横尾忠則 アホになる修行の極意。 横尾忠則×糸井重里 対談
横尾忠則さんの新しい著書は
『アホになる修行』というタイトルの言葉集です。
アホになるとは、いったいどういう修行でしょうか。
ここ数年、横尾忠則さん主催の「合宿」で
夏の数日間をごいっしょしている糸井重里が、
改めてお話をうかがいました。
じつは横尾さんによれば、その合宿のテーマは、
「なにもしないことをする」というもので、
それはすなわち、アホになる修行の一環と考えられます。
82歳の横尾さんが最近元気になったという話題から、
人生のあみだくじ理論に至るまで、
一生をかけた修行の極意、うかがいます。


002 頭ではなく体の声に従うだけだ。
糸井
横尾さんの書いた文章を読んでいると、
「これはもしかして横尾さんご自身も、
ほんとうはまだわかってないんじゃないかな」
と思うことがあります。
横尾さんはそんなふうに、
はっきりしないことも書きますよね。
横尾
ああ、それはね、
願望を書いてるわけよ。
わかったふうに書くことも自分にとって大事。
「こうであってみたい」ということを書いたり、
自分に対する戒めを言ったりしてるの。
ぼくはあくまで、第三者に興味はないからね。
自分に興味がある。
まぁ、だいたいみんなそうだと思うんだけど。
糸井
今度出た『アホになる修行』の本は、
これまでのいろんな著作や記事から
抜き出した言葉集ですが、
横尾さんはそうとういろんなことを言ってますよ。
でもこれも、基本的には
自分に対して言ってることが多いんですね。
横尾
特に美術や絵に関しては、
ぜんぶ自分に言ってるよ。
それを誰かが読んで
創造の秘密だと思うか思わないか、
それはぼくには関係ありません。
糸井
つねに興味が
自分にあるということですね。
横尾
自分の頭じゃなくて、体にね。
この前、医者に
糖尿病にはなってないけれども
糖尿症候群になってる、
というようなことを言われちゃったの。
糸井
そうでしたか。
横尾
だけど、薬を飲む必要はない。
「食事と散歩で治しましょう」
「1日に30分は歩いてくれ」
って言われてさ。
昔は30分歩くと、かなり向こうまで行きました。
でも最近は、ぜんぜん近場なのに
30分が終わっちゃいます。
糸井
つまり、遅くなったんですか? 
横尾
そう。歩くスピードが出ないの。
もっと遠くまで行けたはずなのに、
いまは駅まで行って帰ってきたら、30分が終わり。
倍くらいかかるようになったよ。
もうひとつね、
道路にラインがあるじゃないですか。
糸井
ライン? ああ、道路の白線ですね。
横尾
あのラインの上を
ファッションモデルが歩くように、
昔は歩けたわけですよ。
けれどもいまはよろついて、
ラインからはみ出しちゃうわけ。
78歳くらいまでぼくは、
よろけるということがなかったんです。
糸井
ぼくはすでによろけてます。
横尾
それは、お酒飲んでよろけてるんじゃないの?
糸井
違います。
横尾
ぼくは角を曲がるときに、
早く曲がりすぎることがあるよ。
糸井
早く曲がりすぎる‥‥?
横尾
家の中で廊下の角を曲がるときに、
早く曲がりすぎて、
壁にぶつかってしまうわけ。
ここが廊下だとするでしょ。
糸井
はい、はい。
横尾
こう歩いていって、
糸井
歩いていって。
横尾
で、曲がるわけ。
1歩手前で曲がってしまうの。
通路だと思っていたところが壁だから、
ガーンと肩をぶつける。
糸井
あ、いま思い出しましたが、
同じことを吉本隆明さんが本で書いてましたよ。
横尾
そうなの?
糸井
「頭はいままでどおりの速度で動いているけど、
体がそれより遅くなっている」
というふうにおっしゃってました。
「老人になればなるほど、
思っていることは研ぎ澄まされるんだけど、
体がついてこない」
って。
横尾
そうそう。だからね、
体を脳と入れ替えてしまえばいいんですよ。
吉本さんは、脳の人だから、
脳の問題は脳で解決しようとするのかもわかんない。
糸井
そうかもしれないですね。
横尾
ぼくは、脳はあとから来た、
後天的なものだと思っています。
だから肉体を優先したほうがいいと思う。
つまり、脳の支配を受けないで、
肉体の支配を受けたほうがいい。
ある年齢に達したら、みんな
そのことに気づいていると思う。
体と気持ちが乖離していくことがあるとすれば、
それは脳の支配を受けてるからだとわかります。
糸井
そういうとき、
優先順位を肉体のほうにするんですね。
横尾
そう。
糸井
ということは、
曲がっちゃった自分に
脳がついていくようにすればいい。
体にあわせて、
ちょっと遅く考えるようにしよう、と。
横尾
そういうことですね。
肉体が脳だと思ったらいいわけよ。
それはいわば何に対しても、
「経験からいくと、
言葉にすればそういうことかな?
と思う」
ということです。
ぼくらは子どもの頃、
だいたい19歳くらいまでは、
体が脳化してたでしょう?
糸井
そうですね。
脳は先回りしていませんでした。
横尾
それが20歳以降は、
脳が優先されるようになってしまう。
そのほうが生きやすくなるからです。
相手が社会になっていくからね。
糸井
「行動に目的がある」なんていうことは、
まさしくそうですよね。
横尾
子どもには目的がありません。
あるとすれば、
「いま一所懸命三昧をやってること」が目的だから、
結果もない。
しかし、大人になると大義名分に従っていきます。
糸井
「廊下の角」という「先の目的」を見て、
そこに行けるはずだと思ってから
体をついていかせる。
大人はそれをずっとやってるんですね。
横尾
そうですね。
糸井
それは、けっこうくたびれます。
横尾
くたびれるよ。
だから、目的を持たないのが
いちばんいいわけ。
糸井
本来、絵を描くというのはそういうことですね。
横尾
絵を描くことはね、
展覧会に出して誰かの評価をもらったり、
これが売れてなんぼのもんだ、ということが
一般的な画家の
目的になっているんですけれども。
糸井
でも、そうじゃないですよね。
横尾
うん。
絵はおもしろいから楽しいから描く。
「いま描いてること」が目的です。
ほんとうはそれですべて
一致しているはずなんだけどね。
絵だけじゃないよね。
ほかのこともぜんぶそうでしょ。
(明日につづきます)
2018-07-06-FRI
横尾忠則さんの新刊

『アホになる修行 横尾忠則言葉集』

(イースト・プレス 刊)
これまでの横尾忠則さんの
エッセイ、対談、インタビュー、ツイッターなどから
選ばれた言葉集が発売されました。
さまざまなメディアで発信されてきた、
横尾さんの名言がまとまった一冊です。
生活のとらえ方や創作にかかわる考えなど、
鋭い言葉が光ります。
見開き展開でスイスイ読めますので、
なんどもくりかえし味わい、
心の刺激と栄養にできます。
本を締めくくる横尾さんのあとがきには、
こんな一文が出てきます。
「アホになるというのは、
自分の気分で生きるという自信を持っている
ということ」
このたびの糸井重里との対談でも、
「大義名分より気分が大切である」
という内容がくり返し出てきます。
それはいろんな人びとの暮らしに勇気を与える
本質をついた言葉であるといえるでしょう。
いろんなものを捨ててアホになる修行は、
横尾忠則さんに近づく第一歩なのかもしれません。