「復超」くらいの気持ちが必要(5月11日)

・ちょっとちょっと、みんな思い出してくれないか。
 2011年、つまり去年の1月や2月は、明るかったか?
 世の中が、希望に満ちていたんだっけ?
 そんなことなかったよ。
 不景気だ、行き詰まりだ、袋小路だ、緊縮だ、覚悟しろ、
 そんなことばかり言ってたよ。
 「リーマンショック」だったっけ?
 この先の日本は衰退の一途をたどるって、縮こまってた。
 ああすればいい、こうすればいいって、
 学者やら評論家やらが、言い争ってもいたよ。
 
 3月11日は、そういうときに起こったわけです。
 どんどんダメになる、希望なんかない‥‥と、
 メディアはそんなことばっかり言ってたでしょう。
 そこに大震災があったし、原発の事故があったわけです。
 あの日が、なかったら、おそらく、
 いまも不景気と行き詰まりについて、
 新聞もテレビも週刊誌も語っていたにちがいないです。
 
 2011年3月10日までの日本が、
 決して明るくなかったということを、
 ぼくはよく思い出すんです。
 だから、「戻ろうとしちゃダメだ」ということが、
 ものすごく重要なんだと考えています。

 みんなが、ことば遊びのように、
 「復旧」じゃなくて「復興」が大事なんだと言います。
 でもねー、復興の「興」の文字になにを当てはめるのか?
 「興」と言えるようなことを、はじめているのかなぁ。
 だいたい、東北にしても、日本全体にしても、
 あの日までだって、うまく行ってなかったんですから。
 つまり、ほんとうは、全然ちがった目玉で見て、
 「これを機会に」くらいの気持ちで、
 「いい考え」を実行していくはずだったんですよね。
 でも、そんなふうに進んでいるとは思えない。
 「できること」をしよう、の「できること」って、
 ほんとうは過去の例にとらわれないことが、
 いっぱいあるはずなのに、見つけられてないよなぁ。
 ぼく自身も、まだまだ全然ダメだと思ってます。
 「復超」くらいの気持ちが必要なんだよなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「BEGINNING」は、じぶんへの励ましで、おまじないです。

「今日のダーリン」より