_____聖地の馬鹿ども_____
煙草が吸いたいけど、吸ってもまずいのは ババ様の思し召し?
「イトイさん、煙草減らしてるんですか」
『月刊プレイボーイ』の編集のムラマツが怪訝そうに聞く。
ムラマツとは1年に50日くらいは会っている仲で、
彼は私がヘビースモーカーであることはよく知っている。
いい質問だ。この2〜3日、煙草がまずいので、
ヘビースモーカーが
トカゲスモーカーくらいにいなっているのだ。
そのことを説明すると、「僕もまずいんですよ」と、
つまらなそうな顔でいう。
「ババ様のさいだろうかねぇ」
「そう都合のいいことは考えたくないんですけどね、
こんなに吸わないことって、なかったですよね」
私の1日の喫煙本数は、4分の1に減っていた。
たいして吸いたくないのだから、吸わない。
そんな感じを味わったのは、初めてだ。
喘息の時だって吸っていたし、
高熱の出てる日も吸っていた私が、だ。
「まずいのは嫌だよなぁ。
オレのマールボロを、うまくしてくれぇ!」
言葉こそ反抗的だったが、
ムラマツも私もサイババが煙草を通して
私たちに何かを伝えようとしているのではないかと、
半分は思っていた。
東京でのミーティングで聞いた
「ババ様はすべてお見通し」の話は、
こんなふうに余震として
私たちに影響を与えていたのだ。
聖地プッタパルティでの宿舎は、
基本的にアシュラム内にある
宿泊施設ということになっていた。
インドとしては高水準の清潔さが確保されていて、
シャワーもあるしトイレもある。
ただ、そこは修羅場の敷地内であるがゆえに、
当然のように禁酒禁煙なのである。
ブッタパルティの
修練場のなかにあるババ様のお家。
ババ様は可愛らしい
デザインがお好きのようである。 |
私は、自慢にはならないが、
ここ30年、1日たりとも禁煙をしたことがない。
規則を破って吸ってやろうというつもりはないが、
わざわざ夜中にアシュラムを脱け出して
一服して戻ってくるなんて面倒なこともしたくない。
しかし、サイババに会ってインタビューができて、
指輪の「物質化」が見せてもらえるなら、
私史上最大の事件「禁煙」をやらかしてもいいと、
決意しつつあったのである。
そこに、都合よく「煙草まずいです現象」だ。
これもサイババの奇跡か。
バンガロール近郊のホワイトフィールドに比べると、
ややにぎやかで大規模な雰囲気の
プッタパルティのアシュラムに着く。
建物の感じも、ホワイトフィールドのぶりっこぶりに比べて、
もう少しインド味が強い感じ。
あっちがお菓子のコトブキだとすると、
こっちはそれに「タイガーバーム・ガーデン」を
掛け合わせたイメージ。
信者でない物の立場からすると、
欲望を捨てろという神様の本宅にしては、
ちょっとギラギラしすぎちゃいませんかね
という気持ちにもなる。
アシュラム内に入ったとたんに、
私の半ズボンがとがめられる。
脚を露出していてはいけないらしい。
昔の「ゴダイゴ」のタケカワユキヒデみたいな
白い上下の服に着替えて、
それから受付場に行き、さまざまな手続き。
けっこう細かいことまで書き込んで、
パスポートを1日預けることになる。
規則らしい。
代金の踏み倒しを防止するわけでもないのに、
パスポートを預けるというのは、ちょっと抵抗があったが、
返してくれるんだから、ま、いいか。
アシュラム内の訪問者受付窓口。
意外とこういうことはシステム化されていて、
訪問者には慣れている感じ。
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なかなかとれないというアシュラム内の宿舎の部屋を
「サイセンター日本本部」の方が
手配してくれたおかげで、
数部屋も確保できているという。
さらに、イトイのために日本支部
の代表のHさんが持っている
特別室を提供してくれるともいう。
たいへんな厚遇であるが、夜のミーティングや、
機材の出入りのことを考えると、
アシュラムのすぐ前にある
民間の安ホテルに泊まったほうが
よいだろうと、ディレクターの恩田さんが決断した。
私は、サイコロを振って決めるような感じで、
決定したことに素直に従うつもりでいたが、
禁煙の大問題がやっぱり重荷になっていたので、
喜んで賛成した。
宿舎の部屋をせっかくとっていただいたことについては
申し訳ないとは思ったが、「信者」のふりをして、
ババ様のご機嫌を伺うようなことをするより、
本来の自分たちの姿を、
そのまま表現するほうがよいだろうということで、
案内をしてくれた日本人信者のMさんには説明して謝った。
アシュラム内では、男女の行動は基本的に別々である。
そういう戒律があるらしい。
夫婦の信者が立ち話をしていても、
時間が長くなるとボランティアの係員から注意される。
私たちは、沈黙の規則を破ることが多く、
しばしば、指を唇にあてて
「しっ」というポーズをとる人々に出会った。
こういう人種は、大昔にジャズ喫茶という所によくいた。
おまえの「しっ」のほうが気うるさい!
