子どもの話はおもしろいに決まってる。
だからわざわざやらなくても‥‥
というわけでもないんですけど、
これまで「ほぼ日」では、
子どもとか、子育てを軸にしたコンテンツは
あんまりやってこなかったんですよね。
よそでもやってるし、親バカっぽくなっちゃうし。
でも、ぼちぼちやってみようかな!
と思っていたところ、ちょうどタイミングよく
「&こども」という子育てに役立つことを考えた
「ほぼ日手帳」のカバーができあがりました。
じゃあ、その記念にということで、
短期集中的に「子ども投稿企画」をはじめますよー。
全国のママさんパパさん、ぜひご参加ください!
担当は、永田とスガノです。どうぞよろしく。
ラストです!
- むにゃむにゃ‥‥
-
起きて、永田さん!
もう31日だよ。
-
あ、おれ、明け方まで
ずっとメール読んでて‥‥。
-
ほら、このコーナーから。
いくよ!
勝ち抜き、あほ自慢!
何事にも無頓着な甥っ子(4年生)。 お留守番だった日。 弟(1年生)に用意されていた 服に着替えて遊びに行ってしまいました。 帰ってきたママが見たのは、 ピッチピチな、おにい。 「それ、じゅん(弟)のだよ」と言われても、 「あ、そうなん」の一言。 長袖なのに七分袖になってるし、 ぴちぴちすぎてちょっと肩あがっちゃってるし、 完全におへそ見えてるし、 ズボンのジッパー閉めれてないし、 丈が短すぎてカプリパンツみたいになってるし。 さぞかし遊びにくかったはずなのに、 「あ、そうなん」の一言。 Tシャツ、脇が破れてました‥‥。 (momoringo02)
-
最終回だというのに、
小4のおにいちゃんが小1の弟の服を着て
「あ、そうなん」と意に介さない話から
スタートです。
- はいはい、永田さんも髪の毛はねてるよ。
私、小学2年生の時に 5つ上の兄に弓で射られました! 兄は工作とかが好きで、 使わなくなった竹刀で弓を作ったらしく、 実験台に妹を選んだようです。 手製の矢は先端をゴムにしてましたが。 本当に命中し、目の上あたりの 額がすごいこぶになりました。 親に怒られた兄が 「ギリギリあたらんよう狙いさだめたのに、 動くからあたったんや!」 と言ったのが衝撃でした。 (アラサーで弓に射られたことのある人なんて 会ったことないですよ)
-
書きながら当時を思い出してか
だんだんむかついてきてる感じがするのが
微妙におかしいな。
-
そうとう痛かったんや。
私も兄のあほのための実験台にされたから
わかる。
つい先日、3歳の長女が ミカンを食べたいと言うので、 皮をむきお皿に載せて渡しました。 私は台所で洗い物をしていて 長女に背を向けていたのですが、 どうやら1歳の食いしん坊な次女が 姉にミカンをもらいに近づいた様子。 いつもなら、 「ダメー!」「ぎゃー(次女泣く)」 と喧嘩になるところが、 2人仲良く分け合って食べている模様。 洗い物が終わった私が、2人に 「お姉ちゃん、妹にミカン 分けてあげられてエライね~」と近づくと、 そこには、ひたすらミカンの白い筋を取って その白い筋だけを 次女に食べさせている長女の姿。 そして、それを喜んで食べてる 食いしん坊な次女の姿。 私は脱力しました。 お姉ちゃん、実をあげて、実を‥‥。 (chiko)
- わははははは。
-
食いしん坊な次女に毎回
手を焼いていたからこそひらめいた知恵!
