和田安史さんのプロフィールはこちら
── 紡績のプロが
どうして編めるのかよくわからないと言う
吊り編み機ですけど、
今の技術をもってすれば、
新品の吊り編み機も、作れますよね?
和田 作れるやろなぁ。
── でも、誰も作らないのは‥‥。
和田 10年くらい前に機械屋さんに聞いたら
吊り編み1台、新しく作るのに
カローラ1台って言われたことある。
── つまり‥‥。
和田 200万。
── ははぁ。
和田 今、120台まわして
ようやく注文に応えられているのに
1台200万出してたら
ぜったいに、採算に乗らへんで。
── なるほど‥‥。
和田 針だって、
メイド・イン・ジャーマニーやから
注文してから1年ほどかかるし。
── あ、そうなんですか。針はドイツ製。
和田 そう、ドイツでしか製造してへん。

うちは、今すぐに生産中止になっても
15年はもつくらいの
ストックがあるから大丈夫やけど。
── ‥‥でも、こうやってよく見てみると、
吊り編み機によって
いろんな生地が編まれているんですね。
和田 うん。
── 何種類くらい、編めるんですか?
和田 いまは、シングルで編める組織だったら
ほとんどできるようになった。
── ほとんどと言いますと‥‥。
和田 ボーダーもできるし、鹿の子もできるし、
タオル地みたいなパイルもできるし。
── 「できるようになった」というのは?
和田 この機械、最初はふつうの「天竺編み」しか
できなかったんやけど、
「コマ」の部分を、工夫したんです。
── つまり、吊り編み機を改造したんですか?
和田 結局、いろんな生地を編むためには、
自分で考えないと、誰も考えてくれへん。
── なるほど。
和田 吊り編みより45倍も生産性の高い
大量生産の機械と競争していくためには
ぼくとこの吊り編み機は
季節によって
いろんな生地を編めないと、ダメなんや。
── つまり、大量生産の機械は「専用機」だと
いうことですか。
和田 そういうことです。
── 季節によって専用機が止まってる間にも、
吊り編み機の場合は、
編む生地を変えて、常に回している、と。
和田 鹿の子を編んだり
パイル地を編んだりするためには
吊り編み機の
「コマ」の部分を開発せなならんかった。

そこで、部品の業者さんに頼んで、
いろいろ、作ってもらったんや。
── こういうものを編みたいから‥‥と?
和田 いや、それじゃダメ。うまくいかん。

こっちから
「こういう部品を作ってくれ」
そのものズバリを注文しないと。
── なるほど、任せきりじゃ‥‥。
和田 うまくいかんね。

「ここをこういうふうにして、
 ここをこれだけ削って」って指示して、
型から特注してもらわんと。
── へー‥‥。
和田 それで、いろいろ編めるようになって、
嫁さんの知恵でボーダーなんかも入れたら、
新しいお客さんも来てくれるようになって。
── あ、ボーダーは奥さまのアイディアですか!
和田 そう、洋裁の先生やってたもんで、むかし。
── なるほど、そのセンスで。
和田 市販のステッピングモーターを改造して、
パソコンでソフト組んで、
吊りでボーダー編めるようにしたんです。
── ちなみに、ボーダーをやってるところって
和田メリヤスさん以外に、あるんですか?
和田 吊りでは、ないと思うねん。
── じゃあ、和田さんの発明なわけですね。
和田 まぁ、大げさに言ったらそうだけれども、
日本は、本当にすごい技術を持ってるさかいに、
利用できるのは、利用したらええ。
── ボーダーを始めたのは、いつごろですか?
和田 35~6年前かな。
── はー‥‥これは、何の装置でしょう?
和田 糸に水溶性の油をつけてるの。
── ほー‥‥。
和田 ワックスだと
なかなか糸についてくれないんやけど、
これだったら、
すうーっと染みこんでいくんや。
── これも、和田さんの手づくりですよね。
和田 そう。
── どのくらい吊り下がってるんですか、
このビンは、ここに。
和田 最初のころからやな。
── 最初というと‥‥。
和田 うち、もう54年になる。
── 54年!
和田 むかしは、てんぷら油でやってたんで。
── てんぷら油!
和田 先代の親父さん、そう言うてた。
── これ、やるのとやらないのでは‥‥。
和田 ホコリは少なくなる、
磨耗は少なくなる、滑りがよくなる。