なんてことを考える余裕はなかった。
禅寺に修行に行ったらもっとキツイだろうと、
私は自分を納得させた。
とにかく、イイコでいようと、
いつも自分に言い聞かせていた気がする。
ローマに行ったらローマの法律に従えというのは、
マナーというものだ。
まず従ってから、
間尺に合わないことがあったら考えなおせばよい。
基本的にこれは弱者の論理ではあると思う。
排除されてしまったら元も子もないのだから、
何とか踏みとどまっていられるように
努力しなくてはいけない。
「出ていけ!」と言われて
「嫌です」と反抗することは許されないのだ。
だってボクらは、ここに望んで来ているのだし、
相手はボクらを「ぜひいらっしゃい」と
招きいれたわけじゃないんだから。
この感じは「免許停止処分」を
軽減してもらうための講習に似ている。
「いねむりをしている方は、即座に退出していただきます。
この講習は、皆さんが免許停止期間の短縮を希望して、
皆さんのほうから望まれて開かれているものでありますから、
嫌なら受けなくて結構なんですね。
どうぞ、お帰りください!
皆さんの、自由なんですから・・・」
自由! あの時に耳にした自由は、新鮮な驚きだった。
あ、そうそう、ここは鮫洲でも府中でもない。
インドのプッタパルティなんだ。ここでも私たちは、
自由を味わわされていた。
男女で立ち話をするのも、半ズボンで歩くのも、
笑い声をたてるのも、自由なのだ。
でも、そういう自由な人は、
「ここでない所」に行ってくださいね。
規則でがんじがらめになっている私立高校の子供たちも、
おんなじようなものか。
遣えない大金のような自由を、
長いこと遣わずに心の底に沈めておくと、
自由はかたまって化石のようになってくる。
私たちのような短期滞在のたんなる好奇心グループは、
つい自由を小出しに無駄遣いしてしまうけれど、
信仰者の方々はそんなことはしない。
洋服をあれこれ選ぶことや、
食いもののうまいまずいを考えること、
男や女の品定めをすること。
そんな、自由という名の「世俗的欲望」を、
ひとつひとつ捨てていく。
心の座敷牢に閉じこめるのかもしれない。
これを日々くりかえしていくと、
「自由からの解放」という素晴らしい、
「総合的な自由」が得られるということらしい。
このあたりのことを、解脱とか悟りとかいうんだろうな。
戒律の助けを借りた禁欲は、
アシュラムで暮らす人々にとって、
無くてはならない条件なのだ。
だから、長く滞在している、
修練場での経験の多い人ほど尊敬される。
「自由という名の欲望」は、生きている人間の心のなかに、
嫌な言い方をすれば、
ドブ泥のなかのメタンガスの
ようにふつふつとわいてくるものなのだ。
わいてくるものをそのままにしていたら、
霊的な到達点は永遠に見えてこない。
だから、アシュラムに暮らす人々は、
「欲望」に「利己心」という名をつけて、
わいて出るたびにしょっぴいて、
心の座敷牢に閉じこめてやるのだ。
だが、これも、終わりのない闘いである。
毎日息をして、モノを食っているだけだって、
欲望のカケラくらいは生じるはずだからだ。
文字通り成仏して、つまり、オダブツになって
呼吸まで止めてしまわないかぎりは、
欲望から解放されることなんてあるはずがない。
過激なエコロジストが、
鯨をたすけるくらいじゃ足りなくなって、
動物実験の反対を始めて、
そのうちにバクテリアの保護まで唱えだすようになるという
冗談を聞いたことがあるけど、
宗教の戒律や禁欲というのも、おなじようなところがある。
こんなに余計なことを考え始めたのは、
そうだ、私が煙草を吸いたいというだけのことからだったっけ。
喫煙や飲酒を、
そんなに悪習あつかいするこたぁねぇじゃねぇかよォ
という、一見些細なことに、不平を言っているのだ。
サイババ様が、灰皿をさしだしてくれて、
「ま、一服しながら話そうじゃないか」とか、
あるいは「今日も暑いねぇ、まぁビールでも一杯やって・・」
とかいうようなケツの穴のでかい神様だったら、
私はこんなこと考えなくて済んだのだ。
男と女は離れろだの、半ズボンはいけねぇだの、
動物の肉は食うなだのと、
あんまりミミッチイことを言うから、
何かなじめなくなっているのだ。
私たちは、できるかぎりは
イイコにしていようと思っていたし、
事実そうした。
だいたい、ブッタパルティまで遠路はるばるやってくる、
それだけで、一般的な快適な旅行になれた人間なら
「ひと修行やってきた」ような気になっている。
宗教の聖地というものは、
だいたい辺鄙な場所にあるものらしく、
交通至便、駅から3分なんていう
不動産屋のよろこびそうな聖地は、
あんまりないのではないか。
ブッタパルティという村は、
もともとサイババの生まれた所で、
サイババは基本的にはここから
一歩も動かずに彼の教えを広めてきた。