2~3歳の私は、 とても自由人でやんちゃでした。 階段の上から子供用イスを投げ落とす。 座椅子に座ったまま網戸ごと縁側に転げ落ちる。 (窓が閉まっていると思ったみたいです) 両方の鼻の穴に石ころを 2個ずつ詰め込んで痛いと泣く。 朝ごはんのあと、勝手にお隣に行き、 「ごはん食べてない」と言って お茶漬けを食べさせてもらう。 他にもいろいろと武勇伝が出てきます。 我ながらアホだな~と思う話ばかりで、 聞いていると恥ずかしくなったりもしますが、 両親がとっても楽しそうに話しているのを見ると 昔の私、グッジョブ! と思います。 (なぎさ)
- いや、すごいな。
- ま、過ぎてみれば、おおむね笑い話ですよ。
子供が二人とも小学生のときの元旦でした。 書き初めの宿題があり、 おとなしく部屋でやっているな、 と思ったのもつかの間。 交代で部屋を出たり入ったり。 お雑煮できたよ、と呼んでも来ず。 なにやってるのかなー、と部屋に入ったら。 そこは龍馬暗殺現場のような 血しぶきならぬ、墨汁しぶき。 なぜか墨汁をしっかり混ぜようと シェイクしたところ、墨汁入れのふたがはずれ、 部屋中にまんべんなくぶちまいたようです。 証拠隠滅のため、水をかけてタオルでふいたため 手の付けられない状態になっていました。 前日張り替えたばかりのしょうじを 1月1日に張り替え、 大掃除が1年の始まりでした。 そしてべろべろにのびたお雑煮が 年初めの食事となりました。 (アホ男子ダブルのはは)
- 「龍馬暗殺現場」の比喩が光る。
- すごかったんだろうね、正月から。
長男が小学校5年、次男3年、 長女2年の頃の事です。 親が共働きなため、 夜8時頃までお留守番でした。 当然宿題をする事もなく、自由にテレビ三昧! しかし、職場が近所なので、 親が突然帰宅することもしばしばあるわけです。 階段を上がってくる音がするのを察知し、 玄関の扉の向こう側で、 バタバタと各自が部屋に駆け込む音がします。 そんな事が何度となく繰り返され、 とうとうテレビは粗大ゴミで捨てられる運命に。 玄関の外で粗大ゴミの日を待つテレビ。 しかし! 子ども達は、 親の寝静まった頃を見計らい、 テレビを自分達の部屋へ運んで、ゲームをし、 朝までに元に戻すという 荒技を繰り返しておりました。 それもまた、親に知られる(当然)こととなり、 あえなくテレビにさようなら。 と思いきや、3兄弟(妹)はお小遣いを貯めて、 リサイクルショップに テレビを買いに行きました。 重いテレビを運んで、 子供部屋に隠してこっそり見るテレビ。 しかし、それもまた、親の知られる事となり、 やっぱり、捨てられることに。 デジタル化になる前の出来事ですが、 いまだテレビはなく、ワールドカップも オリンピックもワンセグで見てました! 今でも、チームワークばっちりの 仲良し3兄弟(妹)です。 (てくてくわかめ)
-
いろいろすごいけど、
リサイクルショップでテレビを購入してるのが
いちばんすごいと思う。
-
100パーセントばれる。しかし、
兄弟3人よればなんでもできる。
文殊の知恵。
一人の好士より三人の愚者。
夫が5年生くらいのことです 5~6人の友達と探偵ごっこをするのが流行り、 勝手に「怪しい人」を見つけては 後をつけていたそうです。 これ以上追ったら帰れなくなる、 というタイミングまで相手のプロフィールを 色々想像しながら楽しんでいたそうです。 ある日、当時にしてはめずらしい 黒人の女の人を見つけ、 気付かれないように尾行していたところ、 とっくに気付かれていたようで、 女の人の家に着いたところで 「おいで!」と招き入れられ、 日本語の上手い彼女(多分留学生)から みんなでおやつをもらい帰ったそうです。 しばらくは仲間内での武勇伝だったようですが、 両親は知らないらしく、今の私からみても 男子ってスゴイと思うエピソードです。 (ひがさ)
- なんか、紙一重の話やな。
- でも、私‥‥高校生のとき、これやってた。
- へ?
-
学校が家から遠かったもんでね。
下校時に、知らない人をつけて
暮らしぶりを想像するの。
- 大丈夫かお前。
- 5分くらいのことやで?
- ‥‥‥。
-
いろんな人がおった。
いろんな暮らしがあったわ。
- ‥‥‥‥‥‥。
今は23歳の私が、3歳くらいのときの話です。 アイロンがけをしている途中、 用があって離れようとした母は 「いい? 触っちゃダメだよ?」 言われた私はこくりと頷き、 次の瞬間に手のひらをぺたっと当てたそうで。 母には、その後の記憶がないらしい。 お母さん、あたしにもありません。 でも火傷跡もありません。 ありがとう! (うきだるま)
-
あかん言うてるのに触ってしまう。
むしろ、あかん言うてるから触ってしまう。
いわゆるひとつの上島竜平的リアクション?
- 頷くのはただの「聞きました」サインやな。
いとこのお姉ちゃんのこどもが 幼稚園に入りたての頃。 毎日、通園バスに乗りたくないと大泣き。 ある日、いつものごとく泣き叫ぶ彼が一言。 「そんなんしたら、 ここでおしっこ漏らすで!!」 彼なりの脅しだったようです。 (けいこ)
- まさに奥の手やな。
- 追い込まれていることを自ら証明。
幼なじみの話です。 中学も卒業間近となったある日、 教室の男子の輪から 「マジかっ!? マジなんかっ!?」 と、彼の大声が‥‥。 胸毛の無い大人もいることを、 そこで初めて知ったそうです。 (かりんとう)
- 最終回にこんなくだらなくていいんですか。
- いいんです。
まだ自動改札機が無く、 切符切りの駅員さんがいた頃。 乗り継ぎ切符を買い、 乗り換え駅の改札を通る時は、 切符は渡さず、見せて通っていました。 小学生の弟はいつも切符を渡してしまい、 気づいた母が取り戻す という事を繰り返していました。 その日も「渡さず、見せるだけ」と言われたのに 弟が切符をまた渡してしまった瞬間、 すぐ後ろにいた2つ上の姉(わたし)は、 無言のまま右手でスパーンと 弟の頭を一発シバきつつ 左手で、駅員さんから切符をむんずと取り戻し、 母と駅員さんはボー然。 (ゆっこ)
- 目に浮かぶ、目に浮かぶ!
