが、
海路は、世界につながっている
というリアリティがあるのだそうです。
子どものころから、世界の港の名前を知っています。
おとうさんや、おじいさんが、行っている場所ですから。
海を見ている気仙沼の人たちが、
海の先に見るのは、もしかしたら、
日本という島国じゃないのかもしれません。
ぼくも、気仙沼の人たちの目玉を借りて、
海の向こうを想像してみようと思うようになりました。
それが、新しい計画の視点であり始点になりそうです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ふたつの予告動画が、傑作。なにかといろいろ、いっぱい。 |