そんなんで使ってます。
── そういえば、この工場では
月々の電気代が4万円くらいしか要らないと
聞いたんですが、それも和田さんの工夫?
和田 まぁ。
── ふつう、工場をやってたら
電気代って
月に何十万とかかると思うんですけど。

‥‥というより「月に4万円」くらい
比較的大きな家庭なら
季節によっては、いっちゃいますよね。
和田 節電や。
── また、和田さんのアイディア節電?
和田 ひとつには、コンプレッサーのタンクを
一個、増やしたの。
── ‥‥はぁ。
和田 コンプレッサーいうたら
どこのニッターさんも据えてるんやけども、
ふつうはタンク1個のところを、
うちの場合は、
もう1個、空のタンクを隣に据えたんです。
── それだけで、節電?
和田 結局、コンプレッサーでも何でも、
「かかるとき」が、いちばん電気食う。

いったん、かかっちゃえば、
そんなには、電気を食うことはないの。
── ええ、なるほど。
和田 コンプレッサーというのは、
中の空気が減ってくるとブーンと動き出して
空気が貯まってきたら、止まるんです。

でも、空のタンクを1個つけてやって
タンク自体を大きくしてやると、
ずうーっと「かかりっぱなし」になる。
── つまり、動いたり止まったりしない?
和田 もちろん、それだけやないけど、
そんなような工夫を積み重ねていったら、
月に4万円、要らなくなった。
── ははー‥‥。
和田 ここの壁の装置で、吊り編み機の回転数を
自由に変えてるんやけど
これなんかも、節電対策のひとつやね。
── おお、かっこいーい!
つまり、
吊り編み機のコントロールパネルですね!

‥‥これも自作?
和田 自作。
── そのー‥‥さっきのコンプレッサーの件は
どうやってわかったんですか?
和田 電気屋に聞いても、教えてもらえないんで、
自分で、いろいろ勉強したんやけど。
── 勉強‥‥ですか。
和田 勉強するなら、とことんせんと気に入らんでね。

結局、今の嫁さんといっしょになって
2人目の子どもできたときに
言われたんよ、
「このままでは食べていけない」って。
── ‥‥あ、そうなんですか。
和田 なんとか、お金を儲けること考えてもらわんと、
食べていけない、
子どもらを、養のうていけないって。
── ええ。
和田 それまでも、嫁さんにメリヤスのことを
手伝ってもらってたんやけど、
嫁さんが
「もっと自分が働くさかいに、
 もっと勉強やってほしい」
って。
── どんな勉強をされたんですか?
和田 当時、マイクロコンピュータの時代だったから
そのことだったり、
他にも経済のこととか、人相学とか。
── ‥‥すみません、和田さん、
マイクロコンピュータや経済はわかるんですが
人相学というのは‥‥。
和田 結局、得意先に行っても
若い女の子と話すきっかけが掴めなかったんよ。
── ‥‥つまり、話題づくり?
和田 人相学を勉強してからは
「おたくさん、こんなんやで」って言うてやると
女の子、ノッてくるんやわ。
── つまり、営業トーク‥‥。
和田 得意先で、仕事のことばっかし話してたら、
覚えてもらえないし、
ただ、それだけの人になってしまうやろ。
── すごい。
和田 雑談のほうが多いんやから、結局。
── すごいです。
和田 夕方の6時ぐらいに工場終わって、
7時に帰ってきて、
夕ごはんで7時半、8時ぐらいになってね、
それから
朝方の5時か6時ぐらいまで
5年半、毎日、勉強やったんです。
── ‥‥今、ハッキリとわかりました。