- なんか気持ちええな。
わたしが幼稚園児のとき、 母と弟と母の実家に帰省するために 夜行列車に乗っていました。 二段ベッドに憧れていた私は (普段は布団だった)大喜びで上のベッドへ。 母は弟と下のベッドへ。 よく寝たーと翌日なんだか背中が痛い。 なんと私は上から落ち、 落ちたにもかかわらずそのまま寝続け ドスンという音に起きた母は、 寝たままの私をそのまま また上のベッドへ運んだと 笑いながら教えてもらいました。 落下防止に二本紐みたいなものが ついていたのですが、 小さすぎてそこに引っかからなかったんですね。 しかし結構な落差なのに起きないって! 子供の熟睡っぷりってすごいもんですねー。 (かずはっぱ)
-
寝た子を二段ベッドの上に
抱っこして寝かすことは
けっこうな重労働だということを、
親になったら知るであろう。
-
ま、寝たというだけで
重力が倍になるから不思議やな。
祖母がよく話してくれた父がこどもの頃の話。 父はちょっと人より顔(頭)が大きいんです。 小さい頃、頭が大きいがゆえの事件があったと。 そもそも頭が大きいので、 大変な難産だったと祖母は言います。 小学生時代には、友達に続いて 通り抜けようとした柵に頭がつかえて 動けなくなって、ご近所で騒動になったり。 あげくには、しゃがんで池を覗き込んだら、 頭が重くてバランスをくずし、 頭から池に落ちたそうです。 友達が呼びにいった先生がかけつけるまで、 浅い池の底に頭がささって抜けず、 死にかけたと言ってました。 (今でも、帽子や眼鏡のサイズが なかなかないとなげく父)
- 多少、お父さんのホラが入ってますかね?
-
子どもが笑って聞くからな。
ええお父さんやな。
父の会社の後輩の息子さんの話です。 息子さんが、怪我をしたと連絡が入り、 一緒に回っていた営業先から、 父と後輩さん、 ふたりで病院へ駆けつけたそうです。 大事には至らず、何針か縫うくらいで 済んだらしいのですが、 それでも、本人には大惨事。 処置室の前に来ると、室内から、 「ははうえぇ~、ちちうえぇ~!!」 と、大絶叫が聞こえてきたそうです。 息子君が時代劇か何かを見てそうなったのか、 親がそう呼ばせてたのか? それはわかりませんが、 心配する後輩君をよそに ウチの父は笑いをこらえるのに 必死だったそうです。 (平成のサムライ君)
- これはおかしい。けど笑えない。
- お医者さんも看護師さんも。
パックを塗って剥がす話が出てましたが 私もやりました。 夜みんなが寝静まった頃にやるのですが、 多分夏休みの頃だったのでしょう。 窓は開けてあるものの、蒸し暑い部屋の中で パックを塗った顔はひんやりとして気持ちよく、 結局剥がす前に寝てしまうのですね。 そうしてパックが乾いてテカテカになったまま 爆睡してるところに母が窓を閉めに来て、 「まったく、この子は!」と文句を言われながら パカパカに乾いたパックを剥がされてるのを 夢うつつで聞いていた記憶だけが残っています。 しかもまた懲りずに次の夏。 あの頃、子供部屋にエアコンなんて夢のまた夢。 窓は開けてましたが、いかんせん暑い。 それで思いついたのが、サロンパスを貼る事。 しかも全身に。一回で、ひと箱ぜんぶ貼る。 あの頃、富山の薬屋さんが来てて、 肩凝り性だった母はいつもサロンパスを大量に いつも薬箱に入れてもらってました。 肩凝りなど知らない時代だったのに、 それが何をするものなのかと 一度貼らせてもらった事があり、 「これは涼しい!」と味をしめたのでした。 暗い部屋の中で、首から始まり、 おでこ、背中、おしり、両手、両足、足の裏まで サロンパスだらけにしてベッドに寝ると 途切れ途切れに包帯を巻かれた ミイラみたいだなと思いながらも 寒気が来るほど、涼しいのです。 もちろん気持ちよく、あっという間に爆睡。。 気がつけばまた母の「まったくこの子は!!」 という声を遠くに聞きながら、 時々つねられながら サロンパスをむしり取られていました。 そんな母も今は亡く、 母譲りの肩凝り性をしっかり受け継いだ私は 自分でサロンパスを買う度に 豪勢な事をしていた小学生時代を 懐かしく、申し訳なく思うのでした。 (みー。)
- 夏になるたび、なにか貼りつけて寝る、と。
- かなり味わい深いです。
末娘が5歳の頃、 家族旅行でロープウェイに乗りました。 降り口から急な坂道になっていて、 夫達が少し前方に、私は末娘と手をつないで 少し離れた後ろを歩いていました。 末娘はお父さんの側に行きたかったようで、 私の手をはなして小走りでお父さんのもとへ。 と思ったら急な坂のせいで見たこともない ハイスピードで走って行くではないですか! 「止めて!」と叫ぶも夫の横も駆け抜け。 通りすがりの人もただただびっくりするばかり。 そしてとうとう、足がもつれて転倒。 と思ったら、そのまま 前転の要領で転がっていくのです。 死んじゃう! と思いながら 追いかけたのですが、追い付くわけもなく。 そして、坂の終わりでようやく止まりました。 ようやく駆け付けてみたものの、 末娘は軽い擦り傷だけでピンピンしてました。 こどもってすごい‥‥と思うと同時に、 びっくりしすぎて私のほうが 気持ち悪くなりました。 (最近、娘は運動音痴だと判明)
- あああああ、びっくりした。
- 映像になって浮かびます!
