第6回
自分の中の他人に
遊んでもらっている。
糸井
模写を意識的にやり続けて
画家になった人は、昔はいなかったでしょうね。
横尾
ですから、ぼくは
画家になろうとは思ってなかったよ。
贋作作家っていう商売がありますけどね(笑)。
あと、模写を活かす職業っていうと、
映画の看板屋さんくらいかな。
糸井
看板屋さんという職業は、
横尾青年の意識にはあったんですか?
横尾
いや、あんまりない。
ときたま、模写を活かすなら看板屋さんなのかなぁ、と
考えたことはあったけれども、
職業にしようとは考えていなかった。
やっぱり、ぼくはただ、
ひとりで描いていたいということ、
それだけなんですよ。
糸井
自分で「この絵を見てくれ」「見てほしい」と
思うようになったのはいつからですか?
横尾
そんなこと、一度も思ってません。
細野
(笑)いまも?
糸井
そういうことじゃないんですね。
横尾
うん。
そんなふうに考えてしまうと、
そこに社会が成立してしまいます。
あくまで「絵の世界」に埋没して、
そこですべてを完結させようとしています。
他人の意見や視線や考えは関係ないわけです。
糸井
ははぁ。
横尾
とにかく自分、個人ですよ。
だからいまだに
世の中で起こってることに対して、
さほど興味ないですよ。
でも、寺山修司やアンディ・ウォーホルなんかは、
他人に対する関心がものすごく強いでしょう?
糸井
強かったでしょうね。
横尾
ぼくは他人に対する感情が希薄です。
しかしね、ぼくの中に、
他人がいるわけですよ、
これ、無数にいるわけですよ。
「その他人」に対する興味はあります。
自分の中の他人をステージに上げて、
そこで何かをやらせる、
それをもう少し大きい自分が眺める、
ぼくにとっての他人は、そういう他人なんですよ。
糸井
そのことは、ぼくはとてもよくわかります。
横尾
そうですか。
糸井
自分の頭の中にいる他人に、いつでも
遊んでもらったり、見てもらったり、
文句を言ってもらったりしている。
横尾
そうそう、そうそう。
糸井
そういうことがいつも行われている。
細野さんも、わかります?
細野
あのね、いまの話、
ミュージシャンと同じですよ。
ミュージシャンも、ひとりでコピー、
つまり模写からはじめますから。
糸井
そうかそうか。
いいなぁと思った曲を
自分が再現するんですもんね。
細野
そう。
ある音楽に憧れて、その真似をするわけです。
それがだんだん高じていくと、
自分の音楽を作り出す。
プロセスはまったく、横尾さんと同じです。
糸井
けれども、同じことをしていても、
ミュージシャンにならずに、
聞き手だけで終わっていく人と
ミュージシャンになる人とに分かれますね。
細野
その分かれ目はあります。
いまこの話を聞いているみなさんの中にも、
天才がいっぱいいるとぼくは思います。
ただ、残念ながら表現ができない。
表現の手段を勉強していないのです。
やっぱり、これは勉強ですから。
糸井
なるほど。
細野
好きなことを自分で表現して、
ああだこうだと、
自分でやり合わなくてはならないのです。
やはり、横尾さんや糸井さんが
おっしゃったように、
自分の中の目があって、
自分に聞かせるわけですよ。
自分が判断して、
「もっともっと」と思うわけです。
そういう鍛練がないと、表現が身につかない。
糸井
そして、その「ああだこうだ」は
楽しいからやってるわけですね。
細野
好きじゃないと、それは続かないですね。
横尾
細野さんなんか見てると、
「自分のこの音楽で世界を変革してやろう」とかさ、
そういうことは感じないんですよ。
細野
ぼくはぜんぜん、社会のことは考えないです。
横尾
だけど、坂本龍一さんは少し違って、
音楽を通して社会との関係を
肉づけしていくと思っています。
ぼくは、細野さんの音楽を聞いてて、
子どもっぽさを感じるわけよ。
ぼく自身もそれに近い。
糸井
あぁ。わかる。
細野
そういう意味では横尾さんは
ぼくと同じですね。
糸井
近いよ、2人とも近い。
会場
(笑)
細野
糸井さんは、そんなぼくらの
「お父さん」という感じがします。
糸井
自分の中にも子どもっぽい要素はあるし、
その遊び方はたのしいと思っている。
でも同時に、
「この子たちの砂場をどうするか」が
ぼくの仕事だという自覚があります。
細野
そうなんです。
昔からそうでしたけど、糸井さんは、
みんなの親です(笑)。
糸井
ほんとうは泥だらけになって遊んでるんだけどね。
細野
うん、いっしょにね、
遊んでる姿も知ってる。
糸井
いっしょになって遊んでいても、
大人が向こうからブルドーザーで壊そうとしてるなぁ、
というのが見えるんです。
そういうときは
「ちょっとごまかして、
子どもたちをいまはあっちに連れて行くわ」
ということをやります。
プロデューサーの仕事って、
たぶんそれだと思うんですよ。
どこかのところで、ぼくは
遊び場を守ることを考える場所に
連れて行かれちゃった気がします。
細野さんと横尾さんほど、
「好きでしょうがないもの」がなかったんでしょうね。
(つづきます)
2016-12-02-FRI
© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN