横尾忠則 アホになる修行の極意。 横尾忠則×糸井重里 対談
横尾忠則さんの新しい著書は
『アホになる修行』というタイトルの言葉集です。
アホになるとは、いったいどういう修行でしょうか。
ここ数年、横尾忠則さん主催の「合宿」で
夏の数日間をごいっしょしている糸井重里が、
改めてお話をうかがいました。
じつは横尾さんによれば、その合宿のテーマは、
「なにもしないことをする」というもので、
それはすなわち、アホになる修行の一環と考えられます。
82歳の横尾さんが最近元気になったという話題から、
人生のあみだくじ理論に至るまで、
一生をかけた修行の極意、うかがいます。


004 目的も評価も頭から一掃して、つべこべ言わずに描きたいものを描けばいいのです。
糸井
横尾さんが子どもの頃って、
どんな感じだったんだでしょうか。
横尾
昔、雑誌に載せたいと言われて、
小学校の通信簿を取り寄せたことがあります。
先生が保護者に対して、
コメントをする欄があったんだけど、
そのコメントが、1年生から6年生まで、
いっさい変わってなかったの。
糸井
そうなんですか。
横尾
担任の先生は年によって変わるのに、
コメントがぜんぜん変わらない。
1年生の先生の書いたものを2年生の先生が
めんどくさいからうつしたのかもわかんない。
でも、6年生まで先生は
ほぼ同じことを言ってるわけ。
「これはこの子の短所だから直してほしい」
という注文です。
糸井
それはどういう「短所」だったんですか?
横尾
「人にちょっかい出す」
「キョロキョロ横見をする」
「幼児語が抜けない」
「わがまま」
もうひとつは
「優柔不断」
糸井
なるほど‥‥。
横尾
でも、考えてみたら、
他人にちょっかい出すことは好奇心だから、
いまの仕事に活かされているわけです。
糸井
ほんとうですね。
横尾
幼児語が抜けないというのも、もしかしたら
インファンティリズムみたいなものかもわからない。
そうすると、この短所は、
いまの仕事にはぜんぶ役に立ってるわけ。
糸井
結局そうですね。
横尾
だからといって先生は、
「この子は将来絵描きさんになる」なんてこと
思ってないからね。
絵描きさんになってもわがままはだめだと
言うでしょうね。
糸井
美術家になることは、みんな知らないですね。
横尾
もしわかっていたとしても、
やっぱり性格を直そうとするでしょう。
糸井
それが教育というものなんでしょうか。
横尾
そうなんでしょうね。
でも、あるとき自分で、
「これはもう性格なんだからしょうがない」
「まあええか」と思ったわけです。
先生が直せという自分の特徴を、
実行せざるを得ない星の下に
生まれてしまったんでしょう。
糸井
よくぞ直さずにここまで走ってこられましたね。
力の強い者に無理に直されることだって、
ふつうの人にはたくさんあるでしょうから。
横尾
性格が職業を選ばせたと思いますね。
ただ、糸井さんに前に話したか忘れたけど、
ぼくの10代の後半は、
人の言いなりだったんですよ。
糸井
たしか、高校時代から就職するあたりまでは、
人が決めたことをそのままやってたんですよね。
横尾
それ、余計な努力しないでいちばん便利なの。
糸井
(笑)
横尾
もともとぼくには人と競争したいとか、
大成したいとか、
郷里に錦を飾りたいとか、
そういう気持ちはあんまりありません。
成功したいと思ったおかげで
うまく結果が出たように思ってる人が
いると思うけど、
ぼくもゼロではないですよ。
でも、いちばんなりたかったのは
郵便屋さんですから、
成功欲など必要ないしね。
糸井
ええ、そうですよね。
人のメッセージを配る仕事です。
横尾
ある意味、人のための仕事です。
だけど人のことなど興味がない。
だから自分のためでしょうね。
糸井
それはすごくシンボリックですよ。
横尾さんらしいと思います。
横尾
なんで郵便屋さんになりたかったか、
なんであんなに
郵便に関するいろんな事柄に興味があったのか、
それは考えたことがありません。
考えたってわからないことです。
文通したい気持ちもあったし、
エリザベス・テイラーに
ファンレターを書きたいと思って、
ファンレターのために英語を習うこともした。
それはぼくの性格だし、
また、そんな性格だったら、
誰にでもあるわけですよ。
ない人、ひとりもいないわけ。
糸井
でもそれは説明できない分、伝わりにくいし、
周りはその特徴を直してしまうんですよ。
横尾
社会がね。
学校も親も直そうとするでしょうね。
糸井
どこかに隠れていれば
直されなくてすむんでしょうか。
横尾
ぼくは、隠れるということはあんまりなかった。
どっちかと言えば、わがままで通したんです。
優柔不断のわがままですね。
糸井
それは嫌なことを「嫌だ」と言う力がある、
ということでしょうか?
横尾
そうね。
消極的に逃げるんじゃなく、嫌だと告げる。
これはぼくがひとりっ子だったことが
関係してると思います。
親はぼくの言うことはなんでも聞いてくれたので。
糸井
そうですよね。
横尾
当然わがままになりますよ。
そのわがままも、いまの仕事は、
デザインのときよりすごく向いてるわけ。
一同
(笑)
横尾
子どもの頃のわがままをいまもぜんぶ通していたら、
ぼくはもっと前に
犯罪者になったかどうか、わかんない。
理性で抑えてバランスを取ることが、
ぼくにもありますからね。
けれども、子どもの頃はそんな理性はなかった。
10代までずっとそんな感じでした。
糸井
そのくらい幼い頃はわがままだった、と。
でも、それ以降も、
理性で抑えたわがままを通せたわけですから、
横尾さんはわがままを言う技術が
あったんでしょうね。
横尾
それは夢がなかったからです。
夢や野心、願望を持っていれば、
それを実現するためには
わがままではいられませんよ。
妥協するしかないですよね。
糸井
あ、なるほど。
横尾
願望を持っていたら、
人はひとりでは生きていけないでしょ。
他人や社会がないとだめだからです。
自分だけでは何もできないし、導かれない。
郵便屋さん以外の夢がなかったことが、
重要だったと思う。
糸井
野心や願望、夢は、
人質に取られやすいですね。
横尾
そうですね。
夢は欲望ですから。
糸井
「いまこれを我慢しておけば」
などと考えやすいです。
(明日につづきます)
2018-07-08-SUN
横尾忠則さんの新刊

『アホになる修行 横尾忠則言葉集』

(イースト・プレス 刊)
これまでの横尾忠則さんの
エッセイ、対談、インタビュー、ツイッターなどから
選ばれた言葉集が発売されました。
さまざまなメディアで発信されてきた、
横尾さんの名言がまとまった一冊です。
生活のとらえ方や創作にかかわる考えなど、
鋭い言葉が光ります。
見開き展開でスイスイ読めますので、
なんどもくりかえし味わい、
心の刺激と栄養にできます。
本を締めくくる横尾さんのあとがきには、
こんな一文が出てきます。
「アホになるというのは、
自分の気分で生きるという自信を持っている
ということ」
このたびの糸井重里との対談でも、
「大義名分より気分が大切である」
という内容がくり返し出てきます。
それはいろんな人びとの暮らしに勇気を与える
本質をついた言葉であるといえるでしょう。
いろんなものを捨ててアホになる修行は、
横尾忠則さんに近づく第一歩なのかもしれません。