あれは私がまだ2~3歳の頃のこと。 「私が近づくと、妙になにかの匂いがする」と、 何度目かの接近で母が私を捕まえると、 私の頭にはべったりと、カタマリすら残るくらい べったりとバターが こすりつけられていたそうです。 母がなぜそんなことをしたのかと訊ねると、 私は真顔で 「だってバターを食べると 頭がよくなるって言ったから、直接ぬったら もっと頭がよくなると思ったから」 (私が嫌いで食べない食べ物を 食べさせようとするときの母の台詞は 「○○を食べたら頭がよくなる」でした) 「3回洗っても泡がたたなかった」と、 何かというと繰り返し母から言われました。 しかし、大人になってから、 その話題が出たところで祖母に、 「でも、あんたのお母さんも小さいころ、 私が七輪で魚を焼いてて、 席を外さなければいけなくなったときに、 魚を見てなさいねって言ったら、 わかったって頷いたのに、 戻ってきたら魚がなくて、 どうしたのって聞いたら、 『猫が咥えていった』って言うから、 見てなさいって言ったでしょって言ったら、 『だから見えなくなるまで 見てた(見送っていた)』って言ったのよ」 と教えてもらいました。 ああ‥‥カエルの子はカエルって、 このことなんだろうなと 妙に冷静に納得したのを覚えています。 (おたま)
-
「3回洗っても泡がたたなかった」
っていうディテールがいいです。
親って、同じエピソードの、同じディテールを
うれしそうにくり返すものね。
-
そこの部分が
聞いてる側のオチになるもんね。
この度、三児の母から四児の母に なることがわかりました。 妊娠判定をもらったので 早速子どもたちに報告しました。 超音波写真を見せて 「これは何でしょう?」と聞くと。 長男「口内炎?」 ダンナが悶絶しました。 末っ子がほしかったものだよ、と言うと。 末っ子「ドーナツ?」 ダンナ、またもや悶絶です。 私「これはね、赤ちゃんのたまごだよ」 長女「どこに入ってるの?」 私「かーちゃんのおなかだよ」 長女「へー。あ! その前に名前付けなきゃ!」 長男「早すぎるわ!」 末っ子「じゃあさー、はーちゃん! それかペコちゃん!」 どうでもいいですが、 舌が出てそうな名前はやめてください! (まだ三児の母)
- ダメだ、「口内炎?」がおもしろすぎる‥‥。
- 難しい言葉を冷静に‥‥。
こどもの頃、家族から 「ばほみ」と呼ばれていました。 「バカでアホなミーちゃん」 略して「ばほみ」でした。 何の疑問も感じず かわいいニックネームだと思っていた私は 確かに「ばほみ」ちゃんですが、 あらためて文字にすると うちの家族、ひっどいなぁ。 (北の庄)
- はははははは。
- かわいいよぅ。
子ども名言集
アメリカで子育てしています。 娘は関西弁と英語のバイリンガルです。 3歳くらいのころ。 私「Sorryってどういう意味?」 娘「ごめんなさいって意味」 私「excuse meは?」 娘「おならしましたよぉっていう意味」 (まみ~)
- 名言集なのにのっけから笑ってしまいます。
-
よぉ、って、日本語もちゃんと
申しわけなさそうにしてるのがいい。
髪をばっさり、ショートカットにして帰宅。 息子(もうすぐ3歳)に、なんて言われるかな~ なんて少しワクワクしながら、 「ただいまー! ほらっ!」と見せる母(私)。 息子、目をキラッキラ輝かせて一言。 「わあ~っ! ちんちんみた~い!」 ‥‥がーん。‥‥そっか。ちんちんって、 今の君の最大の流行語だもんね。 ある意味、最大の褒め言葉、だよね。 うん。うん、しゃあない。 (たい)
- 褒め言葉、褒め言葉。
-
たしかにショートカットは
ロングよりすっきりしてて、
輝いてる。
2歳の娘が自分の指に生えている、 わずかな指毛をじっと見て言いました。 「草がはえてる!」 (大草原の母より)
- 大発見!