マイクロコンピュータだとか経済学だとか
節電だとか人相学だとかの延長線上に、
この吊り編み工場全体があると思いました。
和田 ぜんぶ、関係あるんで。
── 吊り編み機だけじゃなくって、
工場全体が、
ほとんど和田さんの手作りじゃないですか。
和田 まぁなぁ(笑)。
── 納得するまで、とことんまで追求する
和田さんの性格が、
この、オールハンドメイドのような工場を
作り上げたんだと思いました。
和田 それもこれも、
親父さんと大ゲンカやったんが最初でね。
── 大ゲンカ?
和田 先代の親父さんはね、
昔かたぎで、新しいものなんかできないって
そういう発想やったんやね。

でも、ぼく、だいぶ変わってたんで‥‥。
── 変わってた、って‥‥そうですか(笑)。
和田 親父さんに、いろいろと
「こんなのやったらば?」って提案してたの。

でも、その当時のぼくには
まだまだ、たいした技術はなかったから、
親父さん「そんなん、できない」言うて、
大ゲンカやったことある。
── へぇー‥‥。
和田 でも、そのときにお袋さんが中へ入って、
「一回やってみたったら」言うて、
それが、なかなか、うまくいったんやな。

それからは、親父さん、
ぼくの言うことも
少しは聞いてくれるようになったんです。
── なるほど‥‥でも、この吊り編み機の動きを
見れば見るほど
よくまぁこんな機械、考えたなって思います。
和田 なぁ(笑)。ぼくも、そう思うわ。
── ものすごく複雑ですよね。
和田 スイスから入ってきた機械やけれども、
うちの機械を
パリのプルミエール・ヴィジョンに
持っていったら、
ものすご注目されたっていうてたな。
── プルミエール・ヴィジョンっていったら
有名な繊維とか服地の見本市ですよね?

やっぱり向こうでもめずらしいんですね。
和田 うちとこの機械がフランスのパリまで
3往復したんやで。
── すごい。
和田 1往復、200万かかるって言ってた。
── ははー‥‥。
和田 おかしいやろ?
── 3往復ということは、しめて600万円‥‥。
和田 この台、見てみ。鹿の子を編んでる。
さっきの天竺のコマと、ちがうから。
── これが、鹿の子用のコマですか?
和田 そうそう、ここのところを
「1本飛ばし」で押さえて編んでるんやけど、
ぜんぶ押さえると、天竺になる。
── なるほど。
和田 2本ずつ押さえたら、ピケになる。
── はー、なるほど。へぇー‥‥。
和田 で、こっちはパイル。
── 本当に、何でも編めるんですね。
和田 たしかに、量はできないけれども
部品を変えることによって
いろんな生地を編むことができる。
── ほんと、おもしろいです。

はじめは天竺しか編めなかったものを、
工夫や改造によって
鹿の子やボーダーを編めるようにしてしまった、
というところが。
和田 1台あたりの編める量が少ないんやから
細かい注文にも応えられるし、
何台も回せば、ある程度の量はできるしな。
── 少量多種生産に、すごく向いてるんだ。
和田 そうそう。
── その意味では、すごく現代に合った機械ですよね。
モノじたいは、超年季入ってますけど‥‥。
和田 もっともっと変えられると思うんや。
── まだまだ
発明の余地があるってことですか?
和田 そう。
── 明治時代に発明された古い機械に、
まだまだ、未来があるってことですか?
和田 やりたいこといっぱいあるしな。
── ‥‥和田メリヤスの吊り編み機って、
これからもどんどん進化していきそうですね。
和田 うん。
── 和田さんに、やりたいことがありさえすれば。
和田 ははははは、そうやなぁ(笑)。
<つづきます>
2011-04-19-TUE
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もくじ  
第1回 魔法のかかった編み立て機? 2011-04-18-MON
第2回 生まれは明治、進化の途中。 2011-04-19-TUE
第3回 道具を信頼する、ということ。 2011-04-20-WED

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