子どもの話はおもしろいに決まってる。
だからわざわざやらなくても‥‥
というわけでもないんですけど、
これまで「ほぼ日」では、
子どもとか、子育てを軸にしたコンテンツは
あんまりやってこなかったんですよね。
よそでもやってるし、親バカっぽくなっちゃうし。
でも、ぼちぼちやってみようかな!
と思っていたところ、ちょうどタイミングよく
「&こども」という子育てに役立つことを考えた
「ほぼ日手帳2013」のカバーができあがりました。
じゃあ、その記念にということで、
短期集中的に「子ども投稿企画」をはじめますよー。
全国のママさんパパさん、ぜひご参加ください!
担当は、永田とスガノです。どうぞよろしく。
ふたご物語
1歳半の男女の双子です。 最近男の子が10日間入院して、 退院してきた日のこと。 久しぶりに会えて嬉かったのか、 再会するなり、男の子が 女の子の指をとって、なめていました。 その後男の子はテレビに 夢中になってしまったのですが、 今度は女の子が、男の子を後ろからハグしては、 照れながら離れるというのを 繰り返していました。 なんか母の私がみても羨ましい関係です。 (Qタロー)
-
ふたごならではの
イーブンな関係だね。
- かわいい。
小学生の双子の男児の母です。 彼らが寝返りを打つようになる頃までは 二人はかなり似ていて、その頃の写真を見ても どっちだったのか断言できないものがありますが だんだんと顔つきが変わってきて 今では親は彼らは絶対二卵生だと思っています。 しかし、他人が見ると非常に似ているようで 学校ではクラスを 別々にしてもらっているのですが 低学年のころは、長男が次男のクラスメートに、 次男だと間違われて呼ばれたり、 またその逆ということも、私自身、 送り迎えの際に何度となく目撃しているので、 丸一日の学校生活では彼らはもっと頻繁に 間違われているんだろうなと思います。 うちには学校で撮ってもらった 一人ずつの制服での写真が飾ってあります。 2年ぐらい前ですが、 同じ箱入りのチョコか何かを食べていて その時全部食べきらないで、 残りはまたあとで、というときに どっちが誰のであったかわかるように (ここ、子供にとっては重要ですよね) 自分の写真のそばに置いておきなさい、 と言ったところ 二人が自分じゃない写真のほうに 持って行こうとして笑ってしまいました。 そりゃ、他人が間違うのは無理もない? (パナシェ)
- 間違えるタイミングも同じで。
- さすがはふたご。
我が家の長男次男は一卵性の双子です。 彼らが2歳の頃、6ヵ月の三男を連れて 大きな公園に行きました。 いつも行く近所の公園にはない、 特大のお山型の滑り台に興奮する双子。 私は滑り台の上に二人を連れて行き、 「下でベビーカーと一緒に待っているから、 すべってきてね。」と滑り台の下に待機。 ところが滑り降りてきたのは次男だけ。 5分経っても10分経っても 長男は滑ってきません。 怖くて降りられないのかな、と思い 滑り台の上に行ってみたのですが 長男はおらず‥‥。 その時、迷子のお知らせの放送が! 年齢と服装がばっちり一致。 迷子センターに走りました。 途中で、ベビーカーを押す私を次男が追い越し、 迷子センターのドアを勢いよく開けた次男は 「○○! 僕が来たからもう大丈夫だよ!」 と大きな声で言いながら 長男のもとに走りよって行きました。 普段はお互いを意識して、けんかばかりの二人。 次男の言葉には驚かされました。 そして、その時のうれしそうな 長男の泣き笑い顔といったら‥‥。 でもその時、一番驚いていたのは 迷子センターの職員さんでした。 おなじ顔、おなじ服装の男の子が ドアの外から飛び込んできたのですから。 (ブービック)
- ふたごの絆、いいなぁ。
- 職員さん、腰抜かしそうになったでしょうね。
双子の父を持つ私が3歳くらいの時、 1つ下の従妹と一緒に遊んでいました。 そのあと、父のところに行ったつもりが、 間違えて叔父のところに行ってしまい、 従妹はというと、同じように間違えて、 私の父のところにいました。 あれから20年以上経ちますが、 いまだに「間違えたよねー」と言われます。 父も叔父も60歳を過ぎましたが、 今でもかなり似ています。 (ふたご座の双子の娘)
- お父さんがふたご。
- なかよしで、いいねぇ。
絵本の思い出
幼稚園くらいの頃、3歳下の妹と一緒に 寝る時は母に本を読んでもらっていました。 ある時『フランダースの犬』を読んでいたら 終盤にさしかかって母がボロ泣き! 「おかあさんはおとななのに泣くなんて!」 と二人で慌ててタオルやティッシュを 持ってきたのですが、慌てながらも内心 「アロアのお父さんは 死んでからお墓に花なんか 持ってきてくれても遅いのよね! 生きてるときはあんなにつめたかったのに!」 と憤慨していました。 (ガブリエリザ)
- みんな憤慨してる!