- 自分の指から草が!
昨晩から片目がちょっと腫れた息子(小1)。 ダンナと「ものもらいかなあ」と話してた。 その後、小学校に行く道すがら、 「僕はなんで、ものわらいなの?」 と聞いてきた。もの笑じゃないよ! で、小学校から、帰ってきたら 「僕の、なんだっけ? わらいものだっけ?」 と、聞いてきた。もう、原型留めてないよ~。 (眞紀)
- ものもらいという、名がね。
- めばちこ、という地方もあるね。
小学2年生の長男と買い物。 支払いの時1万円札を使用。 お釣りをもらうところを見ていた長男が一言。 「お母さん、 お金いっぱいもらえてよかったね?」 (お財布の中身は減っちゃってけどね)
- そうそう、おつりって不思議やったよね。
- その場合、お店はどういうキャラクターなのか。
- ものをくれて、お金もくれる。
- どんな世の中や。
保育士をしていた私は、 妊娠して退職する事になりました。 担任していた男の子(3歳)と、 ママと話していたら、ママが 「先生のお腹の中には赤ちゃんがいるんだって。 ○○のお腹の中には何が入ってるの?」 と聞きました。 そうしたら男の子は即答で、 「ゆめときぼう!!」 なんて素敵な事を言うのかとママに聞いたところ パパのメタボなお腹が気になった男の子が、 パパにお腹に何が入ってるのか聞いたところ、 「夢と希望だよ」と言われたんだそうなのです。 それを聞いた彼は、 それでも最初はおかしいと思ったようで、 「ちがうよ、ごはんでしょ?」 とパパに反論したら、 「ご飯がおなかで夢と希望に変わるんだよ」 と言われて、そうなのか!! なんかすごいぞ! と、納得してしまったらしいのです。 私は理由を聞いてママと大笑い。 結局最後はママが 「先生のお腹の中には、 本当の夢と希望の赤ちゃんがいるんだよ」 と締めてくれました。 (おはらん)
- ほんまや。
- パパはええこと教えたな。
- 子どものおなかには夢と希望。
- 先生のおなかも、パパのメタボにもな。
私の両親は共に60代ですが まだまだ元気で若々しい2人です。 4歳の息子と私が実家に泊まった夜。 いつもは横で寝てるのですが、 息子が先に寝たので 私はのんびりと入浴していました。 グッスリ眠ったはずなのに目を覚ました息子は 私がいないので 「かぁちゃん~! かぁちゃ~ん!」と泣く。 ばぁちゃんがなだめに行くも 「かぁちゃんがいいの~!!」 と泣き止まず、次にじぃちゃん登場。 すると一層大泣きしながら 「おとしよりのひとはいや~~!!」と。 息子よ、それは失礼やろ。 (おはなはん)
- わははははははは。
ただいま中3の長女が4歳の頃の話です。 生後半年ほどの次女を抱っこして、 3人での保育園からの帰りのバスの中。 ちなみに、お父さん似の娘達は色白、 私は‥‥地黒‥‥。 仕事帰りに保育園から娘二人ピックアップして、 疲れ切って座ってる私の顔を じーっと見て、長女がひと言。 「おかあさんも、○○(次女)みたいに、 白くなりたい?」と。 心の動揺を押えつつ、 なぜか聞いてしまいました。 「じゃあ、△△(長女)には、 どう見えるの?」 しばし沈黙のあと 「薄暗い‥‥」と。 ガーン!!!!!!! いまだに、そしてこれからもきっと、 この長女に言われた印象は忘れないでしょう。 ってか、旦那になんと言われるよりも、 一番ショックな言葉でした。 (ブラックママ)
- ガーン!
- まぁまぁ。
-
私も息子に
ほっぺにゴミついてるけど大丈夫?
と言われたことは忘れない。
- まぁまぁ。
ウチのムスコは6歳。 来年は小学生だというのに、まだお母さんの おっぱいやお尻をしょっちゅう触りたがります。 外出先でも無意識のうちに 揉み揉みしようとするので困ります。 先日、エビが入ったチャーハンを前に (ムスコはエビがキライ)固まっていたので、 「一口でもいいから食べてごらんよ~。 ぷりぷりしてて美味しいよ~」と言うと、 「ぷりぷりって苦手なの!」と怒りました。 冗談で、 「じゃあ、お母さんの おっぱいとかお尻とかも苦手だね~。 もう触るのやめようか~」と言ったところ、 キョトンとした顔で 「え、お母さんのおっぱいは 『たるたる』だけど?」と答えました。 結婚・出産が遅かったので、 わたしはもう40代半ば‥‥。 確かに「ぷりぷり」ではありません。 いったいどこで「たるたる」なんて 覚えたんだか‥‥。 (ガメちゃん)
- ガーン!
- まぁまぁ。
-
私も息子に
「母さんはこれから左手で
ごはん食べたほうがいいよ」
と真顔で昨日言われたことを忘れない。
-
からだを気遣う
いい息子さんじゃありませんか。
娘が小学校へ上がる前の事だったと思います。 友達のお姉さんが奇数偶数の話をしていたので、 説明しました。 しばらくして、娘に聞いてみました。 「ぐうすうと、もう一つはなに数だっけ?」 娘は自信満々に答えました。 「ぱーすう」 ちょきすうはどんな数? と今でも時々からかっています。 (じゃんけん大好き)
-
かわいいなぁ。
こういうのはメモしとかないと忘れちゃう。
- そうそう。
私が小学校低学年くらいの頃。 テレビで『大草原の小さな家』を 見ていて、父に一言。 「お父さん、この人たち日本語上手だねぇ!」 ‥‥日本語吹き替えという概念が全くなく、 ハリウッドでも何でも、 日本語ペラペラじゃないと 映画に出られないと思っていました。 父は「違う」と言うものの、 説明に相当困っていました。 (今は映画は字幕派のわたし)
- 抑揚があって、上手だねぇ!!
- 日本の声優さんだからねぇ!!
だいぶ臨月に近づいた妊婦さんの姿を 思い出してみてください。 お腹が大きく丸~く膨らんで、 おっぱいもだいぶ大きくなってますよね。 弟が4歳くらいの時、 私に説明してくれたのですが、 「赤ちゃんはお腹の中で体育座りをしていて 両手をグーにして突き出している」そうです。 グーにして突き出している部分‥‥ それがおっぱいらしいです。 透視? 透視?! (キレウリワリ)
-
そう聞くと
もうそうとしか見えない。
- すごい透視だ。
仕事が少し早く終わったので、 保育園のお迎えに行く前に、 煮物を作ろうと思い鍋に火をかけました。 あ、そうそう洗濯物たたんでおこう、 掃除も少し、と欲張って家事をしていたら、 見事に鍋の煮物は焦げ焦げに。 家の中もほんのり お煎餅やさんの様な香ばしい香りが‥‥。 時間も無くなりあわてて片づけて 保育園へ猛ダッシュでお迎えに行きました。 3歳の息子、車に乗って開口一番。 「ねぇねぇ。 お母ちゃんは、しょうゆの味がするね」 おお! 確かに焦がした鍋はしょうゆ味でした。 煮物を焦がしたのは残念でしたが、 なんだかうれしかったです。 (カンタの母ちゃん)
- お母さんの匂いにはねぇ?
- いつも注目しているんだよ。
- さて、最終回でもありますし。
- 次のコーナーは必須ですね。
言うことをきかないときの親のひと言
私が小さいころの 言うことを聞かない時の親の一言は、 「お母さん、山に帰っちゃうよ!」でした。 なんでも母は本当はタヌキで、 山で罠にかかったらところを お父さんに助けてもらい 御礼のためにお嫁にきたとのこと。 だから言うことを聞かないとタヌキになって 山に帰っちゃうと言うのです。 しかもこの話はさらにオマケがあって、 父は本当はキツネで、 人間に化けた時に母を助けていたから 父も山に帰ってしまう可能性があるという設定。 私や妹は信じてしまって、 今度は親が山に帰ってしまうのが心配で、 幼稚園に行くのを泣いて嫌がったそうです。 いま私には9ヵ月の娘がいますが、 同じようなことを言ってこの子が信じるのかなぁ、 とちょっと楽しみにしています。 (きなこ)
- 信じます、信じます。
-
親は子どもが信じるように
話をうまくアレンジしますからね。
-
「うそでしょう?」
と思ってる顔に
本気の恐怖があぶり出されるその一瞬を
見逃さない‥‥。
我が家の、言う事を聞かない時の言葉は 「牛小屋にやる!」 もしくは「牛の頭に乗せる!」でした。 米農家で、肉牛も育てていた我が家では、 子供がいう事を聞かない時は、 祖父や父からそう怒られていました。 牛小屋は母屋から少ししか離れてないのですが、 大体怒られるのは真っ暗な夜で、 とんでもなく怖い場所でした。 姉妹喧嘩がひどく、なかなかやめない時も多く、 本当に牛小屋まで連れて行かれ、 何度も「もうしません!」と 泣きながら謝っていましたが、 そのうち数回は本当に 牛のひたい辺りに仰け反る背中を付けられ、 声にならない鳴き声で 改心してたように憶えてます。 幸い、飼い牛は穏やかで可愛く、 トラウマなどにはならずよかったです。 しかしいくら子供とは言え、 嫌がってジタバタ動く子供を抱えて行くなんて、 祖父(当時60前)は強かったなぁと 変な感心をしてしまいました。 (ひがさ)
- たくましいおじいちゃんや。
- 牛も子育てに参加したんだねー。
