谷川 | 糸井さんは、1年中、毎日、 なにかしら書いてるわけでしょう? たいへんじゃないですか。 |
糸井 | たいへん、でしょうね。 |
谷川 | でしょう? |
糸井 | 苦しいんだろうなぁ、と。 |
谷川 | なにか、他人事みたいに言っているね(笑)。 |
糸井 | うーん、他人事といえば 他人事のようなところもあるんです。 なんていうか、その、 あえて言うほど、苦しくはないから。 |
谷川 | 波動の人だから、もう流れているのかな。 こう、流れに身を任せて(笑)。 |
糸井 | 苦しいときって、おかしな話ですけど、 時間がたっぷりあるときなんですよ。 「ああ、もう、いま書かなきゃ寝られないぞ」 っていうときは、むしろ、サッと書けるんです。 そうじゃなくて、たとえば今日は ゆっくりと食事に出かけるぞ、っていうときに 「明日の原稿をいまのうちに書いておくと 締切を気にせずゆっくり食事ができるな」 という感じでキーボードの前に座ると たいてい、苦労しちゃうんです。 つまり、時間があるから、時間をかけて 苦労して書くこともできるぞっていう チャンスがあるもんだから、 そのチャンスに押しつぶされて苦しいんです。 |
谷川 | うん、うん、なるほどね。 |
糸井 | なまじ時間に余裕があると、 手に負えないような材料を運んできて なんとか家を建てようとしちゃうんです。 そりゃぁ、無理ですよね。 逆に、溜めてた材料が、いつか、 建てられる家のサイズに減るようなこともあって そのときはうまく書けるんです。 |
谷川 | 若いときから、そんな感じでした? |
糸井 | うーん、若いときには、 なんにもなかったですからね。 文体もないし、書きたいこともないし。 作文で褒められたことは、一回もないです。 それはもう高校まで、一回もないです。 で、得意だとも思ってませんでした。 |
谷川 | じつは、ぼくもそうなんです。 |
糸井 | あ、そうですか。 |
谷川 | うん。子どものころに詩を書いたこともないし、 書きたいと思ったこともないし。 たとえば思春期になったころに、 友だちには、書いている人もいるんですよ。 それこそ、詩集を出したいということで、 原稿がみかん箱3杯くらいあるとかね。 それから、有吉佐和子さんみたいに、 一日書かないと手が震えてくるっていう人もいる。 そういうのを聞くたびに、 本当に、劣等感にさいなまれてね。 |
一同 | (笑) |
谷川 | ほんとに書きたいという気持ちを 持ったことがなかったんですよ。 だから、そのあたりは ちょっと糸井さんと似ているんですよ。 |
糸井 | ちなみに、いまはどうなんですか? |
谷川 | いま、ぼくは、詩を書くの、 すごく楽しくなっています、うん。 でも、やっぱり、つねに、 他者からの働きかけによって動いてますね。 |
糸井 | 発注によって、導かれて、書くという。 |
谷川 | うん。ぼくの場合は、そうですね。 もちろん、最初のうちは注文なしで書いてたけど、 しばらくやって、注文がくるようになったら、 一所懸命それに応えるという形で ずーっとやってきましたからね。 やっぱり、他者がいるという点で 書く力が鍛えられたのかもしれない。 |
糸井 | それも、粒子か波動かでいうと、 波動的な話ですね。 他者との関係というのは 物体ではないですから。 |
谷川 | そうそう。 |
糸井 | ぼくもやっぱり、生み出すものは、 誰かとの関係のものだという気持ちが大きい。 それはもう、楽器を使って 音楽を奏でるのも同じだと思うけど 「欲しいのは音楽でしょ?」っていう気持ちが 根本的なところに存在するから、 極端にいえば「オレじゃなくてもいい」って思う。 その気持ちは、じつは、ずーっとあります。 で、そういう前提のうえで、 「自分じゃなくてもいいものを 自分が出せた喜び」というのはある。 |
谷川 | うん。 |
糸井 | ほめてもらえるとすごくうれしいし、 「買いました」「読みました」って 言ってもらえるとすごくうれしい。 そこの自分はすごく点滅してるんですね。 |
谷川 | ああ、その感じはすごくわかりますよ。 |
(続きます) |