休んだほうがいい(4月19日)

・「休んだほうがいい」と言ってやりたいときがあります。
 過酷な日々を送ってきた人なんかは、
 緊張をちょっとゆるめられるときがくると、
 「わからない」「つかめない」状態になってしまいます。
 
 さまざまなものごととの距離感、
 あるいは時間の感覚が、むちゃくちゃになります。
 遠くにある問題を、いま解決できるような気がしたり、
 すぎ近くにあることが目に入らなくなったり、
 ずっと先にならないと無理なことに、
 急いで取りかかりたくなったりね。
 
 あれもしなきゃ、これもできるはずだ。
 いやいや、こんなことしてる場合じゃない。
 こういうこともなにかの役に立ちそうだ。
 なんて具合に、広大な海のまんなかで
 立ち泳ぎをしているつもりで溺れているような状態。
 
 これはもう、疲れです。
 疲れたら、じぶんへの命令や情報入力を、
 いったん遮断しないと、どうにもなりません。
 よく寝るとか、やりたいことをしてみるとか、
 どっか遠くへ行ってしまうとか、
 「なんの機能もしないわたし」を、楽しむほうがいい。
 役に立たず、義務もない、それが「休み」です。
 
・ぼく自身も、休みがへたなのですが、
 去年の震災からこっち、休むことを上手にできずに、
 疲れて強ばっている人は、たくさんいると思うのです。
 「休んじゃいられない」と言いながら、
 堂々巡りの立ち泳ぎであっぷあっぷしてるよりも、
 がっと、勢いつけて休みましょうよ。
 いや、ひとりずつの事情も知らずに言ってるんですが、
 呼吸を長くするとか、からだを温めるとか、
 筋肉をよく伸ばすとかと同じように、
 こころを休ませることが必要な人たちが、
 いま日本中に、とても、たくさんいるように思うんです。
 よく休めると、世界ががらっと変わって
 ずっと明るく見えたりもするんですよね。
 老婆心ながら、ぼくはそんなことを言ってみました。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「甘ったれるな。でも、休め。」っていう感じかなぁ‥‥。

「今日のダーリン」より