いまでは、バンガロールからここへ至る道は
それなりに鋪装されていて、
クルマで4〜5時間あれば着くが、
昔はそんなものじゃなかったらしい。
このサイババ道路ともいうべき道を、
両側の岩山などみながら走っていると、
文明の中心からどんどん外へ外へと
遠ざかっていくような気になる。
途中の村に人間が少ないというせいもあって、
清浄な聖地へ向っているのだという気もしてくる。
私のような者さえ、
「空気がどんどん清くなっていくなぁ」などと、
信仰の窓口で順番を待っている人のような
感想をのべていたのだから、
神に会いに行く信者たちが、
この道が天国に続いていると感じるのは当然かもしれない。
聖地ブッタパルティに近づくと、
まず病院という名の大看板が見えてくる。
これは、サイババが建てた病院ということだが、
なにも彼が大工作業をしたということでもないし、
手のひらをくるくる回して突然広野に病院を
「物質化」したわけでもない。
世界各国にある
「シュリ・サティア・サイセンター」という
支部のような団体が寄付を集めて、
それで建設されたものだ。
あえて、ここにサイババの奇蹟があるとすれば、
「考えられないほど短い建設期間」で
完成したということらしい。
これも、ババ様がご自身で設計したから、
奇蹟的に成就したということだ。
高い鉄柵。門番のいる正面の扉は閉じられていて、
急病人なんかはどうするんだろうと思う。
さらに、ラブ関係のスローガン看板が
並んでいる広い芝生の庭が、
病院入口までの距離をますます遠いものにしている。
イスラム教を信仰しているというインド人の通訳の若者は、
「私が病人なら、
医者にあえるまでに死んじゃうよ」と皮肉を言う。
不信心な私たちは、この建物のデザインを見て、
琵琶湖畔の「雄琴」という地名を
ちょっとだけ想起してしまったのだが、
それくらい許してもらえますよね。
病院を見た後は、飛行場も見る。
ふだんは使われていないが、サイババの誕生日には、
世界中から100万人もの信者がやってくるので、
こういう設備も必要なのだという。
こうゆうコースをたどって、
私たちはアシュラムに入ったのだから、
本当はもっと「何かたいしたスゴイ所」に来たという
感慨にふけってなければいけないのだ。
それが、ここに来る人が必ずしておかなければならない
「予習」だったのだと、後になって私は思った。
しかし、私たちは、やっぱり、信じに行ったのではなく、
仕事に行ったのだ。
その差異が、どうしてもその後の私たちの体験に
大きく反映されてしまったような気がしている。 私たちの最重要課題は、
信仰にとって都合のいい宿舎の特別待遇ではまったくなく、
撮影にとっての特別の待遇が得られるかどうかだった。
幸か不幸か
(これは、私たちにとっても、サイババにとっても)、
当初懸念していたよりもずっと簡単に撮影の許可がおりた。
アシュラムの内部は、室内を除いて基本的にOK。
サイババの姿を見る
(見るだけでご利益に与れるという)ために
朝夕開かれるダルシャンという儀式も、
テレビカメラ1台、スティールカメラ1台にかぎっては
撮影を許可するという。
早い話が、ババ様が信者のいる所に現れて聖灰を
「物質化」したりする様子を、
カメラで撮ってもいいよということだ。
しかも、このダルシャンに入場するには、
炎天下や早朝、順番待ちの列に2時間ほど 並ばなければならないのだが、
それもしなくてよいことになった。
VIP用の入口から入場させてくれて、
しかも信者の憧れにもなっている 「最前列」に座らせてくれるという。
目の前に、サイババが来る。
不信心で欲望の強い馬鹿どもではございましたが、
ババ様の病院を見て「雄琴」を思い出してしまうような
失礼なこともいたしましたが、
やはりババ様はケツの穴のでかいお方でございますよね。
インドに来てから一度もオナニーをしなかったのを
高く評価なさったのでございましょうか。
ともかく、ありがたきしやわせ!
考えてみれば、他の信者より
前の列に座りたいというのも欲望である。
ちょっとでも神様に近い所で、神様をよく見たい、
あわよくば聖灰も出して欲しいし、
インタビュールームに呼んでくれて指輪なんかももらいたい。
こんな強欲な話はない。
なのに、そんな欲望まるだしの私たちに、
ババ様はVIP待遇をしてくださるというのだ。
喫煙や飲酒には厳しいババ様だけど、
やっぱり「魚ゴコロあれば水ゴコロ」
なんていう日本のファジーな考えも知ってらっしゃるのだ。
さすが神の化身は、ひと味違う。
「さいさきがいいですね」ディレクターの恩田さんだって
こういうことに不満はない。
いい画面を、日本中の好奇心に向けてオンエアできるぞ、
と機嫌もいい。
(つづく)
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