-
少ない行数で
「そんな理不尽な」ということが
展開していることがあるからね。
今や中三の娘が幼稚園の年少さんの頃の話です。 市民会館の大ホールで人形劇がありました。 お話は『ごんぎつね』。 楽しく観てきたので お迎えの時間のお友達は皆笑顔。 なのにウチの娘だけは仏頂面でした。 誰かと喧嘩でもしたのかと思って そっとしておいたんですが 帰宅してカバンを置いた途端に号泣! 「だってね、ゴンは悪くないんだよ! ゴンはとっても優しいんだよ! なのに‥‥なのに‥‥ ‥‥死んじゃうんだよ! ホントはね、ずっと泣きたかったんだけど 他にたくさん見てる人がいるから 私が泣いたらうるさいと思って ずーっと我慢してたの」 年少さんなのに なんでそこまで回りのこと考えられるのかと 優しい娘の気遣いに 母まで号泣してしまいました。 娘が大きくなった今でも『ごんぎつね』を 思い出すとウルッときちゃいます。 (☆ぴぃ☆)
- 『ごんぎつね』‥‥。
- どうしたの。
-
小学校のPTA活動の当番で
休日の図書館の受付をしてたとき、
男子があまりにもうるさいからいったん叱り、
集めて、そこにあった『ごんぎつね』の
紙芝居を読んでやろうとして。
- まさか‥‥
-
読んでいるうちに
こっちが大泣きしてしまって‥‥
- ああああ。
-
のちのち
「◯◯の母さん、叱るわ泣くわで
たいへんだった」
とワルガキの語りぐさに。
- あああああああああ。
2歳違いの娘と息子に、 絵本の読み聞かせをするのが日課でした。 幼稚園で毎月もらってくる絵本を、 毎晩読んで、親子で楽しんでいました。 通常母が読むのですが、 この楽しい時間を夫にも、と、 ある晩夫にこの役を譲って あげたことがありました。 その時に、子供のリクエストで、 『ぼく、ハムスター』という 可愛い写真満載のものを読むことになりました。 が、夫の低い声で第一声 「ぼく、ハムスター」と言ったとたん、 幼稚園児二人は笑い転げ、 隣室で聞いていた私も大爆笑。 先に進めずに終わりました。 『ぼく、ハムスター』は、 その後、伝説の絵本となったのでした。 (ぺけちゃん)
- わははははは。
- いいねー。
- うん。最高。
- おやおや、もうこんな時間だよ。
- ほろりとさせる話の時間だよ。
- もう、おしまいなんやね。
-
「いつか無くなるものを
求めちゃいかんのだよ」
ってセフティ・マッチさんも言ってることだし。
-
そうやね。
では、最後にほろりとさせる話を。
ほろりとさせる話
先日娘の7つのお祝いをした時、 いい気分で酔っ払った私が帰宅後娘に 「今日は可愛かったね〜、よく頑張ったね〜。 みんなでお祝いできてよかった〜。 みんなも喜んでたねー。 ○○がうちに生まれてきて 母ちゃんうれしいよー、幸せだよー」 とクダをまいていたら、 「あたし、ただ生まれただけなのに そんなに褒められたら困るよ‥‥」 と真顔で牽制されました。 (ありがとう!)
年長さんの息子、 保育園に通うのもあと5か月となりました。 手をつないで家に帰るのもあと5か月。 だんだん手もつないでくれなく なるんだろうなー、と思い 「○○はいつまでお母さんと 手をつないでくれるのかなー」 と言ったところ、息子は真剣な顔をして 「ずっとずっとだよ。 オレが100歳になっても つないであげるからね」と。 息子が100歳になったら私は127歳。 それはちょっとムリがあるのでは‥‥と思いつつ やっぱりうれしくて 「ありがとう、よろしくね」と答えました。 そんなこと言っててもすぐに つないでくれなくなるんでしょうが、 100歳まで手をつないでくれると言ったこと、 そして私の手をギュッと握る息子の手の熱さを 忘れないでいよう、と思いました。 (ちまき)
元幼稚園教諭です。 毎年、母の日のプレゼントには、似顔絵に 子どもからの一言を添えて渡していました。 ほとんどの子どもが 「ママに何て書こうか?」と聞くと 「ママありがとう」「お母さん大好き」 「ママ可愛い」などと言う中、4歳のSちゃんは 「ママがどんなにSに優しくしても、 Sはもっとママに優しくしてあげるからね」 と一人だけオトナな発言。 ちなみに男の子は「ママ怒らないで」という お願いが毎年けっこう多かったです。 (ルミッチー)
こんばんは。 私は今でこそ母に似ていますが、 小さい頃は父にそっくりでした。 仕事はまあまあできるのに、 私のことも可愛がってくれたけど、 お給料前借りしたり、 勝手にローンで車やステレオセット買ったり、 お給料日はぜーんぶ使って飲んできたりする父を 母は恨んでいました。 結局離婚して知り合いもいない土地で すごくがんばって一人で私を育ててくれました。 最高に愛して育ててくれました。 あんなにイヤな父にそっくりだったのに イヤにならなかったのかな‥‥と時々思います。 数年前にその事を聞いたら、 「可愛くて可愛くて宝物だった」と 言ってくれました。 本当にありがとうございます。 感謝しきれないし、 あなたを越えることは一生出来ないです。 何回言っても足りない。 ありがとう。 (まつもちゃん)
息子が5歳の頃のことです。 おえかき帳に、鉛筆で丸を沢山書いて 「僕、スーパーボール屋さんやるんだ!」 と楽しそうに、色塗りをしていました。 ちょうどその時に、テレビから 幼い子供を巻き込んだ悲しいニュースを 報じていて、台所にいた私は 手を止めてテレビを見ていました。 息子と同い年の子供の命が奪われ どうしようもなく涙が止められず 泣いている私にかけよってきて どうしたの? と聞くので 「小さい子供が死んでしまったの。 大人になっても他の人に怪我をさせたり、 殺すなんて絶対にしてはいけないよ」 と言うと、息子は神妙な面持ちで、 テーブルに戻っていきました。 しばらくして 「ママ、これあげる!」と 今まで書いていたスーパーボール屋さんの紙を 渡された後、もうその辺りから 周りのことは覚えていません。 なにげなく見たその紙の裏には 「パパ ママ 大すき ことしもがんばらろう ぼくがしんでも あいしてるよ」 誤字と沢山のハートが ちりばめられた手紙でした。 親が死んだらいやだ、というのではなく ぼくがしぬ、という言葉に また涙がしばらくとまりませんでした。 今でも読み返すと泣けてしまう大事な宝物です。 (宝箱にしまおう)
それは今日の話。 11ヶ月になった娘を夫の両親に預けて、 午前中2時間ほど出掛けてきました。 夫の実家にはしょっちゅう行っていて、 両親にもなついているので、 安心して用事を済ませて戻りました。 すると、家の前に義母に抱かれた娘が待っていて 車の中の私を認めると 満面の笑みで出迎えてくれました。 いつも通りいい子にしてたなーと思い、 娘を抱っこしてあげたら、義母が 「さっき、『ぱ‥‥ぱ‥‥』って言いながら ○ちゃん(私)の服を ちゅうちゅう吸ってたのよ」と。 最近少しずつしゃべるようになって、 おっぱいをせがむ時に「ぱ‥‥ぱ‥‥」と 言いながらくっついてくるように なってはいたのですが。 寂しいのかお腹が空いたのか、 前の日に私が着ていた服(いちおう洗濯済み)が 居間の隅にあるのを見つけて、 吸い付いていたのだそうです。 ここ数日、預けて出掛ける機会が 多かったのですが、いつもいい子にしていたので 平気なのかと思っていたのです。 その話を聞いて、娘に申し訳ない気持ちと、 いとおしい気持ちが ぐわーっとあふれて胸が詰まりました。 そのあと家に入ってから、 早速おっぱいをねだる娘をぎゅーと抱き締めて、 気が済むまでゆっくり おっぱいタイムを満喫させてあげました。 (はーちゃんママ)
小学1年の娘、 いまだに父母のひざにすわるのがだいすき。 つい先日もイスづたいに歩いて、 ひざの上にのってきたため 「痛い! こんなのり方したら、 おかあさんのひざ、こわれるやろ」 と言うと、しゅーんとしたため 「もう小さくないんだから、気をつけてね。 ひざにはいつでもすわっていいよ」 と言うと、涙がうるうる。 「○○、大きくならへんかったらよかった‥‥」 と言うので 「そんなことないよ、大きくなってくれて、 おかあさんうれしいよ ひざにのれへんくらい大きくなったら、 ○○ももうのりたくないと思うよ」 と言うと、わーと泣き出して 「○○は、大きくなってもずーっと、 おかあさんのひざにのりたいー」 と言って泣き続けました。 そんな我が子をぎゅーっと、 泣きやむまでしばらく抱きしめていました。 (ゆっちー)
私はずっと、母は私に対して 愛情がない人なのだと思っていました。 とくに何かあった訳ではなのですが 「母は私をあまり 好きではないのかもしれないな」 となんとなく思って育ちました。 ウチは商店街で商売をしている家でしたので、 母は忙しい人でした。弟と2人姉弟でしたが、 弟はちょっと自由な性格で、 母は弟にかかりっきりという感じでした。 物心ついた時には、 とくにそれが不満と思ったことはなく、 そういうものだと思っていました。 それに、あまりかまってほしいとも 思っていなかったように思います。 かまわれる時は、 叱られる時だと感じていたからかもしれません。 なるべく目に止まらないように していたように思います。 母は、ほめてくれない人でした。 絵や書道で賞をもらったり、 自分ではいい成績をとれたのでは? と思うような時でも、 ほめられたという記憶がありません。 「1番をとれるように頑張りなさい」 と言われるだけでした。 母の日などに何かプレゼントをと思っても 「おこずかいは私があげたお金。 自分でかせげるようになってからにしなさい」 と言われるばかり。カードや手紙は、 とくになにか感想があった記憶がないです。 父が時々「よろこんでいたよ」と 言ってくれることもありましたが、 私に気を使って言ってくれているだけなのだと、 本気にしていませんでした。 なので私にとって母は、ちょっと苦手な人でした。 おおきくなり、大学を機に都会へ出て、 そのまま就職、結婚し、 お盆やお正月などの時には帰る というような生活を送っていました。 結婚生活も7、8年目の頃、夫が浮気をして、 けっこうもめたことがありました。 その時は、本当にきつく大変な日々でしたが、 実家の家族には言えませんでした。 何度も話し合い、もとの生活にもどることとなり、 普通の日々が少しづつ戻ってきました。 1年あまり過ぎた頃、 そのことを母に事後報告のようなつもりで、 つい話してしまいました。 そしたら夜遅く、弟の運転する車ではるばる 田舎から母がやって来て、びっくりしました。 どうしたのか聞くと、私のことが かわいそうでかわいそうで、 夫に対して腹が立ってたまらず、 一刻も早く連れて帰ろうと 居ても立ってもいられずに迎えに来た。 と泣きながら言います。 私は本当にびっくりして、もう1年前の事だと、 話し合ってやり直すことにしたのだと、 もう一度説明し、私はここで暮らすのだと 説得しました。 その時、生まれて初めて 「この人、もしかして 私のこと好きなかもしれない?」 と思いました。と同時に、 「なんという不器用な人なのか?」 とあきれ、 「そんな愛情、子供にはわからないよ!」 と思いました。 (ちうり)
私は小さいころからお父さん子。 一緒に遊ぶのも、お風呂に入るのも、 秘密のお話をするのも父でした。 しまいには、家のどこにいても 「おとーさーん、ちょっとっ!」と呼びつけ、 用も無いのにそばに置こうとするように。 でもそんな家来のような扱いにもめげず、 父はそばに来てくれました。 私が小学校でいじめにあったとき、 学校まで一緒にきて、 休み時間どころか授業中も教室の外に立って 見守ってくれた事もありました。 そんな父は、私が結婚することになったとき、 私の彼にこう言いました。 「この人(私のこと)はね、変わり者だよ。 普通の女とはちがうよ。 わかってるんだろうね?」 真顔です。 ちょっと世間からズレていて、 ひねくれた事もあった私の事を 誰よりも理解してくれてたのは、 やっぱり父だったんだなーと感謝しました。 あれから父は、母との間に色々あり、 母から電話で父の悪口を 聞かされることが多い最近ですが、 「夫としてのおとうさんは、 おかあさんにしかわからないけど、 私にとっては最高のお父さんなんだよ」 と答えることにしています。 今では孫(私の姪、3歳)に 「じいじー、ちょっとっ!」 と呼びつけられています。 (アコ)
先日、旦那にイタイところをつかれ、 ついつい泣いてしまった私。 ケンカではないけども マジメな顔で話を続けていると、 4歳の長男が旦那の元へ行き、 「とーちゃん怒ってない?」 「怒ってないよ」 「そうだよなぁ、怒ってないよなぁ」 今度は私の元へ。 頭や肩を撫でながら小声で(丸聞こえですが) 「かーちゃん、とーちゃん怒ってないって」 「うんありがとう、わかってるよ」 と、まだ少し泣きながら言う私をまた撫でて、 「かーちゃん、わかってるって」 と旦那に報告(笑)。 よしこれでイイだろうという顔をしてウロウロ。 そんな姿がうれしいやら申し訳ないやらだけど、 話がまだ中途半端‥‥。 また続けていると、今度は 「お腹空いたねぇ、ご飯にするかー?」 とのお誘い。それでもまだ 「ちょっと待ってね」と旦那が続けてると、 「もうオレはご飯にするぞ! 食べるぞ!」 (ホントにお腹が空いてたらしい)。 これにはさすがにと、急いで終わらせ 「待たせてごめんね、 えらかったね、ありがとう」 と二人で謝ってご飯を並べて 「いただきます」しようとすると、 何か考えてる様子。 「とーちゃん、 かーちゃんにごめんなさい言った? 言ってね、ちゃんと!」 まったく旦那は悪くないのだけど、長男の手前 「かーちゃんごめんね」すると長男が 「かーちゃんとーちゃんごめんねって 言ったからゆるしてあげようね」 私が「うん」と言うと、ニコニコになり 「じゃ、せーのーで、いただきます!」 そんな姿に親二人も完敗で、 「ご飯は楽しく!」の我が家のモットー通り、 この日も楽しい夕げになりました。 大人の真剣な話やケンカ、 私はこわくて泣いてたので、仲直りを考えて、 父にも母にも寄り添ってくれる姿に 素直にすごいなーと思いました。 そして泣いて抱っこばーっかりだった彼が こんなに頼れるくらい成長したんだなー ということにもしみじみ感動でした。 (子は鎹ってホントなのね)
もう35歳になった大人の私ですが、 勤めている会社にて、 幸運にも「留学生候補」に選ばれまして、 語学の勉強に励んでおります。 自宅のある名古屋には、 留学全体をサポートしてくれる予備校は少なく、 東京まで通うこととし、 毎週土日は東京で生活しています。 3人の子供たちには事情を説明し、 毎週土曜の朝に「がんばってくるんだよ」と 私に声をかけてくれます。 留学するにはTOEFLというテストを 受けなければなりません。 難しい内容の語学テストで、 なかなかスコアが上がらず、本日受けたテストも 目標には届かない寂しい手ごたえでした。 テストが終わり、家内に電話し、 続いて5歳の息子と話しました。 「おとうさん、テストどうだった?」 「んー、まだだめだなあー。ごめんなー」 と私が答えたら、息子は電話の向こうで、大声で 「なんでなの! パワーあるでしょ! パワーださなきゃ!」 と、怒り口調で話し始めました。 「もう点数取ってよ。がんばってよ。 何点なの。なんでなの」 と、息子の激励は続きます。 「もう、おとうさんは‥‥できるんでしょ‥‥」 大声過ぎて聞き取れない箇所も たくさんあります。携帯電話を握りしめた街中で 独りで息子からの応援を聞いていました。 もう、かれこれ10ヶ月以上も、 土日は東京に来ており、また、平日は普通に 働いているので会話も十分にできません。 公園で遊んだり、本を読んだり、 カードゲームをしたり、 そういう今までの遊びができておらず、 こういうかたちで息子の大きな我慢を 垣間見ることができました。 また、年齢や仕事や難しさのせいにして、 テストの成績が上がらない言い訳ばかりしていた 自分を恥じました。 おとうさん、がんばるよ。 言い訳は、もうやめるよ。 ほんとに、激励ありがとうね。 (きっく)
先日、このコーナーの影響で 育児日記を読みかえしました。 我が家は息子と娘の兄妹ですが、 娘は小さいころから我が強く、 2歳児のころのイヤイヤ期はそれは大変でした。 お風呂上りに自分で服を着る! と手伝いの手を払い、結局、上手く着られずに 仰向けイモムシで「やー!!」と号泣。 これが、ほぼ毎晩のこと‥‥。 ある晩、とうとう、私がブチ切れて 「もうそんなにみんなイヤなら、 箱に入れて公園に置いて 『ご自由にどうぞ!』するからね!」 と怒鳴ってしまいました。 娘はそれでも相変わらず イモムシ。空中蹴り。大泣き。 「いいの?」と怒鳴る私。 「まって! まって!」と当時5歳の息子が 慌てて飛んできて娘の前に仁王立ち。 見れば、涙目、怒って顔は真っ赤。 「どうして! どうしてそういうこと言うの! それじゃあ、どうしてかあしゃんは チビちゃん生んだのよ! ぼくが面倒みるから、 外に出すとか言わないで!!」 唖然とする私をぐいぐいと部屋の端に追いやり、 せっせと妹に紙パンを履かせて、 パジャマを着せる息子。 イヤイヤ娘もお兄ちゃんに面倒みてもらえて、 涙も引っ込み、むしろうれしそう。 ときどき「ちびちゃん可愛い〜」 「ムチムチ〜」とすりすりしたりしながら、 着替えさせて、そのままお布団のある部屋へ 二人で行ってしまいました。 残された私は反省するやら、 息子の成長にビックリするやら‥‥。 昨夜も「とった」「さわった」と ケンカしてた兄妹ですが、 気がつくと二人でクスクスコソコソ。 このまま仲良く大きくなるといいなあ‥‥。 このコーナーのおかげで いろんなことを思い出しました。 ありがとうございました! (しゅわっちょ)
我が家の長男は生まれたときから 「これがカンの虫‥‥?」と思えるほど 夜泣きもひどく、かんしゃくもちで怖がりで。 鳩が舞い降りてきても泣き叫び 幼稚園に行くようになると毎朝泣き叫び。 「○○ちゃんの声がするから、もう九時よ!」と ご近所では言われてたほど。 スイミングに入れようとすれば 「溺れたらどうすると!?」と頑として入らず。 (彼は博多生まれの博多育ち) 父母二人がかりで2時間説得しても無駄でした。 フェリーに家族で乗ろうとすると 「沈んだらどうすると!?」と言い張る。 怖がりならおとなしいかと思いきや 小学2年で坂から自転車でシャーと降り タクシーに跳ね飛ばされ、 中3で生身で車道に飛び出し車にまた轢かれ。 ただし、奇跡的に両方かすり傷。 何度髪の毛が逆立つようなことがあったか わかりません。 だけど、彼は喜怒哀楽をまっすぐ表現し 思ったことをクチにだし 本人はまじめながら おかしなことばかり言う男の子に育ちました。 まあ、生きているだけでありがたい、 と思うしかないな、と思ってきた私。 怖がりだった彼は中学になって 短距離をはじめて、すっかり変わりました。 高校も陸上する! と言って選び 100mは無理だったけど リレーで今年、夢のインターハイに行きました。 当日スタート前に珍しくメールがきました。 「今まで育ててくれてありがとう。 かっとばしてくるぜ!」 予想通りあっさり予選落ちだったけど かっこよかったよ。 よくまあ、無事に高校三年生になりました。 いまやゴツくて黒くて(日焼けがすごい)汚くて ガサツでうるさい男子だけど ほんとうはずっと昔から、 私に遣わされた天使なんじゃないかと 思っているのです。 陸上で届かない才能にむかって努力する姿や それが決して悲壮感を帯びない明るさや 人のあたたかさを無条件に信じる強さは ニンゲンって案外いいものだ、と 彼をみてると信じられる気がします。 母の願いはただひとつ。 クルマに注意!! (ごきげんくんの母)
わが子はまだ10か月ですが、 日々成長を見せてくれます。 あまりの速さに、 「もっとゆっくり大きくなって〜」と思います。 何かができるようになるたび ビデオに撮り残しますが、 考えてみれば、あとから観るときには 「このときはこれしかできなかったんだよね」 ということになる訳で‥‥。 はいはいができるようになったら、 ずりばいはもうしない。 あんよができるようになったら、 つかまり立ちはもうしない。 成長とともに、 もう見られなくなることが増えていく。 でも皆さんの投稿をみて、 2歳になっても、5歳になっても、 それ以上になっても、その時々で こんなにも素敵な時間をくれるんだ、とわかり、 今はもちろん、これからもっともっと 育児を楽しんでいこう、と思いました。 別の形で続くというので、 また楽しみにしています。 (今日は家族全員で風邪引き中)
毎晩、私が寝る前に3歳の息子に 「大好きだよ、チュ」して寝るのが日課。 いつの頃からか、 毎朝「おはよう」ではなく 「ママ大好きだよ、チュ」 と起こしてくれるように。 こんな幸せな日々って、 いつまで続くんでしょう。 子どものままでも困るけど、 時よ止まれ! と思うこの頃です (もうすぐお兄ちゃん)
現在2歳半の男児の子育て真っ最中です。 だんだんと自己主張もできるようになり、 毎日毎日、ワガママにイタズラ。 大声で怒鳴って怒ることも増えてきました。 怒ってしまった自分にもイライラ、 自己嫌悪の日々‥‥。 でも、いてくれるだけで幸せなんです。 もう一人、生きていれば 5歳になる子供がいました。 出産予定日を過ぎた翌日、 おなかの中でなくなってしまいました。 辛かった。 やっと授かった子供だったのに。 そのときはもう子供は 授からないかもしれないとも思いました。 だけどもう一人、 子供を授かることができました。 今、幸せです。 彼がどんなにイタズラでワガママで、 怒ってばっかりでも。 顔と顔をくっつけて寝る時間は至福のとき。 きっとまだまだ怒ったりするんだろうけど‥‥。 「子供は1人」そう口では言っても、 心の中ではいつでも(2人!) 2人とも私の大事な大事な息子たちです。 この気持ちを忘れずに子育て頑張りたいです。 (読んでくださってありがとう)
私は一人娘で、 結婚9年目にしてできた子供です。 両親共に医師で毎日忙しく、 あまり家族3人での思い出はないのですが 今まで寂しい思いも悲しい思いも せずに育ってきました。 赤ちゃんだった頃、父は特に忙しく 起きている私を見ることは あまりなかったそうです。 だけど毎日父は帰ってきて 眠っている私の耳もとに寝転んでは、 「○○ちゃんはお父さんのことがだ〜い好き」 と呪文のように唱え続けていたそうです。 そのおかげか、23才になった今でも 私はお父さんが大好きです。 お母さんのことも 自分で自分が怖くなるほどに好きで、 年々好きがひどくなっていっている気がします。 普段は大学に通うため 離れて暮らしている私たち親子ですが、 休みで帰る度、母のベッドに3人で寝転んでは 「サンドイッチ〜」と言って 父と私で母を抱きしめています。 他の家の子ほどかまってあげられなくてごめんね と言われますが、一緒に過ごす時間は短くても 濃い愛情をもらってきた私は他の家の子よりも ずっとずっと幸せだと思っています。 (のんのん)
昨年、娘(当時6歳)と 同居していた私の母が亡くなりました。 両親共働きのため、 生まれたときから「ババっ子」で 「年齢高めの女子会」にも よく連れて行ってもらっていました。 そのババが急に体調を崩し、 長い入院の末大きい手術を克服し退院。 残った病気との付き合いをしていたときのこと、 急に体調を崩し再入院。 そのまま帰らぬ人となりました。 日付の変わるころ病院からの電話で呼ばれ、 娘をたたき起こして 「ババの体調が急によくなくなったから 病院にいくよ」と言って家を出ました。 病院に到着し、先生が到着まで何とかもたせて くれていたおかげで見送ることができました。 その瞬間、同席していた親族が 泣きながら見送る中、娘は 「何で泣いているの?」 といたって冷静で、親としては、 「まだ小さいからよくわからないのかな?」 と思っていました。 粛々と葬儀を行い、火葬場で最後の別れをして かまどに入る直前に娘が泣きながら叫びました。 「ババと離れるのイヤー!!」 私は、喪主として手続きや弔問される方の 対応など悲しむ暇もないほど追われていました。 その姿を見ていた娘も、 母の友人と会話をしてくれたり、 お茶を出してくれたりして 小さいながら色々手伝ってくれていました。 「一緒に我慢していてくれたんだな」と気づき、 今まで我慢していた涙が止まりませんでした。 小さい娘の強さとやさしさに救われ、 母をきちんと見送ることができ、 この娘を育ててくれていた母に 生前感謝を伝えたかったなぁ。 そんな娘は親族に 「ババの小さいころに顔が瓜二つだ」 と言われています。 (名前は未だない)
夫のスマホの待ち受けは、 10年以上も前の、幼い娘と息子の写真です。 ストレス多い仕事も、 この写真見て頑張れるんだと。 職場では「お孫さんですか?」 と聞かれるそうです。 (子どもはお日様)
ほぼ日&こども、笑いながら泣きながら 楽しませていただいています。 よその子だからおかしがっていられるけれど、 自分ちの子だったら笑えないなぁと 感じることも多々‥‥。 同時に、自分が両親、家族から大切にされ、 たっぷり愛情を浴びて 育ったんだなあとも感じられて、 しみじみと幸せを噛みしめていいるところです。 私が小学校に入学した日の朝。 着物姿の母に手を引かれて玄関の外にでたとき、 父が「万歳をする」と言い出しました。 「???」と思う間もなく、 「きたむらななえちゃん、小学校入学、 ばんざーい!!!」と一人万歳三唱。 しかも近所中に響き渡る大声で。 びっくりして慌てて止めましたが、 第一子である私の入学が 心の底からうれしかったのでしょう。 30年経った今でも、 その光景をはっきり覚えています。 でも恥ずかしかった。お父さん、ごめん。 その父は、戦争で自分の父を亡くしました。 当時1歳、当然記憶はまったくなく、 写真でしか顔を知りません。 祖母は女手一つで父と 一つ上の伯母を育て上げましたが、 祖母が住み込みの仕事をしている時期は 姉弟は親戚の家へ預けられたりと、 ずいぶん寂しい思いをしたようです。 母と結婚したとき、父は看護婦だった母に 「仕事をやめて、 子どもたちのそばにいてやってくれ。 家計は苦しいだろうけど、 自分はこづかいなんかいらないから」 と言ったそうです。 「子どもたちに転校はさせたくないから」 「単身赴任で子どものそばから 離れるのも嫌だから」と、 異動の話も全部断り、 地元で退職まで勤めました。 上司は年下、定年までヒラ社員でした。 そんなこととはつゆ知らず、 たくさん反抗したり喧嘩をしたり、 20歳で18も年上の人と結婚をしたり(私)、 田舎で痛車を乗り回す若造になったり(弟)、 18で男を作って家を飛び出したり(妹)、 それぞれ心配や気苦労をかけましたが、 みんな家庭を築きまして (私の結婚生活も16年目に突入、 妹も帰ってきました) 今、両親はそれなりに穏やかに生活しています。 自分がかけてもらった愛情を 子どもたちに惜しみなく注いでいるつもりですが やっぱり敵いそうにありません。 (nana)
いつも楽しませてもらっています。 私は結婚13年目のこどものいない主婦です。 ずっとこどもが欲しくて、 不妊治療をしています。 でも、だんだん年をとってきて、 こどもをあきらめようかなと思っていました。 こどもがいなくてもたくさん楽しいことがあるし こどもがいない方がやりやすいこと、 仕事もたくさんできると 自分を納得させつつありました。 そんなときにこの連載をみて、笑いあり涙あり。 写真も映像もないのに、 かわいらしい姿が脳裏に浮かび こどものいない人生のリスクというか、 こどものいない人生を 選択することがこわいような よく表現できませんが、 もう少し不妊治療をがんばって 赤ちゃんを授かれるように 努力しようと決めました。 ありがとうございます!! (izu)
ただいま妊娠4ヵ月(3人目)。 本日産婦人科の外来で 「ほぼ日&こども」を読んでいました。 当たり前なんですが、 待合室にいるのは大方が妊婦さん。 初産らしい旦那様と2人で エコー写真を眺めるかたや、 小さい子と来ているかた等々 皆さんこれから こんな楽しい毎日が待ってるよ〜! とお知らせしたかった! 私自身、まだつわり地獄真っ最中ですが うれしい気持ちが沸き上がりました。 大変な事も多いけど、 そのたびに周りに助けられる事も多く、 周囲に感謝する日々。 このコンテンツがつわりでへろへろの 私の励みになりました! ありがとうございました! またいつか再開される日のためにも 日々の事をちゃんと 書き留めておこうと思います。 (マキ)
わがやは10歳、8歳、5歳の 3人の子育てまっただなかですが、 今日の子育ては きのうまでの泣き笑いに支えられ、 今日のあんな言葉こんな話も 明日以降の日々の 支えになるのだなぁと思います。 毎日いろいろなエピソードを読んで 吹き出したりほろっとしたりしながら なんでもない毎日の積み重ねの重さを あらためて実感しました。 (りす)