泣き虫だったわたしは、 いつまでも泣き止まない子でもありました。 長泣きすると、父は電灯のヒモに手を伸ばして、 「このヒモを引っ張ると、 ぶったいちょうが来るぞ」 と言ったものでした。 「ぶったいちょう」の 実体はわからないながらも、何やら恐ろしく しゃくりあげながら、 何とか涙を収めたものです。 今から考えると、「ぶったいちょう」は 皆から「分隊長」と呼ばれている 近所のおじさんのことなのでした。 昭和30年代前半の話です。 (嶋)
-
5円のおじさん、などとは違って、
近所のおじさんだったんですね。
- なぜヒモだったのか‥‥。
母に怒られて 「外に出てなさい!」 ってなることありますよね。 兄の場合。玄関先で 「おがあざん、ごべんなさい~~」と泣く。 玄関を開けてくれるまで泣いてあやまる。 私の場合。 (あっ、縁側の方が開いていたかも!) と瞬時に考え、庭をダッシュ。 縁側から居間に入ろうとしたところを 玄関から戻った母と鉢合わせ。 「あんたはぁ~~~~~(怒&笑)」となる。 一事が万事そうだった、とアラフォーになった 今でも母にも兄にも言われます。 (あぐねす)
-
怒られていることよりも、
自分の身を危険から守る解決を
優先する行動力。
- 頭がまわっていて、すばらしい。
うちでは、こども(ジャスト3歳)が 言うことを聞かないときの決め台詞は 「じゃあ、怖いママになるよ!」です。 かれこれ1年ぐらい使っています。 これで「怖いママはいや~~」で 言うことを聞けばよし、聞かなければ 家政婦のミタばりに無表情で低い声で、 「やめなさい」とか「はなれなさい」など 短い言葉で怒ります。 泣いても、叫んでも、 ペースを乱さないのがコツです。 この状態を解除する唯一のキーワードは 「ごめんなさい、もうしましぇん」 これが出ると、元のママに戻ります。 今までは、怒られた成り行き上、 台詞としてしゃべっているだけだと 思っていましたが、ある日、 絵本『さるかに合戦』をパパが読み聞かせ中、 ラストで猿がかに達に 「ごめんなさい、もうしません」 と謝ったところで 「なんだ、ゆーかと一緒じゃん!」 夫婦とも思い切り吹き出してしまいました。 ちゃんと、わかっているんですね。 (ごまみそ)
- わかっていたんだねぇ。
-
自分を本にまぜこんで共感するとは。
しかも猿に。
ジャスト3歳、偉い!
パパの立場
妻と3歳の息子と3人で、 風呂に入っていたとき 息子が「ママ大好き!」と言ったので 「パパは?」と聞いたら‥‥。 しばらく間が空いてから、小さな声で 「すき」。 3歳なりに気を使ったのでしょうか? (masa)
- このコーナー、最終回もあるんかい。
- あたりまえやがな。
物心ついた時から 電車が大好きだった友人の息子君。 おもちゃはプラレールとNゲージ。 休日は新幹線で東京・横浜間を往復。 列車の種類や路線にもどんどん詳しくなり、 さぞかし筋金入りの 鉄道マニアになると思われた彼が 10歳くらいになったある日。 「パパってさぁ、電車好きだよね」 パパ絶句! ぜんぶ、君のためだったんですけど! おまけに、パパのために付き合ってたけど もうついていけない的なことまで言われ、 返す言葉もないとはこのことだ、と 嘆いておられました。 (しおしおのぱー)
-
自分でも気持ちを持ち上げて、
ノリノリで
ついて行っていたのに。
- 10年経って、この仕打ち。
息子がひらがなを書けるように なったころ(4歳)のことです。 字を書けるのがうれしくて仕方ない様子で 「まま だいすきだよ」とか 「まま おしごと がんばて」など 毎日かわいい手紙を書いてくれました。 ある日、めずらしく 「今日はパパにお手紙書いたんだ~!」 といって見せてくれた手紙には 「ぱぱ やきとり 1 つくね 4 すなぎも 2 ればーあ 2 かてきてね」 と上手に書いてありました。 (イクラ)
- 上手にね。
- 用事をね。
