2011年、自分は当時、鎌倉の私立男子校に通う中学2年生。
そして3月11日は初めて骨折した日。
その日、校庭で部活をやっている生徒の中で
「あ、地震だ!!」と最初に気づいたのは自分だったのに、
いちばん避難が遅れたのも自分だった気がする。
ラグビーの練習中、人生初の骨折(しかも足)を
地震発生数十分前にしてしまっていたようで、
地面にうつ伏せで倒れていた。
逃げ足だけが武器だったのに、
もし次にもう一回惨事が起きたら、
いちばん逃げ遅れるのは自分だと考えると少し恐ろしかった。
その後、街はほぼ停電し、交通機関が全て止まっていた。
家に帰れない人は、学校の真隣にある建長寺で、
カンパンと布団が用意されみんなで宿泊することになった。
当時14歳の本音を言うと、
ちょっとした修学旅行気分のワクワク感もあった。
でも翌日、足を引きずりながら病院に向かい、
そこの待合室のモニターで
東京のビルから炎が吹き出す映像や、
東北の惨状を初めて見た。
あのたった一瞬で、そう遠くはない土地と人々の生活が
めちゃくちゃに変わっていた事に衝撃を受けた。
それと同時に、気付かないだけで、
身の回りに計り知れないたくさんの、
しかも巨大なリスクに日々囲まれていながら、
安寧に生きれているのは
もう「運」としか言いようがないなと感じた。
無神論者だけれど、最近自分たちの力の及びえない
「運」というものを意識する機会が多くなってきた。
3.11は自分にとってその原体験とも言えるかもしれない。
(りゅートリックス)
2020-03-10 TUE