毎日ほんとうに楽しく読んでいます。 我が家には、まだ幼稚園前の息子がいますが、 このコンテンツが始まってから、 よりいっそう彼との毎日が愛おしく感じます。 だんなとは、今のうちに たくさん遊んでもらおうね、と話しています。 私たちが「息子と遊んであげている」のでは、 決してないなあと。 「息子に毎日遊んでもらっている、 かまってもらっている」。そんな感覚です。 子育てって、まじで、おもしろい。 親指をしゃぶりながら同じ手の人差し指で 同時に鼻をほじって軽く鼻血ぶー、なんて、 そんなおもしろい人と出会えて、 感謝以外何もないよ。 どうか、息子たちこどもの人生が、 愉快で幸せでありますように。 (たい)
こんにちは。いつも楽しく読んでます。 全国のこどもたちのすばらしい子供加減に 爆笑したり、号泣したり、忙しいです。 28歳独身でネタはないのですが、 あまりに素敵な気分になるので、 お礼がしたくて、メールしました。 最近は私の周りで結婚の波が去り、 妊娠出産の波がきております。 まったく予定がなく、 焦りを感じなければならない筈なのですか、 仕事一筋、毎日働いてばっかりです。 誰かいてくれたらなあ、と思うのですが、 結婚したいかときかれると、 よくわからないなあ、 というのが正直なところです。 そう考えてしまうのは、 自分の育った環境に関係しているのかなあ、と。 こどもだった頃の記憶があまりたくさんなくて、 その記憶もかなりの割合で あまり思い出したくないようなことばかりです。 必死で育ててくれたんだとは思いますが、 未だに何処かに両親を恨んでいる気持ちが 残っているのかもしれません。 結婚、こども、というのを考えると、 そのことを思い出して、 おんなじことを繰り返してしまうのではないか、 と無性に不安になります。 年齢的には十分おとなになって、 自分のコントロールが なんとかできるようになってきたばかりの私が、 他人の人生を背負うなんて、 とても恐れ多いのです。 今回の連載はそんな気持ちを 少しの間忘れさせてくれました。 結婚いいなあ、 私も産めるなら産んでみたいなあ、 育ててみたいなあ、 とほわっと思う事ができました。 もちろん、また冷静になって考えると 恐怖ばかりが湧いていてしまうのですが、 読んでいるひと時だけでも、 そんな風に思えるのはとても素敵な事で、 そんな自分がなんだか新鮮です。 きっと、いいことばっかりじゃなくて、 ほんとに大変なことばかりなんだろうな、 と思うのですが、 いつかそんな機会が巡ってきたら、 飛び込んでいける自分になりたいです。 本当に素敵な連載をありがとうございました。 (わぢら)
息子が小1の時に癌の手術をしました。 その後、放射線治療、再入院と 私も体力的精神的にしんどかったですが 甘えたい盛りの息子はもっとしんどかった。 癌だということを伝えずに、 それでも辛抱してもらうしかなかった。 しかも私が受けた放射線治療は 「内照射」といって放射性物質を内服する方法で 隔離入院のあと自宅療養は可能だけど 半減期まで一定の距離を 保たないといけない生活に。 なぜなら、被曝させてしまうから。 添い寝、お風呂、抱っこ、読み聞かせ‥‥ 子育てのスイーツで重要な部分すべてを 旦那に一任しました。 私は口だけ番長になろうと決めて。 (実際は寝たきり番長でしたが) ある夜、眠ったはずの息子が 真っ暗な室内を、てててと小走りし、 我が家では一番広い部屋である リビングの隅っこへ。 どうしたのかと、そっと近づき様子をみると 息子は声を殺して泣いていたのでした。 そして、言われました。 「いつまで我慢したらいいと?」 ごめん、ごめんね! そう言って抱きしめました。 被曝、という躊躇がなかったわけじゃない。 でも今は体より心だ、そう思って。 半減期を過ぎ、 抱っこも添い寝も解禁になってからは 私は非常に甘々な母親となり、 旦那から常に諫められておりました。 ひとりっ子ということもあり、 長い間ぴったりとした親子関係でしたが、 中学を境にだんだんと私がフられる回数が増え、 今では会話が噛み合う事のほうが稀です。 あの夜の息子の背中は忘れられません。 でも、子どもは、育つものなんだな、 と教えられました。 親がなくても、とまではいいませんが 親が手を出さずとも、口を出さずとも 自分で学びとっていくようです。 失敗も多いし、いざという時の セーフティネットが必要な場合もあるけれど それでも、子どもって素晴らしく 頑丈な可能性のかたまりだと思います。 そこからどんな形になっていくかは、 本当にお楽しみなんだなあと、思います。 『ほぼ日&こども』の連載、 毎日楽しく読ませていただきました。 読んでいくうちに、うっすらだった あの頃の必死な気持ちを思い出せました。 甘酸っぱいような、苦いような、 強烈な感情を忘れてしまうほど、 日々は光陰の矢のごとしです。 だから、思い返すことができて よかったと思いますし、 そのきっかけをくださって感謝しています。 本当に、ありがとうございました。 皆様の子どもとの時間が、 どうぞ幸せなものでありますように。 (博多にわか)
長女は、10月31日生れ、今年で22歳になります。 出産して長女を授かって、 病室のベッドでうれし涙が こみ上げてきたことを思い出します。 子どもを身ごもって出産というのは、 やはり色々なことがあり、 世の中のお母さん達が みなさん偉大に見えたものでした。 長女はどちらの両親にとっても初孫。 家族はもちろん、親戚、ご近所‥‥ 本当にいろんな人から祝福されました。 私自身も長女だったので、 自分が生まれた時にも、こんな風に 色んな人達から祝福されたことだろう ということが、初めて理解できました。 自分が親になるということは、 自分が親にしてもらったことに、 思いをはせることにもなりました。 誕生日には、バースデーケーキを作ってました。 小さい頃はケーキといえばやはりイチゴが定番。 でも、10月末というのは、 もっともイチゴがない季節。 スーパーや果物屋さんを回って、高いイチゴを 思い切って買ったこともありました。 ある年は、近所ではどこを探しても 手に入らないことがありました。 でも、ケーキ屋さんには イチゴのケーキを売っています。 思い切って、あるケーキ屋さんで 「イチゴはどうやって 買われているんでしょうか?」 と聞いたことがありました。ケーキ屋さんも、 「この時期は国産は手に入らないので、 しかたなくアメリカ産を使ってるんです」 「そのイチゴを分けていただけませんか?」 とお願いし、ケーキ屋さんで、ケーキを買わずに イチゴを買ったこともありました。 娘も大きくなってくると、 別にイチゴにこだわらなくなり、 今では懐かしい思い出です。 (はらぺこあおむし)
あす、10月31日に出産予定日を迎える妊婦です。 毎日、楽しみに読んでいます。 まだ生まれる兆候がなく静かな日々ですが もうすぐ、こういう騒がしくも 幸せな日々が始まるのが、 不思議な感じがします。 うちの母は、 私と弟が小学生になるまでは仕事をせず 毎日おいしいご飯を作ってくれていました。 中学生のときくらいに、何かの用事で母が不在で 私がご飯の支度を、 はじめて私がぜんぶやったことがありましたが、 母が帰って来たとき、私は、 「温かいまま出せないよ!」 というようなことを言ったそうです。 それまで母が出してくれていた食事は いつも当たり前のようにできたてで温かく、 自分でやってみて、ちゃんと段取りしないと、 美味しくできないとわかったのでしょうか。 産休に入って、食事を作るようになり、 夫との二人分の食事ですら、 ちょっとタイミングを適当にすると 途端に冷めてしまう。 もう、今すぐ食べて欲しいのに! と思ったりする。と話したら、 この昔の話を、母はしてくれました。 妊娠して初めて、母親はすごい生き物なんだなと 気づくことが多いです。 私は、もうすぐ対面するお腹の子にとって そういう親になれるかな。 (かま)
ムスメが3歳のとき、 なにかの拍子におばあちゃんが 「お父さんに半分、 お母さんに半分、似たんだねぇ」 と言うと、ムスメは、 「ちがうよ! お父さんにいっぱい、 お母さんにいっぱい、似たんだから!」 と言ったそうです。 おばあちゃん、ジーンときて、 次の言葉が出なかったそうな。 (mebi)
- はあぁー。
- いままで、ありがとうございました。
-
「ほぼ日&こども」
これにていったん中締めです。
- なにかでフッと復活しますので。
- またお会いましょう!
-
最後に担当からあいさつです。
私が先に。
- どうぞ。
-
1ヶ月間、ありがとうございました。
子どものことってどうすれば
「ほぼ日」らしくやれるのかな、と
長いこと話し合ったすえに、
やっぱり読者のみなさんといっしょに
つくりあげる読みものコンテンツにしよう
ということになり、走り出しました。
いろんなことを勉強させてもらって
これからさまざまなことができるなぁ、と
思っている次第です。
子ども時代のことってやっぱり
その人の「まるのまま」が出てくる気がして
とってもおもしろい。
これからもみなさんのこと、
たくさん聞かせてください。
ありがとうございました。
-
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
子どもの話はおもしろいに決まってると
確信をもってはじめたコンテンツでしたが、
予想以上のおもしろさと、そして感動でした。
メールを編集しながらぽろぽろ泣くのが、
平気になってしまいました。
深夜にひとりでしょっちゅう
吹き出したりもしました。
「ほんのさっきの話ですが」
という投稿もありましたし、
「70年前の話です」という投稿もありました。
生の話、死の話、いたずらの話、友だちの話、
出会いの話、別れの話、
なんでもない日常の話‥‥。
「子ども」を切り口にしちゃうと、
なんでもできちゃうんだなと思いました。
そう、ほんとうに「子ども」は
可能性のかたまりなんだなぁ、と思いました。
とりあえず、今日でいったん中締めですが、
また、ちょいちょい、いろんなことをして
遊んでいこうかなと思います。
ほんとうに、ありがとうございました。
そしてこれからも、
どうぞよろしくお願いします。
応募の決まり
応募先のメールアドレス:kodomo@1101.com
件名:ほぼ日&こども
ハンドルネームをお書き添えください。
テーマは自由ですが、
たとえばこういう話などをどうぞ。
●勝ち抜き、アホ自慢!
●子ども名言集
●おしゃま女子
●言うことをきかないときの親のひと言
●よろず相談事、お預かりします
●パパの立場
●ほろりとさせる話
●とりあい
●ママカット劇場(写真でどうぞ)
●つわものママ
●ねぼすけパパ
●子どもの秘密
●ふたごものがたり
「ほぼ日手帳2013」に新しいカバーが仲間入り。
「こども ビームス」さんと、
母子手帳ケースとしてもつかえる、
あたらしいタイプのカバーをつくりました。
なまえは、「&こども」。
つかいやすく、しかもおしゃれでかわいいカバーです。
)くわしくはこちらをどうぞ
「ほぼ日ハラマキ あたためるもののお店」で
いま、子どもサイズのハラマキを販売しています。
これまで人気柄をピックアップしたり
人気のものを再生産して、WEBのお店に並べています。
おかあさんと子どもで、おそろいにもできますよ。
サイズがなくなってきているものもありますので、
欲しい柄があったらどうぞおはやめに。
この冬は、親子でしっかり、あたためよう!
)くわしくはこちらをどうぞ