娘が保育園の年長さんだった頃。 遅くなるので夕食付きのあずかりをお願いし、 迎えに行くと、年中さんのAちゃんと娘が 2人で残っていました。 遅くても夕飯仲間がいて、 二人ともご機嫌だった様子。 保育士さんが 「Aちゃんもそろそろお迎えの時間よ」 と声をかけると、Aちゃん、「お迎え誰?」と。 保育士さんはお迎え予定者を確認して 「ママだって」と教えてあげました。 子ども達二人は 「(もうすぐお迎えが来るなら)一緒に帰ろう」 と更にテンションもアップ。 ほどなくAちゃんにもお迎えが。 保育士さんが「あ、お迎えパパだったね」と 言うか言わないかのうちに、 パパが部屋に入ってきました。 するとAちゃん、急に「やだ~~~~っ」と 大絶叫でひっくり返ってジタバタ大暴れ。 そしてパンチやキックでパパに攻撃しながら 「かえれ~っ」と。 いつもパパと仲良く登園する様子を見ていたし、 わずかの間に何かAちゃんの嫌なことが 起こったようにも見えず、まだ遊びたいから 帰りたくないというような状況でもなかったので このAちゃんのリアクションの理由が しばらくわかりませんでした。 どうやら、ママだと思ったお迎えが パパだったのが 気に入らなかったのではないかと判明。 「せっかく来てくれたのに、 パパかわいそうだよ」 と保育士さんがとりなしていました。 パパさんはと言えば、ちょっと困りながらも 「そんなこと言わないで帰ろう」と、 いつものテンションで語りかけていました。 あんなにイクメンパパさんなのに‥‥ と思ったことを覚えています。 卒園した今でも、公園や図書館で バッタリ会うときは 大抵パパと一緒のAちゃんです。 (ママレードパパレード)
-
これね、なんども言うようですが
切り替えができないだけなんですよ。
- でも、逆の切り替えはすぐできるでしょう?
- ‥‥‥。
- ‥‥‥‥‥‥。
- たしかに。
私の父は、休日の朝に幼い私が 「あそぼう」とベッドへやってくると、 いつも「どっちが上手に寝たふりできるか競争」 をしようと提案。 素直だった私は毎回快諾して、競争スタート。 父はあまりに上手で、 本物そっくりの寝息までたてて、 かなわないとあきらめた私は 競争途中で退場する申し訳なさを抱えながら そっとベッドを抜け出したものでした。 (さいさい)
- 寝とる寝とる、父ちゃん寝とる!
- この技、使えるなー。
-
ちなみに母は
「どっちがずっと黙ってられるか競争」
をよくします。
保育園に通っていた頃。 父と動物園へ。 入り口で父の一言。 「へびがいるんだぞー!」 「‥‥入らない」 本当に動物園には入場せず、 入り口近くにあった、 100円で動く飛行機や電車の乗り物に 乗せてもらって大満足。 帰ってから母に 「せっかく行ったのに! 何で脅かすの!!」 と怒られた父。 あれはあれで楽しかったよー! (くりたろ)
- 楽しかったと言われてよかったな、父。
- 父と遊ぶのは、楽しいんだよー。
つわものママ
私が小学校低学年の頃、 ある日の夕方家に帰ると、 母の右腕が血まみれでした。 そして、言葉も無くビビる私に、 「お母さん、ちょっと病院行ってくるわ」 と言い置いて出て行きました。 どうやら自転車での買い物帰り、 他の自転車に横からぶつかられ、 有刺鉄線に突っ込んだらしいのです。 12針縫った上、 リハビリが必要なほどの大怪我でしたが、 門限の5時に留守をして娘に心配かけまいと、 帰りを待っていたのでしょう。 あの日の真赤に染まった白いブラウスの映像は、 今も私の脳裏に焼き付いています。 しかし数年前、 原付バイクで転んで脳震盪をおこし、 更に顎にファスナーが刺さって 10針縫う怪我をした私。救急車も呼ばず、 そのままバイクで家に帰り、血で汚れた洋服を すべて洗濯してから病院に行きました。 今になって自分の行動を振り返ると、 血は争えぬと思ったのでした。 (蛙の子は蛙)
- 優先順位が‥‥。
- 似ていらっしゃいます。
- なぁ、永田さん。
- なんや。
-
まだ、今日のページ、
半分も行っとらんで。
- 最終回やから、しょうがないんや。
-
まだメールが届いてる。
みなさんほんとうにありがとうございます。
まだまだつづきますよ!
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「こども ビームス」さんと、
母子手帳ケースとしてもつかえる、
あたらしいタイプのカバーをつくりました。
なまえは、「&こども」。
つかいやすく、しかもおしゃれでかわいいカバーです。
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いま、子どもサイズのハラマキを販売しています。
これまで人気柄をピックアップしたり
人気のものを再生産して、WEBのお店に並べています。
おかあさんと子どもで、おそろいにもできますよ。
サイズがなくなってきているものもありますので、
欲しい柄があったらどうぞおはやめに。
この冬は、親子でしっかり、あたためよう!
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2012-10-31-WED